2014年07月11日

30万キロの奇跡

2014年7月9日

冬の釣り行き

冬である。息子リンゴロウの学校も冬休み。メルボルンの7月は真冬で、雨が時折は激しく降り、カヤックに乗って海に出たくとも、風速30メートルの風が吹き荒れていたりするので、なかなかそれも叶わない。天気は変わりやすく、晴れていたと思えば雨が降り、土砂降り と思ったら、虹が出てまた晴れたりする。気分的には雨が降っている時の方が多い気がする。

そんなうっとうしい気分を振り払う為、なかなか休みがないリンゴロウのサッカークラブの練習の合間を縫い、男だけで2泊3日の釣り旅行に出た。行く先はメルボルンの東150キロ、ギップスランド南部ポートウェルシュプールという漁港。ここへは僕が2ヶ月程前にシーカヤックの合宿で来て、ここなら魚が釣れそうだと、睨んだ場所である。

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ギップスランドの平野

2ヶ月前のシーカヤックの合宿とは、ビクトリア・シーカヤック・クラブの親睦合宿で、スネークアイランドという島に漕いで渡り、そこからウイルソンズプロム国立公園までさらに海峡を漕ぐという趣向だった。僕は、まだ新参者なので、島渡りなど大丈夫だろうかと思ったが、クラブの会長さんが「大丈夫、ちっとも心配なし。初心者歓迎!」と太鼓判を押したので、のこのこ出かけて行った。ところがポートウェルシュプール港を出た日は、風速15ノット(28キロメートル)の向かい風、1、5メートルの波とうねりに揉まれ、まるでジェットコースターに乗っているように大波を下ったり、登ったり。自分がどちらを向いているのかも分からず、先輩に「こっちだ、こっちだ」と言われて必死に漕ぐのみだった。

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スネークアイランドの合宿

合宿2日目は、 スネークアイランドから海峡を渡ってプロム国立公園の東海岸を漕いだが、波打ち際でちょっと気を抜いたら横波を食らい、 冷たい水に頭からどぼんと沈した。おかげで 水温16度の海で生まれて初めて泳いだ。泳いでいるうちはアドレナリンが出ているせいか寒くないが、陸に上がってからの方が寒くてガタガタ震えた。

今回は、そのポートウェルシュプールに息子と2人でのんびり釣り旅行だ。しかし、着いた日はやはり強風と低温で、ちっとも釣れず。小振りのフラットヘッド(和名はコチ)が少しかかるだけ。2日間でどうにか釣れたと言えるのは、27センチと30センチのコチが二匹とカニ一匹。あまり芳しくない釣行だった。

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小さなコチ

しかし、冬の澄んだ空気は美しく、冬雨に閉じ込められて溜まった鬱積はギップスランドの空っ風といっしょにどこかへ飛んでいった。やっぱり広い所に出て、のんびりするに限る。海風はとても爽やか、肺の底の底まですっきりする。


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遠浅の海岸は車で走れる


30万キロの奇跡

ギップスランドの緑の大地を突っ走ったこの冬の旅行中に、僕の車トヨタ・カムリワゴン(1994年型)がついに走行距離30万キロを突破した。 オーストラリアでは40万キロくらい走る車が決して珍しくないが、僕が一台の車にこれだけ長く乗ったのは初めてだ。2000年に(中古、7万キロ)買ったから、もう15年は乗っている。今11歳のリンゴロウが生まれて時、病院からうちに連れて帰るときもこの車だった。

「パパ、 この車良いよね。でっかくて、何でものせられて」と、リンゴロウは今も言うが、彼にはこの車はゆりかごの様なものだろう。もちろん、金にあかせず最新型のSUVや4WDに替えたらもっと良いだろうけど、この古いワゴンでとりあえず用は足りている。燃費もまあまあ(リッター10から12キロ)、故障知らずだ。また、広い室内、汚れても構わないくたびれたボディには、釣り道具、キャンプ道具、カヤックなど、塩水や泥で汚れたものを満載してもちっとも気にならない。とにかくこれだけ使えば、カーボンフットプリントも最小限にとどめたことになるのでは?

もちろん、乗っていた車が30万キロ走った ことにはあまり深い意味はないだろう。ただ単に、僕がよほど物持ちが良いのか、ケチなのか、たまたま整備を怠らなかったせいか、運が良かったか、この車が「当たり」だったのか、あるいは僕がよほど物事に固執するたちなのか、まあ、そんなことかも知れない。

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しかし、僕はこの車でいろいろな用を足したし、何度も家族と旅行もしたし、息子ともどれだけ釣りに行ったか分からない。だから、 自動車は、所詮ただの「物」かもしれないが、30万キロもの長い距離と時間をつき合ってもらった事を、何かの僥倖(ぎょうこう=おもいがけない幸い)と考える事にした。 そして、今後何かすばらしいことがたくさん起きると考えることにした。

餅つき

そのことを祝うつもりでもないが、7月の文庫では、餅つきをやった(僕は「メルボルンこども文庫」という集まりをもう15年も主催している)。昨年だったか臼と杵を作ったので、ついにそれを使ってみる事にしたのだ。餅つきは準備が大変だからなかなか腰が上がらなかったのだが、近所の日本人の友達に「やりましょうよ!」とそそのかされ、急遽やることになった。

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オジーのパパもぺったらぺったら

7キロの餅米を前夜から水に浸けて、朝から強火で蒸した。昼過ぎには、文庫の子どもたちやら親たちが10家族程集まり、ぺったり、ぺったり餅つきが始まった。あんころ餅、ショウユ餅、キナコ餅、大根おろしのからみ餅などだが、7キロの餅米がきれいになくなった。みんな食べること、食べること。オジーのお父さんたちも、あんころ餅やショウユ餅を「おいしい、おいしい」と、はぐはぐ食べていた。

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餅米は、オーストラリアの我が家の近所で売っているのは、タイと中国産の餅米だが、韓国産の餅米を差し入れてくれたご家族があり、その方が断然粘りがあって美味しかった。きっと韓国の餅米は、日本の餅米に似ているのだろう。

餅つきというのは、お祭りみたいで、人が集まってわいわいやるのが楽しい。特に、冬の寒いときに、湯気の出る餅を食べながらやると、心の中がぽっかり暖まる。

春を待つ気持

リンゴロウの冬休みはまだあと2、3日ある。サッカーの練習もあるし、もう泊まりで出かるほどの余裕はない。 今日も朝からまた雨。そこで、リンゴロウを連れて、ビクトリア・シーカヤッククラブの面々が、手作りカヤックを作っているワークショップを覗きに行くことにした。

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手作りカヤック工房

ミッチャムの教会の裏の作業場がカヤック工房となっていて、クラブのメンバーの有志たちが一週間かけて、昔風のグリーンランド型シーカヤックを作っている。初老の親爺たちがカンナくずだらけになりながら、子どものように喜々としてカヤックを作っていた。僕も、過去にカヌーとカヤックを作った経験があるので、興味津々で見せてもらう。

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skin-on-frameのカヤックの骨組み

今回この人たちが作っているのは、skin-on-frameという形式の、昔のグリーンランドの先住民たちが、動物の皮を木製フレームに張って作ったのと同じ形のものだ。ただ動物の皮の代わりに、新素材の繊維と防水のポリウレタン塗料を塗るところが現代的だが。教えているのは、クラブ会長のボブとその義理の息子ブレンダンだ。ボブは、本業は大学教授/牧師であるが、なんだかカヤックの方が本業ではないかと思われる程のめりこんでいる。

「カヤック作りは、本職はだしですね」と僕がお世辞とも皮肉とも取れることを言うと、サンタクロースのような巨漢のボブは破顔し、
「いやあ、こう寒いと、あまり海にも出れないしね。でも、この間は、強風の中、海に出てローリング練習をやったら、自慢の木製グリーランドパドルを折っちゃってね。ウハハ! このワークショップが終わったら、すぐにもう一本作らなくちゃならんのだよ。ワハハハ!」と、大きなお腹を揺すって笑うのであった。こういう福々とした人といると、心の底が暖かくなってくる気がする。

こうやって、みんな春がくるのを着々と準備しながら待っている。僕も、雨が上がったら海に出るぞ。


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ウィルソンズ・プロム国立公園で愛艇に乗る
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2014年06月04日

「石井桃子さんのお握り」の真相

2014年6月2日

メルボルンの6月は、もう冬だ。


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冷たい雨に濡れながらポストから郵便を取り出したら、日本から『石井桃子のことば』(中川李枝子、松居直、若菜晃子ほか著、新潮社)が送られてきていた。

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さっそく開いてみる。写真がたくさんあって、どこを見ても楽しい本だ。若い頃の石井桃子さんが、とても素敵だ。それに中川李枝子さんや松居直さんなど、石井桃子さんに縁のあった人たちの文章や談話がたくさん載っていて、子どもの本の研究をする人には資料価値も高いだろう。僕の父(子どもの本の作家だった渡辺茂男)が石井桃子さんと懇意にしていたおかげで、僕にも懐かしい人たちや作家がたくさん出てくる。この本をいただいたのは、『ぐりとぐら』の著者である中川李枝子さんの文章が載っているページの写真を、僕が出版社に貸したからだ。その写真とは、中川さん一家(ご主人の宗弥氏とご子息の画太さん)と石井桃子さん、そして我が家の全員(父、母、弟光哉と僕)が一緒に、僕の実家の近くの多摩丘陵を野歩きしている写真だ。1966、7年頃の写真である。

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多摩丘陵 1966年頃。石井桃子さん、中川李枝子さん、父茂男、弟光哉、白帽子の僕、母一江 (父の後は中川画太さん)


この本を読んでいたら、ぜひ、書いておかなければいけないことがあることを思い出した。それは、石井桃子さんのお握りのことだ。

ことの起こりはこうだ。昨2013年秋、東京子ども図書館の機関誌である『こどもととしょかん』(138号)に僕の一文「石井桃子さんのお握り」を掲載していただいた。短い文だからもう一度以下に掲載する。


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「子ども時代、父(渡辺茂男)の先輩作家であった石井桃子さんには、よくお会いした。石井さんは、僕がおどけたことをすると、細い手を口に当てて、「おほほほ!」と笑うのだった。そうすると僕は、父に「調子に乗るな!」と叱られたものだ。

我が家がロンドンにいた時は、石井さんがうちに滞在した。かなり恥ずかしい思い出だが、シティかどこかへ行くと言った石井さんに、小学四年の僕は、「じゃあ、英語の通訳してあげようか?」と偉そうにいったのだった。石井さんは、また「おほほほ!」と笑い、「じゃあ、てったちゃんにお願いしようか!」と言った。父には「英語の達人に、何て失礼な!」と怒られた。

ほろっとするのは、お握りのこと。高二の夏、友人T君と信州を自転車旅行し、追分の石井さんの山荘に泊めて頂いた。石井さんは、真っ黒に日焼けした僕たちに、「元気そうね!毎日何を食べてるの?」と尋ねた。僕が、「ラーメンとか、カツ丼!」と答えると、石井さんは体を二つに折って、「おほほほ!」と、笑いが止まらなかった。

その晩は、ゆっくりお風呂に浸かり、きれいな布団で寝かして頂いた。翌朝出がけに石井さんが、「ラーメンにカツ丼じゃあねえ」と言い、ずっしり重いお握りを持たしてくれた。

僕とT君は、そのお握りを千曲川の河原で食べた。それは直径が15センチ位あって、万力で締めたように固かった。あの大きなお握りのことはたまに思い出すが、石井さんは、あんなでっかいのを、どうやってあんな固く握ったんだろ?」

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嘘ではない。本当の話である。

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石井さんの別荘の前と軽井沢で


今年2014年3月、 石井桃子さんのお宅であった「かつら文庫」(東京子ども図書館の分館)が新装オープンした。僕は、それに合わせて帰国し、それにちなんで、石井桃子さんと父茂男の交流について話をする機会を頂いた。(父の蔵書の主だったものを東京子ども図書館に寄贈させて頂いたということもあったので。父の蔵書は現在かつら文庫に展示されている。)。

講演会当日、 杉並の会場には、光栄にも松岡亨子さん、中川李枝子さんといった児童文学者もお出でになっていた。僕は、子ども時代のエピソードを交えつつ、このお握りのことも含めて話をした。

僕の話が終わると、質問やコメントの時間になった。すると、中川さんが、さっと手を挙げてマイクを持った。そして一言。

「鉄太さん、あの石井先生のお握りの話なんだけど、あれは本当は私が握ったのよ。覚えてない? 石井先生は6人兄弟の末っ子で、大事に育てられたから、お握りなんて握れないの。それで、あんたが高校生の時、サイクリング旅行で石井先生の別荘に泊まるって言うから、あんたのご両親に頼まれて、私がお世話する為に、追分までわざわざ出掛けて行って一緒に泊まったのよ。忘れたの? それどころか、あなたのお友達(T君)とあなたと一緒の部屋に寝たのよ。」

それを聞いて、僕の頭の中は真っ白になった。石井さんが握ったとばかり思っていたお握りが、実は中川李枝子さんが握ったお握りだったとは! 僕は、何てことを書いてしまったのだ!

会場は笑いの渦になった。こんなアホな勘違いが、公衆の面前であばかれることも、そうないだろう。

すると、自分でも驚いたのだが、40年近く前の記憶が、脳裏の奥底からするすると蘇ってきたのだ。そうだ、あの時石井桃子さんのお宅に、もう一人おばさんがいたっけ! それどころか、 そのおばさんが僕らと枕を並べて寝ると聞いて、 僕は「参ったなあ、こりゃあ!」と思ったことさえ思い出した。まさか、あれが中川さんだったとは!

中川李枝子さん、ごめんなさい!

しかし、それで、あのお握りの謎がすっかり解けた。あんなにでかくて(直径15センチ)、しっかり中まで固いお握りを、あの可憐な石井桃子さんが握れたはずがないのだ。そうだ、中川さんなら納得できる。中川さんが可憐じゃない、なんて言っている訳じゃありません! あのお握りが、『ぐりとぐら』に登場する、森の中のでっかい卵みたいだったから。

お握りの謎が解けたので、僕は、講演会のさらし者にされながらも、まんざら悪い気ではなかった。中川さんご自身も、別に腹を立てている風でもなかったし。(ですよね?) 横では、松岡亨子さんもニコニコ笑っていた。

というのが、石井桃子さんのお握りの真相だ。でも、そのおかげで、僕はいよいよあのお握りを食べた思い出を懐かしく思い出すようになった。石井さんのお握りでも、中川さんのお握りでも、どちらでもいいではないか。どちらにせよ、見たことないほど、でっかい、固いお握りだったのだから。

付け加えると、 「大発言」の後、 中川李枝子さんが言い加えたことが良かった。(きっと、僕をいじめすぎたと思われたのだろう。)

「あのとき、あなたと一緒にサイクリングをしていらした青年ね、あの方はどうなさってるの? とても感じの良い方だったわね。」

僕は、答えた。
「ありがとうございます。はい、あの者は中学時代の親友で、Tといいます。彼は、今は台所用品の会社のサラリーマンで、とても真面目な社会人になっております。」

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トノムラと僕  1977年頃、信州サイクリングに出発の朝


Tくんの本名は、「トノムラ・アツシ」と言う。きっとトノムラは、昔ごちそうになったお握りに、そんな裏話があるともちっとも知らず、今日も台所用品を売っているのだろう。(おい、トノムラ、元気か?)

人生には、思いがけない裏があるってことかもしれない。
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2014年05月08日

砂利を敷く

2014年5月7日

今日やったことと言えば、地面に砂利を敷いたことだ。それだけである。しかし、それで大いなる達成感を得られたのだから良かったではないかと自賛している。

砂利と言えば、 僕には苦い思い出がある。小学3年生くらいのころ、我が家の近所はまだ道路が舗装ではなくて砂利敷だった。ある日、近所のマーちゃんちで遊んでいたのだが、そのうちマーちゃんちの庭に道路の砂利を敷きつめてきれいにしようということになった。そこで、僕たちは大奮闘して砂利を敷き詰めた。ところが後で、とんでもないことをしでかしたと言って、マーちゃんのお母さんに大目玉を食らった。その上、せっかく運んだ砂利を道路に戻させられて閉口した。

さて、今回なぜ我が家の庭の隅に砂利を敷いたかと言うと、自動車を置く車寄せを作るためだ。なぜ車寄せが必要かと言うと、娘が中古のカローラを買ったからだ。そして、庭で余分な車を置ける場所が、メルボルンが冬になって雨が多くなると、泥が柔らかくなってタイヤが埋まって、車が出しにくくなる場所だったからだ。


砂利を敷くなど、人を呼んでやってもらえば済むと思うだろうが、昨今、世界でも一番人件費が高いと言われているオーストラリアで、いちいち砂利を敷くだけのために人を雇うなどと言うのは最も贅沢なことだ。だが、そう言う僕も、以前は砂利を敷くなんていうのは、この世でもっとも下等な仕事だと信じていた。だから、そんな自分が砂利敷きをするようになるなんて以前なら夢にも思わなかっただろう。しかし、ベルグレーブの山へ越してきてかれこれ14年、この物価高のせいもあって、こんなことは全て自分でするようになった。

予想通り、今日の砂利敷きの作業は実に楽しかった。子どもの時、喜々としてマーちゃんちの庭に砂利を運んで 以来だ。おまけにこの作業は僕に新たな発見をもたらしてくれた。


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敷いた砂利は、5トンダンプに軽く山盛りに積んできた量で、3立法メートル程だったろうか。これが多いか少ないかは感覚の問題だろう。しかし、重さは3トン以上あるのだから、その量を腕力だけで移動させるには、けっこう体力を使った。作業に用いたのは、大きめのスコップ、小さなスコップ、金属製の熊手、それと畑で使う小さな鋤(すき)だった。

最初は大きなスコップで砂利をすくったが、すぐに腕が痛くなった。これではまるっきりダメだと観念した。それで小さなスコップに持ち替えた。ところが、もっと能率が落ちた。熊手も使ってみたが、表面を馴らすには良いが、大量の砂利を移動するには向いていない。そこで鋤を使ってみたら、これが一番能率良かった。

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30分ほど、鋤を使って砂利を移動させた。すると、能率が良いだけに筋肉の疲労が著しく、腕がどうしようもなくだるくなった。もうこれ以上続けていられない気分だった。だが砂利はいくらも減っていない。このままでは夕方娘が帰ってきても、自動車を停める場所がない。

そこで、しばらく休んだ。そしたら腕のだるさがなくなった。そこで作業を続けた。でも、すぐにまただるくなった。そこで、また大きなスコップに持ち替えた。ただ、今度は大きなスコップに目一杯じゃなくて、半量くらいの砂利をすくって投げた。これが最も効率がよく思えた。しかも、無闇にすくって投げるのではなく、右腕で10杯、次は左腕で10杯という風に、作業を重ねていく。砂利を投げる方向も、撒いた量が少ない所を重点的にねらっていく、という風に戦略的に作業を行った。砂利のすくい方にも、ちょうど良い力の入れ方があることも段々分かってきた。言ってみるならば「砂利の気持になる」ってことかもしれない。

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そうしているうちに、作業は意外なほどはかどった。途中で優雅にコーヒーブレークなどを入れて3時間程で作業を終えた。結果、見事な車寄せが出来上がった。娘の喜ぶ顔が目に浮かんで嬉しかった。さっそく自分の自動車を停めてみたが、もう泥にタイヤが埋まることもなく、真新しい車寄せの上に僕の車は嬉しそうに君臨してみせた。

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砂利を敷くという作業も、これまでバカにしていたようなものでは全くなかった。それどころか、立派な作業であることが分かった。一体、自分の生立ちや、受けてきた教育はなんの為だったのだろうと、こういう肉体作業をするといつも感じる。壁にペンキを塗ったり、編み物をしたり、地面に砂利を敷くような単純な作業こそ感覚を鋭くする素晴らしい瞑想の一種だ。それだけでなく、 腕の筋肉の疲れを克服する為にスコップの使い方を工夫したり、 砂利を投げる回数を数えることで、精神的な困難を乗り切れることも分かった。こういったことは、頭で考えているだけでは決して分かり得ない。

今、人類は癌やアルツハイマー症などを克服し、長生きをする為の術を探し求めることに血眼になっている。難病の治療法にこそならないが、砂利を敷くような単純な作業には、日々を健やかに生きられる秘訣があるのかもしれない。

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ウォンバットにも苦悩があるらしい


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2014年04月22日

イースター休み

2014年4月21日


復活祭、イースターの日

イースターは北半球では春の訪れと同義かもしれないが、僕の暮らすオーストラリア、メルボルンでは、秋の行事だ。イースターは、子どもの学校の秋休みと重なるが、移動祝祭日なので、休みの真ん中になったり、後になったり。今年は、秋休みの最後の週末だった。
この秋休みは、旅行やキャンプに三回も行ってしまって、全然うちに居なかった。そんなで休みの最後の週末くらい大人しくしていようと思ったら、「そろそろ栗拾いにおいで」と、近所の知人から誘いがきた。そこで友達家族と、たまたまうちにいた娘と娘のボーイフレンドを誘って、モンバルク村の栗林へ向かうために車に乗った。

ところが、車をバックで出す時、前のバンパーの端を庭の石に引っかけてしまった。そしたら「ガリガリ、バリン!」と大きな音を立てて、バンパーが全部とれてしまった。あれまあ、なんてこった!

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この石は、昨年に免許をとったばかりの 娘も「この石邪魔!」と言って毛嫌いしていた 石だったのだが、無精で動かしていなかった。僕も時々 「ガリガリ」と車を引っ掻いていたが、僕のカムリは古い車なので、全然気にしてなかった。

外れたバンパーを前に唖然。どうしよう…? でも、とにかく栗拾いにいかなくちゃ。気を取り直して、女房の車で出掛ける。
モンバルクの知人宅には、こんなに大きな栗の木が十本程ある。3、40年前に、イタリア系の移民が植えたものらしい。

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イタリア人は栗が好きらしい。スイス人も栗が好きらしい。そして、日本人の我々も大好き。でも、普通のアングロのオジーは、あまり栗を食べない。

さて、一時間で、これだけとった。とり過ぎかな。これだけとっても、まだまだある。子どもたちは、とにかく集めるのが大好き。大興奮で栗拾いをしていた。大人も楽しかったけど。とれたての栗は、つやつや。まだ水分が多いので、じっくりフライパンで炒ってから食べないとだめ。

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みんなが見上げているのは、枝の上のフクロウ。昼間なのに、フクロウが、木の枝から僕たちを見下ろしていた。

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さて、うちに帰ってから、外れた車のフェンダーを検分。試しにはめてみると、すぽっとはまる。見れば、簡単なフックとねじではまっているだけ。よし、自分でつけてみようと決心。娘のボーイフレンドも、「僕も、前に姉の車のフェンダーをケーブルタイで結んでくっつけたことがありますよ」と言う。そうか、ケーブルタイっていう手があったか。

そこで車の下にもぐりこんで、ごそごそ1時間。二カ所ほど穴をドリルで開けてケーブルタイでぎりぎり縛り上げたら、ちゃんとフロントグリルは元にもどった。思ったより簡単だったので、ウハハと笑ってしまった。

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でも、バンパーの両側のはじっこのところは、外れたときの衝撃で割れてしまった。これは台所用のシリコンかエポキシでくっつけてしまおう。あと4000キロ走れば、30万キロの大台にのる94年型カムリワゴンは、こんな風にまたもや風格がついてしまった。

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イースターマンデーにサイクリング

イースターの翌日はイースタマンデーという祝日。これは、ただの休日。いよいよ秋休みも今日で終わり。天気も良いので自転車に乗りに、ウォーバートントレールというサイクリングロードまでドライブ。(バンパーはしっかりくっついたまま)。このサイクリングロードは、我が家から車で30分ほど。昔、鉄道の線路だった道で、リリデールという町からウォーバートンの村まで全長40キロ。今回は、このうち15キロ(往復30キロ)を、女房と息子と僕の三人で走る。

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 今日は、三人とも、細いタイヤの軽量バイク 。11歳の息子は、女房のお古の700Cタイヤのロードレーサーで風のように走る。6歳の息子と初めてここに来た時は、16インチのチビチャリだったのに。それでも15キロ走り抜いたので驚いた。今は、ロードレーサーの息子に追いつくのが、とてももう大変。

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 三人で30キロを2時間強で走り抜けた。道は、細かい砂利道だけど、固いので細いタイヤでも全然大丈夫。僕が乗っているのは、中学生のときから乗っているブリジストン・ダイヤモンドという名車。40年前のオールド自転車(真ん中の赤いやつ)。

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休日なのでたくさんサイクリストがいたけど、こういうエンジン付きのは、かなりチョンボだな。

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家に帰ったら、太ももがかなり痛かった。たった30キロでこうなるとは日頃の運動が足らない証拠。
僕は、スピードよりも持久力をつけたい質だ。これからもがんばるぞ。


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2014年03月27日

こんなに長くオーストラリアにいる理由

2014年3月26日

オーストラリアに引っ越してから17年は経っている。こんなに長く、とも思うが、振り返ってみればあっという間だった。もう両親もいなし、この3月で東京の実家も処分してしまったので、日本に帰る場所もなくなってしまった。(両親の 墓はあるけど、墓は「帰る場所」って感じじゃないねえ)。
それと、たまたま実家の処分と同時になったが、19歳の娘が、 大学に入ったのをきっかけにオーストラリア国籍を取る事になった。つい昨日その為の「国籍テスト」(citizenship test)というのを受験してきたが、100点だったと喜んでいた。まあ、娘は大学で歴史を専攻しているから、「オーストラリアを最初に発見した西欧人は誰?」とかいう質問は簡単だったに違いない。
娘もオーストラリア国籍を取るし、東京の実家もなくなるし、僕とオーストラリアの関係はいよいよ密接になる一方だ。で、よく聞かれるのは、「ずっとこのまま死ぬまでオーストラリアにいるつもり?」ということだ。答えは「そんなこと、分からないよ」である。
僕は幸運なことに、仕事やらいろいろで、年に2、3回は日本に帰っているから、それほど日本恋しのホームシックにもかからない。「ああ、オーストラリアにいるのも飽きたなあ」と思う頃、ちょうど日本に帰る用事ができる。でも、東京に2週間もいると、オーストラリアに帰りたくなる。というか、オーストラリアの緑と、家族のいる自分の家が恋しくなる。

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この間、成田空港でホラ貝を吹いていた男の人

東京の実家がなくなったので、3月初旬に2週間ほど帰国したときは、弟の家と妻の実家と単身赴任中の友達の家に滞在させてもらった。弟も、妻の実家も、友達の家も、どこも気兼ねがいらないので気楽だった。中でも、単身赴任の友達の家が一番気楽だったなあ。男2人で鍋なんか食いながら晩酌したりして。

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実家からメルボルンに持って来た、子ども時代からあるスキヤキ鍋

50面下げて情けないが、実家がなくなったのは寂しい。でも、それ以上に嬉しかったのは、東京の友達や知人が「今度帰った時は、ぜひ我が家にも泊まって下さいね」と口を揃えて言ってくれたこと。これからは、そう言ってくれる友達が僕の故郷なんだなって思った。
オーストラリアに17年もいて、どうしてここにこんなに長くいるんだろうと自分でも不思議に思う。絶対的にここにいなくてはならない理由もなかったし、もし日本にいたら、今頃もっと売れっ子作家になっていたかもしれない(そんなわけないだろうが!)。

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ガンジーの真似をしているインド系英国人の友達と、インド人の真似をしているフランス人の友達

で、ここにいた理由の一つは、友達がたくさんできたからだろう。日本人の友達もたくさんいるし、オーストラリア人や他の国籍の友人もたくさんいる。これから新しい土地に行って暮らすのもエキサイティングだとも思うけど、こんなにたくさん友達ができるかな? あるいは、日本に戻ったとしても、昔の友達との間に前と同じような友情が復活するかもどうかも分からないし、東京に限って言うならば、もうあそこで長くは暮らせないなあ。

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Flower and Garden show会場のエグジビション・ビルディング

関係ないが、2、3日前メルボルンのシティで「Flower and Garden Show」という催しがあったので見て来た。 僕は生け花をやっていて、その仲間とそこに作品を出品したから、それを見に行ったわけだけど、それ以外の展示物もとても面白かった。こういう催しは引退した年寄りのものだと思っていたが、行ってみたらそんなことはなくて、もっとずっと楽しかった。(年寄りも多いは多かったけど。) とにかく、きれいな花や、庭や、農機具やなんかを見ていると、うきうき楽しくなってくるし、それを見ている人たちみんながニコニコしてとても幸せそうなことが一番良かった。
僕は、花とか木とかにそれほど気にかけないでこれまで生きてきたけど、これからは生活の真ん中に植物を置いて、その周りでニコニコしながら生きたいと思ったくらいだ。

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こんなオフィスもいいねえ

Flower and Garden Showを見た後に、天気も良いのでメルボルンの街をぶらぶら歩いていたら、この間日本に帰った時、飛行機でとなりの席に座っていた少年にばったり出くわした。 そのE君は、日系スウェーデン人で、メルボルン大学で工学を勉強している。とてもニコニコで感じの良い若者だったからすっかり意気投合して、フライト中に話しこんでしまったのだった。 E君には、もう二度と会わないだろうと思っていたので、街でばったり会えてとても嬉しかった。それで10分程立ち話をして別れた。

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仲間と僕が出品した生け花作品。(材料は、菊と竹)

 その後、電車に乗って家に帰ったのだけど、そうしたらBox Hillという駅で電車が故障で立ち往生した。その間、暇だから前の席に座っていた中国人カップルと話し始めた。2人は北京から新婚旅行でメルボルンに来ていて、我が家の近くのパッフィンビリーという蒸気機関車に乗りに行くところだと言う。あまり英語もできないので、半分は漢字で筆談。でも、漢字の筆談って、けっこう盛り上がるんだよね。
 それで、やっと電車が動き始めたのはいいが、彼らは電車が遅れたせいで、わざわざ我が町ベルブレーブまで来たのに蒸気機関車に乗り遅れるはめに。せっかく北京からきたというのにそれじゃあ気の毒だ。そこで、僕は駅の駐車場に停めてあった自分の車に2人を乗せて、蒸気機関車を大追跡した。もちろん蒸気機関車よりも車の方が早いから、ついに二つ先のエメラルド駅で蒸気機関車に追いつき、新婚旅行の2人を乗せてやった。
 「謝、謝! 北京でまた会いましょう!」そう言って2人は機関車に乗って行ってしまったが、考えてみたら名前も連絡先も聞いてなかったなあ。まあ、それでもどこかでまた会うかも分からない。
その一日は、Flower Garden Showに行ったり、E君にばったり出会ったり、中国の新婚さんと知り合ったりしていて、何だか良い1日だったな。
それで気がついた。僕が、なぜこんなに長くオーストラリアにいる理由を。それは、ニコニコしている人がたくさんいるからだ。そうでなかったら、多分僕はここにそんなに長くいなかっただろうし、これからもここにいようとは思わないだろうね、きっと。
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2014年02月05日

晴耕雨読とは言うものの

2014年2月5日

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暮れから正月にかけて一ヶ月ばかり日本に帰って、1月中旬メルボルンに戻った。晴耕雨読の生活に戻ろうと思ったのだが、夏のメルボルンはずっと晴れ、それどころか帰った日は45度の熱波だった。零度から45度はちょっと厳しかった。
 45度もあると思考は停止する。我が家には冷房はないから、部屋を閉め切って薄暗くし、ひたすら忍ぶ。夕闇がせまる午後8時頃になって涼しい風が吹き始めるころ、家中の窓やドアを開け放して冷気を入れる。ところが我が家は銀色トタン屋根だから、昼に吸い込んだ熱気はなかなか抜けきらない。
 45度では外で畑仕事もできないが、風向きが変わって、クールチェンジと言われる南風が吹いてくると一気に25度くらいまで下がり、朝夕は長そででないと寒い。これがメルボルンである。メルボルンの一日には四季がある。

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春菊の花

 涼しくなると畑の草むしりなどするが、一ヶ月留守にしていた庭や畑はすっかり雑草に覆われて見えなくなり、雑草を山のように抜くとその間から、ようやくニンジンやら、春菊やら顔を出す。春菊は野菜と言うより木のようになって花を咲かせている。食べるのは諦めて生け花にでもするしかない。ぶどうは炎天がうれしそうで、緑色だった実がみるみる濃い紫に変わり、甘くなる先から鳥がついばみにくる。

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 涼しいと楽しみは夜の読書だ。日本で買った本は船便に入れて送ってしまって当分届かないから、待つ間英語の本を読む。オーストラリアに17年も住んでいるのだし、その前は日本の大学で英語の教師をやっていたから英語の本は読むには読むが、日本語を読むのに比べればナメクジがはう速度だ。その上近眼と乱視、加えて老眼も顕著になってきたから、薄暗いスタンドの灯りで細かい英語の活字を読むのは苦労する。 
 昔から日本語の本は小走りのような速度で読んでしまう癖がついている。高校や大学時代、文庫本一冊くらいは一日で読んでいたが、そんな読書はちっとも身にならない。
 反面、英語の本ならどうせゆっくりだからじっくり楽しめる。散歩と同じで、ゆっくり歩けば歩く程気がつくことがある。英語の本でどんな本を読むかと言うと、旅行記やミュージシャンの自伝、オーストラリアの児童文学などである。アメリカの犯罪サスペンスなんかも楽しめる。冗句なども、一読して何がおかしいのか分からないこともあり、その理由を一日考えて、翌日分かることなどもある。日本語に訳されている本もわざわざ英語で読むことがあるが、それは英語の表現自体を楽しむ為だ。カズオイシグロなどは英語で読んだ方が面白い。文学はオリジナルの言語で読むに限る。(と言っても、僕は英語しか分からないが。)
 だから村上春樹なんかも日本語で読むに限る。(椎名誠なんかが英語になってもちっとも面白くないだろうな。なってないけど。)村上春樹は、オーストラリアに来てから読むようになった。近年はこちらでもいろいろな人に「村上春樹は面白かった」と言われるから、自分でも読んでみるつもりになったのだと思う。もう一つ村上春樹を読むようになった理由は、2006年暮れに突然亡くなった大学時代の親友M君の愛読書だったせいもある。彼は勤め先で倒れて亡くなったが、腕利きコピーライターで、しかも読書好きだった彼が、最後に何の本を読んでいたのだろうと気になり、彼の未亡人に「M君は、最後に何の本を読んでいたのですか?」と尋ねた。そしたら「村上春樹でした」という答だった。M君は晩年ランナーで、出社前には毎朝10キロ走っていたと言うのだが、それは同じくランナーである村上氏の影響かなと想像している。(M君、安らかに眠ってくれ。)
 あと、もうひとつ村上春樹を読む理由は、彼がかなり長い小説を書くからだ。僕は、短くてすぐに読めてしまう小説があまり好きではない。だから、村上の最近の長い小説を、長い時間ハラハラしながら読むのはなかなか楽しい。
 11歳の釣り好き、野外活動好きの息子は冒険小説が好きである。だが、彼はオーストラリア育ちで日本語が読めない。だから、長い冒険児童文学を僕は彼に読んでやっている。もうずいぶんたくさん読んでやった。
 ナルニア物語、ミスビアンカの冒険、宝島、ツバメ号とアマゾン号シリーズ、ムーミンシリーズ、冒険者たちシリーズ、誰も知らない小さな国シリーズ、ホビットの冒険、エルマーのぼうけん、オズの魔法使い、ニワトリ号一番のり、西遊記などなど。
 これらの文学に共通しているのは、どれも長いことである。ツバメ号とアマゾン号シリーズなどは12巻もあり、あきれるほど長い。全部読むのに1年以上かかった。よくまあランサムはこれを書いたと思うが、長くとも内容はちっともふやけてないからすごい。アマゾン号を読んでやったおかげで、僕たち二人は船や航海に関して知識がついた。この作品は、もう一度英語で読んでやろうと思っている。

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 中でも息子が一番愛してやまないのは、スチーブンソン『宝島』だろう。もう何度読まされたか分からないが、本当に好きである。海賊、孤島、航海、秘密の宝、戦いなど冒険の要素の宝庫である。ふたりでキャンプに行く時など持っていく。僕もこの本が大好きである。
 今は、『ドリトル先生』を読んでやっている。これも13巻あってかなり長い。子ども時代にも全部読んだが、今改めて読んでみると、ドリトル先生と言うのは万能であり、人格者であり、争いを避ける博愛主義者だ。まるで神さまのような人だが、きっとロフティングは「神」を念頭に、ドリトル先生という人を創作したのかもしれない。
 ドリトル先生の邦訳者は、井伏鱒二である。僕が中年になってから好きになった作家だ。高校時代『黒い雨』などは教科書で読まされて閉口したが、今読んでいる井伏作品は釣りや旅行に関する古いエッセイである。寝しなにちょっと読むのだが、井伏のエッセイは、どこが始まりで、どこが終わりなのか分からないようなポストモダン的流れのものが多く、何が言いたいのか分からないような奇抜な内容のものもある。そこを考えながら、眠りにつくのも楽しい。

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古い本は装丁が良い

 僕の持っている井伏の本は母方の祖父が所持していた物で、昭和30年代初期の出版のものだ。まだ旧漢字が使われている。旧漢字は読み難いが、しばらく読んでいると分かるようになってくる。例えば「駅」という字は「驛」であるし、「昼」は「晝」である。こんな文字を眺めているのも楽しい。また裏の方の奥付を見ると、「鱒二」というハンコの検印が押してある。これは井伏鱒二自身が押したんだろうかなどと考えるが、きっとそんなことはないだろう。奥さんや子どもたちが、本が出るたびに総出で押したんだろう。のんびりした時代だった。

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筑摩書房昭和33年刊の『河鹿』の検印には「鱒二」とある

 今朝は気温が25度くらいで、書斎のパソコンの前に座る前にちょっと庭仕事をした。コンポストの肥料をかき回そうと、上にかけてあった黒ビニールを外したら、下から小さなネズミが二匹飛び出した。畑のニンジンはまだたくさん植わっているが、水をやってなかったのでみな小振りだ。こういうニンジンは今夜バーベキューで焼いたら、かりっとおいしく焼けそうだ。そうだ、冷蔵庫にニワトリが一羽あるから、これもバーベキューで焼こう。という風に、我が家の夕食の菜が決定する。
 そろそろ秋口だが、まだ畑に何か作物を植えられそうな気候だ。トマト、インゲンなどはどうだろうか。ホウレンソウなどの葉ものなら、苗を買ってくればまだまだ育つに違いない。
 
posted by てったくん at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年10月16日

ミルデューラ旅行で、世界遺産のトイレに驚き、 オーストラリアで一番低い山に登ったこと

2013年10月4日


「ミルデューラの私のところに泊まりがけて来ない?」と、僕好みの女性に誘われた。で、誘ったのは僕の女房なので、別に断る理由もなく、ほいほい出かけてきた。息子鈴吾郎の学校も春休みだし、いっちょ遠出をしましょうか、ということだ。
 女房は、ミルデューラには3週間ばかり滞在していた。この町のアートフェスティバルに呼ばれて作品を作ったりワークショップをした。主催者が宿泊のために一軒家を借り上げてくれたので、そこに息子と私も寄せてもらうことになった。そんな美味しい話も滅多にない。
 しかし、息子の鈴吾郎(10才)は浮かない顔だった。なぜならミルデューラには海がないからだ。息子は釣り気違いだから海が好きだ。だが、ミルデューラは内陸で、メルボルンから北へ600キロ入ったところにある。その一帯は平野の農業地帯で、牧場と果樹園ばかり。海どころか、ちょっと行けば砂漠。だから釣り気違いの息子はがっかり。

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内陸の麦畑

 「いや、ミルデューラにはマレー川という大きな川があって、そこには100キロもある巨大なマレーコッドという大きな魚がうようよ泳いでいる」と、僕は明るく告げた。しかし、息子は「そんなの釣れっこないよ。だいたい100キロの魚を、うちのちっちゃい竿でどうやって釣るのさ? 仮に釣れても、パパなんて腰抜かして座り小便だよ。そもそもマレー川で釣れるのは、鯉とかナマズみたいな変な魚ばっかりだ!」と父親をコケにする。だが、息子の言う通りで、マレーコッドは滅多に釣れない。それに、確かによく釣れる鯉とかナマズはヒゲなんか生えていて変な顔だ。でも、だからと言ってそれを変な魚と決めつけるのは差別だ。変な顔をしている人が必ずしも変な人とは限らない。そうだったら、世の中の半分の人は変な人だ。でも、やっぱり息子の言う通り、巨魚マレーコッドが釣れたら、やっぱり腰を抜かすだろうなあ。
 そこで、マレー川では釣りはしないことにした。息子はむくれている。そしたら友達が、「あら、あそこにはマンゴ国立公園があって、「中国の壁」と呼ばれるすごい岩の隆起とか、化石とか、砂丘とかあって、見に行く価値があるわよ。それにあそこは世界遺産だからちょっとしたものよ!」と教えてくれた。ビクトリア州に世界遺産があるなんて知らなかったから驚いた。息子にも「世界遺産だぞ」と言ったが、全然理解しなかった。(そもそもオーストラリアでは「世界遺産」などという概念はあまり広まっていない)。
 というわけで、僕と鈴吾郎は、春休み2週目に、カルダーハイウェーをぶっ飛ばして、ミルデューラまで600キロをひと走りした。

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突然こういうものが道ばたに落ちているのもオーストラリア

ミルデューラが都会で驚く

結論から言うと、今回は驚きの旅で、2、3の驚くべきできごとに続けて遭遇した。しかし、これらには何も関連はない。だから、今すぐこれを読んでいる人たちにミルデューラに行った方が良い、と勧めるつもりはない。

 さて、その第一はミルデューラの町が意外に大きかったことだ。というか、すごく都会でびっくりした。しかし、そのことは女房にも聞いていたし、前にこの辺りを通過したときに見て知っていたから、初めて知ったというより、改めて驚いたと言っておく方が正しい。
 すでに分かっていることに再度遭遇して驚くなんてことがあるか?と疑う人もあるかもしれない。もしかしたら僕は老人性痴呆症なのかもしれないが、知っていたってやっぱり驚くこともたまにはある。知っていることと、感じることは、また別のことなのだ。
 さて、メルボルンを出て、カルダーハイウェーを北に向かって30キロも走れば、すぐに景色は田舎になる。それがオーストラリアの特質だ。シドニーでもアデレードでも、少し走ればすぐ田舎。意図しなくても自然に田舎になる。そこが日本と違うところ。日本は、相当走らないと田舎にならない。あるいは、田舎的な場所をピンポイントして目指さないと本当の「田舎」の景色が見られないだろう。例えば、僕の故郷の多摩は東京では田舎の方だが、あまり田舎の景色は残っていない。

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ミルデューラの街角

 さて、メルボルンは、田舎を1時間ちょっとも走って、ベンディゴといういくらか大きな、昔ゴールドラッシュで栄えた町を過ぎると、もうこれで町らしい町はなくなってしまう。村みたいなところしかない。もう車の制限速度も時速110キロである。110キロでも2車線双方通行だから、大きなトレーラーなんかとすれ違うにはかなりスリルがある。だから、田舎町は、文字通り「あっ」という間に通過してしまう。
 メルボルンを朝の8時に出て、そんな道をひたすら走り、ミルデューラには午後4時に着いた。600キロを8時間かかったということだ。ほとんどは時速110キロで走ったが、停まってお昼を食べたり、トイレに行ったり、アイスを食ったり、携帯で話したり、コーヒーを飲んだりしたから、600キロだとそれくらいの時間がかかる。特に子連れだとそうだ。
 景色はまあ美しかったが、単調だ。信号もメルボルンを出れば全然ないからブレーキを踏む必要もほとんどない。することがないから、息子の鈴吾郎ともいろいろな会話に興ずる。しかし、10才の少年とはあまり深い会話もできない。鈴吾郎との会話のテーマは以下のようなもの:

• サクマドロップでは何味が好きか?(鈴吾郎は、サクマドロップの大缶をドライブ中ずっとなめていた)。
• BMWとアウディとベンツは何が違うか?
• フェラーリを買うのと、海辺に別荘を買うのとどっちがいいか?
• ウルトラマンとドラエモンが闘ったら、どちらが勝つか?
• 焼き鳥は、タレと塩では、どちらがうまいか?
• ラーメンは、豚骨と醤油と、どっちが美味しいか?
• ハンバーガーの具は、多い方がいいか、少ない方がいいか?
• カンタス航空とジェットスター航空はどっちがサービスがいいか?
• エアバスとボーイングでは、どっちの飛行機が速いか?
• 餃子を何個食べたことがあるか?
• ビールとコーヒーでは、どちらが美味しいか?
• 自衛隊は、どうして攻撃できないのか? 
• 焼き肉とスキヤキは、どちらがごちそうか?
• どうして、しゃぶしゃぶの肉を長くスープに浸けていたらいけないのか?
• 機関銃と拳銃は、どちらが危ないか?
• ジャンボジェットにロケットエンジンを付けたら何キロで飛べるか?
• コンコルドでメルボルンからミルデューラに飛んだら、何分で着くか?
• マグロとアジの刺身では、どっちがおいしいか?
 
こういうことを息子と話すのは楽しくなくもないが、5時間も6時間も続けていると苦しい。だから、時間が経つにつれて僕も言葉少なめになってくる。だが相手はあきらめず、「ねえパパ、ねえパパ、聞いているの? ねえパパ!」としつこく聞いてくる。ちなみに鈴吾郎は、オーストラリア生まれのオーストラリア育ちだが、食べ物などは、意外に日本的テイストである。会話も日本語であるから助かる。これが英語だったら、とても長距離ドライブは持たない。
 で、田舎道を延々走ってミルデューラに着くと、いきなり大きな町が現れた。「れれれ?!」と蜃気楼を見ているような感じだ。しかし、ここはオーストラリアだから、そういう町がいくつかある。例えば大陸の真ん中にあるアリススプリングスは、砂漠の真ん中の大都会だ。アメリカのラスベガスも似ているが、遠く離れているという点では比較にはならない。オーストラリアのこうした都市には何百キロも隣町がない。
 ミルデューラもちょっとそんなである。東西南北どっちに行っても、シドニーまで1000キロ、メルボルンまで500キロは、アデレードまで600キロといった具合に離れている。その間には小さな町がぱらぱらあるだけ。そんな場所なのに、ファーストフードのレストランは何でもあるし、立派な屋内プールや大学もあるし、町の真ん中には噴水があるし、アートや音楽のフェスティバルはやってるし、パブやレストランが目抜き通りに並んでいる。市バスも走っているし、電車の駅もある。お洒落なかっこうの人たちが目抜き通りを歩いている。街角にはホームレスだっていて、思わず「すげえー」と言ってしまった。中心街は、東京で言ったら多摩センターくらいの賑わいだ。誰だって、砂漠の真ん中に多摩センターがあったら驚くだろう。ミルデューラには小さいが飛行場だってある。でも多摩には飛行場がないから、ミルデューラは多摩と言うより調布といった方が正しいかもしれない。調布には調布飛行場があるからだ。ここは砂漠の中の調布かもしれない。

ミルデューラは移民の町 

そして、ミルデューラは移民の町である。と言うか、オーストラリア全体がそうなのだから、そんなことは「あたり前田のクラッカー!」(古い?)だ。何もミルデューラだけが特別なのではない。しかし、どんな移民がどんな場所に多いかには地域差が少しあることがここでも分かる。ミルデューラはイタリア系が多い。それで、ぶどう作りが盛んだから、ワインやオリーブの看板が多くて、イタリア料理店も賑わっている。『ステファノ』というレストランが有名で、メルボルンからわざわざ飛行機で食べにくる人がいるらしい。イタリア系は戦後にヨーロッパから来たが、すでにこの土地に根を下ろし、かなり成功している人も多いようだ。
 農産地のミルデューラは、干しぶどうを始めとしたドライフルーツを世界中に輸出している。だから人手も必要だ。最近移民してきたイラク、中東、北アフリカ系の人たちもこういう場所に落ち着いている。この人たちはまだこれからだから、農場の季節労働やスーパーのレジ打ちなんかでしのぎをけずっている。インド系、中国系も多いが、祖国から多少の資本を持ってきている人もあるのか、小さな商店主などにおさまっている。ミルデューラ商店街の、お持ち帰り専門の小さな寿司屋も中国系だった。

先住民アボリジニの人たちの姿

 ミルデューラのような内陸の町に来ると、アボリジニの人たちの姿も多い。もちろん、みんな普通の暮らしをしているが、悲しい光景も目にする。
 女房が作品を制作している画廊に入ると、賑やかに展示作品の制作が進んでいた。ここはラトローブ大学の施設なので、美術学部の院生などがボランティアで手伝っている。今回のアートフェスティバルの為に、女房も含めて50名近いアーティストたちが来ている。私と鈴吾郎も、到着早々女房の制作を手伝った。
 その作業をしていたら、突然外の路上で怒声がし、ばたばた人が走りまわる気配がした。外をのぞくと、若い女性の警察官が中年の男に飛びかかって押し倒している。すぐに私服警官とおぼしき男性もその上に乗っかった。パトカーもすぐきて、中からも2、3名の警官が飛び降りてさらに男の上に乗っかった。やがて下から「助けてくれー、ヘルプミー!」という情けない男の声が聞こえてきた。
 やがて男が手錠されてパトカーで連れ去られた。それは、貧相な格好のアボリジニ男性であった。容疑が何であったか分からないが、こうした光景はミルデューラでは珍しくないのだろう、一時は私も含めて野次馬が少し集まったが、アボリジニの容疑者だと分かると、「ただのアル中か麻薬だろう…」とか言いながら三々五々散らばっていった。それは何とも侘しい光景だった。 
 先住民アボリジニの人たちは、豪社会で長い年月虐げられてきた。今でもアルコールや麻薬、失業などで社会の底辺で喘ぎ苦しんでいる。これは、アボリジニの人たちが無能なのでなく、植民地化の末に、土地も故郷も言葉も家族も失った人たちの断末魔の姿だ。とても悲しいことだ。
 一方、移民や難民できた人たちの多くは、最初苦労しても、やがては社会で仕事を得て、認知され、居場所を確立し、中には成功者となる者もいる。しかし、ここで何千年も暮らしている先住民の人たちは過去200年の間に居場所を失い、今も不安定な暮らしをしている。さっき警官にもみくちゃにされた男には何か事情があったのだろうけど、ぜひ頑張って欲しい。

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オーストラリアの先住民には頑張って欲しい。これもネイティブのトカゲ。どっちが前?


イギリス風コテージに泊まる

 さて、オーストラリ人はイギリス風なものを好む。昔はオーストラリアで「海外=overseas」というと、イギリスのことであったと言う。それくらい、顔がイギリスの方を向いていた時代があった。今はそれほどでもないが、それでもイギリスを渇望するオーストラリア、みたいな面は、そこらに散見される。僕たちがミルデューラで泊まったコテージ(一軒家の宿)も、イギリスの田舎屋風であった。「オーストラリア風イギリス田舎屋風の家」だ。まあ、気持は分かるが、妙と言えば妙な趣味だ。全然違うかもしれないが、中国人が日本のラーメンとかギョーザを見たらそんな風に思うのかもしれない。あるいは、僕がオーストラリアの水道管のような巻寿司を食べて、「これは寿司と言うより、SUSHIであるな」と思うようなものかも。

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英国風コテージの中

 しかし、なにがどうあれ快適な宿だった。外壁はオレンジ系ピンクでやや派手、室内はカントリー風、アンティック風(あくまでアンティック風ね)の置物や調度でまとめてある。田舎風だが居心地が良い、というのがオーストラリアだ。シャワーのお湯だって、栓をひねれば、どばっと出るし、ガスヒーターも強力だし、ベッドには電気毛布も入っている。イギリスの本物の田舎家は、本当に古いから居心地がちょっと悪い可能性があるが、オーストラリアの田舎家は、近代的で居心地が良い。
 
ミルデューラの一日

よく朝、仕事のある女房は早く出て行ったが、鈴吾郎と僕は、ふかふかのでっかいベッドで朝寝坊し、イギリス風にベーコンエッグとトーストの朝ご飯を食べた。それから、歩いて女房が仕事をしているギャラリーに行き、ひとしきり制作を手伝う。毛糸の玉をほぐし、脚立に登って天井からそれをたらし、床に結びつける。これを何百本もやっていく訳だが、光があたると海中にさしこむ光の束のように見える。ところどころに女房がミルデューラの小学生と一緒に作ったドライフルーツ(地元の物産)のモビールを吊るす。光の束と、ひからびた果物のコントラストが面白い。 

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チャコの作品

 隣のアーティストはミルデューラ出身のイタリア系の女性で、ビデオのインスタレーションと繊細なピンク色のドローイングの組合わせの展示だ。ビデオはイタリアから植民してきたイタリア移民のおじいさん、おばあさんのインタビューで、年寄りたちが登場し、イタリア訛の分かりにくい英語で自分たちの経験を話す。その音声の背後には、イタリア語のABCをたくさんの子どもたちが朗読している声が重ねてある。それが呪文のように繰り返される。

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チャコの作品

 しかし、作業をしながら、そのイタリア語ABCの呪文を長時間聞いていたら、何だか頭が痛くなってきた。前からそうなのだが、こういう意味の分からない言語音をずっと繰り返し聞いているのは少し苦手だ。
 他にもたくさんアーティストがいて面白かった。鈴吾郎が大変興奮したのは、流木やそこらのガラクタで、ライフルや機関銃を作っていたアーティスト。武器というと過激だが、作品はとてもほのぼのしている。鈴吾郎は、常日頃、過激なライフル銃や拳銃や弓矢をうちで作っているから、うっとりとこれらの美しい「兵器」に見ほれていた。オーストラリアの社会全体、特に鈴吾郎が通っているシュタイナー学校では、もちろん子どもが銃などの武器で遊ぶことは奨励されていない。しかし、こういうのが好きなのは男の本能かもしれない。
 作業も一段落したので、鈴吾郎と自転車でミルデューラの町を走りまわった。ミルデューラは平らなので楽ちんだ。マレー川沿いには気持のよい砂利道が続いているので、ここをすっ飛ばす。マレー川を観光用の外輪船が行き来していて、どこからかカントリミュージックが聞こえてくる。
 昼は宿に戻り、「出前一丁」のインスタントラーメンを作って食べる。鈴吾郎は、僕とキャンプなんかすると、いつも「出前一丁」を食べたがる。今どきインスタントラーメンという感じだが、僕も息子とネギかなんかパラパラ刻んでのせた出前一丁がけっこう好きである。
 午後、スーパーに夕食の買い出しに行く。僕は外食が好きではない。ひとつは、子ども連れでレストランに入るのが嫌いなのと、昨今のオーストラリアは物価がめちゃ高いからかもしれない。
 宿の近くには、コールズというスーパーがあった。大きな町にコールズはどこにでもある。それとウールワース(セーフウェー)もどこにでもある。オーストラリアの「大きな町」という定義のひとつは、これら二つのスーパーがあるかどうかかもしれない。
 この二つのブランドのスーパーはが激しく競争している。それは、政治で労働党と保守党が入れ替わり立ち替わり政権をとっているのと似ている。自動車会社も、オーストラリアでは、ホールデンとフォードがライバルである(どちらも業績が悪くてつぶれそうだが)。どこでもそうだが、一党独裁は良くない。企業でも、アップル、マクドナルド、東京電力など独占企業は、裏でも表でも、ろくなことはしてない。もちろん二党制だって、それ以外の勢力を阻むところがあるから良くない部分もあるが、一党独裁よりは良い。
 コールズもウールワースも、オーストラリアではどこへ行ってもほぼ同じ場所に同じ品物が置いてある。地域性がない。と言うより、排除している。オーストラリア人は、スーパーというのはどこでも均質であるべき、と思っているようだから、地元の物産を置いて集客するという感覚があまりない。日本では、土地柄が大切だが、オーストラリアでは、ことに食べ物に関してはあまりそうではない。そのせいか分からないが、オーストラリアの英語も驚く程地域的な方言がない。それはアメリカやイギリスと大きく違う。(もちろん、オーストラリア英語自体は、独自の方言と言えるけど。)
 で、スーパーだが、僕は普段ウールワースに行き慣れているので、コールズに入ると迷子になる。それで、買い物に余計時間がかかる。しかし、急ぐ訳でもないから、迷子になりつつ買い物を楽しむ。夕食は、焼き肉とサラダにすることになった。鈴吾郎にメニューを相談すると、「焼き肉かスキヤキかギョーザかピザ!」になってしまう。
 帰りがけ、隣のコールズ系の大きな酒屋に入る。体育館のような広さだ。オーストラリア人は酒飲みだが、田舎の人はよほどたくさん飲む。都会では、飲む酒の男女差はなくなってきているが、このごろは、男でも白ワインとかシャンパンとか飲むようになったが、田舎の「本当の男」はビールしか飲まない。
 で、ここにも「地酒」コーナーはなく、ワインもビールも、機械的に、種類別、銘柄別に置いてあるのみ。情緒も何もない。僕は、ミルデューラの地ビールMildura Breweryという銘柄を探すが、弱小のレーベルだから隅っこの方にやっと見つけた。それも、すごく恥ずかしそうに、ちょっと置いてあっただけ。地元なんだかから、もっと宣伝すればいいのに。でも、全国版大手量販店は、地元の小企業には冷たいのかもしれない。

世界遺産「マンゴ国立公園」

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翌日も女房のアート制作を手伝う。一日中、はしごを上り下りして足腰が痛くなった。でも、どうにか目処がついたので、ミルデューラ滞在最後の日は、いよいよマンゴ国立公園に行くことにした。ミルデューラからは110キロ、マレー川を渡ったニューサウスウェールズ州側にその公園はある。オーストラリアの国立公園(National Park)は最低限の施設(公園事務所、トイレ、キャンプ場など)しかなく、お店もホテルも食堂と言った商業施設は全て外にしかない。マンゴの場合は、一番近いお店まで90キロ離れている。

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マンゴへの道

 早起きして、お弁当のサンドイッチを作る。車はミルデューラを出て、マレー川を渡り、牧場の中の快適な道を10キロ程ゆく。すると道は突然赤土のダートに変わる。まるで洗濯板の上を走っているようだ。地図上では、実線でなく点線の道路だ。地図には「四輪駆動でなくとも通行可」と書いてあるが、ダートが始まるところの標識には「雨が降ったらこの道は閉鎖」とあった。なるほど、そうだろう。
 ダートでも制限速度は110キロであるが、とてもそんなスードでは走れない。僕の車はもう28万キロも走っているので、サスペンションも無きに等しい。ガタボコ道のショックがダイレクトに伝わってくる。それでも、慣れてくると段々70、80、90キロと速度は上がっていき、平均90キロくらいで飛ばす。後ろには赤い埃が立ち上り、まるでパリ・ダカールラリーみたいだ。
 そんな道を一時間、マンゴ国立公園に到着。さっそくインフォメーションセンターに行き、地図を見る。公園内も車で一周できるようだ。

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地表の隆起

 それで、まずGreat Wall of China(中国の長い壁)と呼ばれる、地面が壁のように隆起した場所を見に行く。
 マンゴ湖(水は一滴もない)を囲むようにして、地面が隆起している。ここは4万年前以上前の地殻が露出していて、遠い昔に闊歩していた身長3メートルの巨大カンガルーや巨大ウォンバット、あるいはティラシンと言われる肉食虎の化石などが出てくるらしい。マンゴという名前は、マンゴ人という4万年前、一説には6万年前に生きていた人たちの名前からとられている。1969年に発見された化石からその存在が分かったと言うが、この人たちは人類で初めて火葬をした人たちとして知られているそうだ。どうして火葬したのかは良くわかっていないが、死者が生者を脅かすことがないように、という仮説がある。(日本のように人口密度が高い場所で死者を火葬して埋葬するのは利にかなっているが、こんな広くて人口密度が低い場所で火葬するには、よっぽどはっきりした理由がひつようだろうな。)
 
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移動する砂丘の上を移動する息子

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エミュはそこらじゅうにいる。いつもつがいで。

世界遺産のトレイ

  今回の旅行の驚きのもうひとつは、展示物のトイレだった。
 さて、ガタボコ道をさらにぼこぼこ走り、今度は1940年代までこの土地で牧場経営をしていたザンキという家族の牧場跡を見に行く。ここも史蹟として保存してある。古い住居跡のレンガの煙突、地下室、羊の毛刈り小屋などがオリジナルな状態で保存してある。まあ、オーストラリアにいると、こういうものは珍しくないから、「ふむ、ふむ」とさっさと見て歩く。
 これらの展示物の間に古いトタン張りのトイレがあった。まあ、4万年前のマンゴ人に比べれば、60年前の牧場跡といのは、それほど古くないが、このトイレも、見ると背後には配水管がついていたりして、どこか新しい気もする。このトイレはオリジナルか、新しく作ったものか、ちょっと定かでない。そんなことを考えていたら、そのトイレの扉を何気なく開けた鈴吾郎が叫んだ。
 「うへえ、くっせー!」
 「どうした、何が臭い?」と僕は尋ねた。
 「誰かここでウンコをしたんだよ。見てよ、パパ」と、ゲラゲラ笑いながら僕をトイレに引きずりこもうとする。
 怖いもの見たさでのぞくと、本当に黒いウンコがびっしりとトイレに詰まっている。え? 1940年のウンコがいまだに臭いはずがあるか? と、僕は目が点になった。いや、このウンコは、最近のものに違いない。誰かが脱糞したものの、砂漠のトイレだから、水を流すにも流す水がないことに後で気がついたに違いない。何というアホなことだ。
 そして、本当に臭い。本物である。やはりこのウンコは展示物ではない。それにしても、世界遺産の展示物のトイレにウンコをするとは、大した度胸だ。それに、公園のレインジャーは、どうしてこのウンコを掃除しないのだろうか?
辺りを見回すとここらにトイレはない。だが、隠れてウンコをするに適した薮や木はいくらでもある。普通なら、そうした物陰で脱糞するものだ。 
 だが、これは大犯罪だ。しかし、犯人はとうに逃げてしまった。だから、どうしてこんなところにウンコがあったのか、誰がしたのかは分からずじまい。
 とにかく、世界遺産なんだから、はやく片付けて欲しい。

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世界遺産の臭いトイレ

オーストラリアで一番低い山、ウイチェプルーフ山(標高43メートル)登頂

さて、今回の旅行の三つ目の驚きは、僕と鈴吾郎が、オーストラリアで一番低い山に、知らない間に登っていたという事実である。(そう低い山。高い山じゃありません。)

 僕は、もともと山登りが好きである。そういう事実を知らない人もこの文章を読んでいる中にはいるだろうからあえて書いておくが、僕は大学時代にワンダーフォーゲル部に属し、副主将までつとめた筋金入りの山男だ(だった)。南アルプス、磐梯山、八ヶ岳、秩父、奥多摩、丹沢などは、自分の家の裏庭のように知っている(知っていた)今まで登った山で一番の最高峰は、アメリカはワシントン州にあるレイニアー山4300メートルだ。富士山よりも600メートルは高い。(自慢すんな!)
 さて、そんな僕だから山登りにはうるさい。オーストラリアで一番高い山はコジオスコ山で、2228メートル。どうということはない。頂上までリフトもついている。7大陸最高峰を全て登った登山家のディック・ベイスも、ちょっと拍子抜けしただろう。僕も、近くまでいったことはあるが、登ったことはない。わざわざ登る程でもない。
 だから、逆に、オーストラリアで一番低い山に知らないうちに登ってしまっていたというのは、ややびっくりだった。

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オーストラリアで一番低い山、ウィチェプルーフ山

 事の次第はこうだ。
 四日間のミルデューラ滞在も終わり、五日目にメルボルンに鈴吾郎と僕は戻ることになった。同じ道を、来た時と同じように時速110キロで走った。来たときにも退屈な景色だから、帰る時はもっと退屈だ。鈴吾郎とは話す種も残ってない。しかし、鈴吾郎は、上にリストしたような話題をもう一度おさらいするように繰り返す。
 で、途中1時頃、お昼を食べることになった。お昼は、またもや僕が作ったサンドイッチで、あまりエキサイティングとは言えない。それでも、Wycherproofという、何と発音したら良いのか分からない小さな町が近づいてきたし、天気も良いし、「どこか木陰でも見つけてちょっと一休み」と思ったら、「ウィチャプルーフ山の頂上展望台まで1キロ」という標識が目に入った。展望台とは、お昼を食べるにもってこいだ。
 ウィチャプルーフ山は小高い丘で、てっぺんにテレビや電話のアンテナと、町に水を送る貯水タンクが「でん!」とのっかっていた。鉄道の枕木を地面にとめる釘を溶接して作った、球状の彫刻もあった。なかなかアートしてるな、この町は! 景色は絶景とまではいかないが、まあまあかな。

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オーストラリアで一番低い山の頂上にある彫刻

 頂上には、町のライオンズクラブが立てた看板があって、「オーストラリアの地図に登録された一番低い山、ウィチェプルーフ山標高43メートル」とあり。(これ以上低いと、山でなくて丘ってことなのかな?「山」の定義って何?
詳しくは、http://en.wikipedia.org/wiki/Mount_Wycheproof )

 僕と鈴吾郎、とにかくこの低い山の頂上でサンドイッチを食べた。鈴吾郎は、サンドイッチ片手に、近くのひょろひょろしたユーカリの木の根元で立ちションをする。(汚ねえなあ、お前。サンドイッチ持ったまま小便すんな! でも、まあ誰も見てないからいいか。)そして、見るとはなしに、この木の根元を見ると、おお、何か銅板が埋めてある! で、読むとはなしに読むと、「ウィチェプルーフ・ライオンズクラブ交換留学生、セキ・ノブユキ氏が植樹。1972年」と書いてあった。何と、これは由緒ある木なのではないか! そこに立ちションするとは何事かだ! 

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セキさんの銅板

 「りんごろう、セキノブユキさんに謝りなさい」とまで言わなかったけどね。でも、はっきり言ってこのユーカリの木、植樹されてから40年もたつのに、これしか丈がないとは、あまり栄養がよくないんじゃないの?というのが僕の感想だ。
 僕としては、セキ・ノブユキさんに「あなたの植えた木は今でも枯れずに、オーストラリアで一番低い山のてっぺんに立ってますよ」と、お伝えしたい気持でいっぱいだ。誰か、1972年ごろ、ライオンズクラブの奨学金でメルボルンに留学していたセキ・ノブユキさんを知ってたら教えて!
 
 そう言う訳で、驚きに満ちたミルデューラ旅行だった。オーストラリアの田舎は、なかなか良いところだよ!
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2013年08月01日

血圧計のないオーストラリア

2013年8月1日

血圧計を買った。機種はオムロン、オーストラリアドルで29ドルだった。イギリスの会社から買ったので郵送に3週間かかった。日本製だと思ったら「ベトナム製」だった。

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うちの血圧計はシンプル

 なぜ血圧計なんか買ったかと言うと、かかりつけのGP(町医者をオーストラリアやイギリスでは、General Practitionerと言う。普通の病気や怪我は何でも見てくれ、専門医が必要なら紹介状を書いてくれる)に、最近「血圧が高くなってきたねえ」と言われたせいだ。

僕の健康

 僕のGP、イギリス人マイケル医師には、10年程前からかかっている。いろんなことで受診しているから、彼は僕の最近10年間の健康データを持っているのだ。
 僕は、しかし、健康には自信がある。身長170センチ、体重は56−59キロを維持している。コレステロールや血糖値、ガンマGTPなんかも大丈夫だ。運動は、カヤック、カヌーを始め、自転車、ヨガ、薪割り、庭仕事など、毎日やっている。外食はほとんどしないし(この辺には食べる場所もないし)、揚げ物なんかも作らない。肉は好きだが、たくさんは食べない。風邪もほとんどひかないし、早寝早起き。

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最近は、毎朝女房と心臓破りの坂を上り下りしている。汗だくになる。

 しかし、それでも絶対的な運動量が足りなかったのだろう。酒も、深酒はやらないが、晩酌はほぼ毎日やっていた。血圧が高めなのは、遺伝もあるかもしれない。とにかく、もう50才を越えた訳だし、健康には留意せよという警告に受け取った。そんなで、血圧をモニターするために、オムロンを買った。当然の投資だ(たった29ドルで何を言う!)

子どもの血圧

オムロンがうちにくると、子どもたちも大喜びで競って血圧を測りたがった。10才の鈴吾郎(小学4年)も、18才の鼓子(バレリーナ/大学生)も、上が100くらい、下は70台。驚異的な血圧だ。若いってのはいいねえ。ベジタリアンで、酒も飲まなく、もともと血圧が低い女房も、上が90から100の間である。うらやましい。僕は常に130台で、医者に行くと「白衣高血圧症」なのか、すぐ140台になってしまい、マイケル医師を「あれれ?」と慌てさせる。女房曰く、「血圧が130以上あるっていうのは、どんな気分?」 そんなこと言われても分からないよ!
 そう言えば、うちのネコのタマも7才、もう中年なのだ。食べ過ぎでまるまる太っている。タマの血圧も測ってみたいが、どうやって計るんだろうか?しっぽに巻いてみようか?

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水を飲むタマちゃん


血圧計の見当たらないオーストラリア

 血圧計を買ったもうひとつの理由は、オーストラリア社会では血圧計がそこらに見当たらないからだ。医者にはもちろんあるが、他の場所には置いてない。血圧計るたびに医者に行っていたのでは金がかかりすぎる。
 日本だとあらゆる公共の場所にあるだろう。病院の待合室、薬局、市役所、温泉やプール、飛行場。そう言えば、近所の床屋にもあったなあ。血圧計を見る限り、日本社会は老人に優しく、高齢者を気遣っている気配に満ちあふれている。
 一方、オーストラリアにはそんな気配りはない。移民の国であり、毎年のように何万人も若い移民や難民をインドや中国や東南アジアやアフリカから「仕入れ」て、それで人口と平均年齢を調整してしまうのだ。先週も、120人もイラン難民を乗せたボートピープルが、オーストラリアの領海にやってきたが、そんなのが毎週のように押し寄せてきている。その移民難民から、オーストラリアにとって都合の良い人たちだけを受け入れ、そうでない人は追い返している(まあ、人道的に受け入れている、とは言っているけど、疑わしい。)
 そんなで、老人問題はオーストラリアでは、日本ほど深刻ではない。特に、血圧計の設置を見る限り、その対応は遅れていると言わざるを得ない。僕は、大金を払ってプライベート健康保険にも入っているが(歯医者、マッサージ、眼鏡代、プライベートな病院の入院費などがカバーされる)、驚いたことに、血圧計のお金は出してくれなかった。そんなに血圧を知りたければ自分で買え、という、そんな社会なのだ。
 
オーストラリアで年をとる

 血圧計を買ったと言うことは、客観的にみても、僕はもう若くないと言えよう(当たり前だ、若者が血圧計を買うかい!)。でも、まだ年寄りという程ではないし、末永く元気に生きたい。そこで、血圧もモニターしてみようという考えなのだ。
 死ぬ時はポクッと死にたいと思う人は多いだろう。僕もそうだ。それは逆を返せば、老いても健康でいたい、ということだろう。オーストラリアでは、肥満や食品アレルギーの人がすごく多い。これらは、糖尿や心臓病、ガンなどの重大疾患にもつながるだろう。こういう人は、食事制限にがっちり縛られて生きている。遺伝の人は気の毒だが、多くは生活習慣が原因だ。僕が嫌なのは、これを食べちゃいけない、あれは飲んじゃいけないと制限されることだ。幸い、そういう制限は今のところないから、食べたければ、何だって食べていい。

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躊躇なく、ステーキサンドイッチをばくばく食べる鈴吾郎10才

 運動だって、どこも悪いところはないから、激しい運動は控えなさいとかも言われていない。一ヶ月程前には、カヤックでエスキモーロールの猛練習をしたら腰を痛めた。軽いぎっくり腰かもしれないが、オーストラリアには「ぎっくり腰」という言葉がないから分からない。でも、整体の先生は「大丈夫、ちゃんと直せばまたいくらでもできるようになりますよ!」と太鼓判を押してくれた。だから、懲りたわけではない。機運を睨みつつ、着々と準備をしているのだ。 
 
それだからこそ、健康維持のために、朝夕鋭意オムロンの電源を入れて、血圧を測っているのだ。
メルボルンの春はもうそこまでやってきた。今は椿が満開で、梅もちらほらこぼれだした。これからが良い季節だ。
 ここで一句。
 
  血圧計 吸って吐くのは 春の風

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健康に良いか悪いか分からないが、釣りも好きです(これはカワハギ。オーストラリアにもいます)。
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2013年07月06日

冬のある日、イベントフルな一日

2013年7月4日

メルボルンのシティで、息子と「カツ丼」と「ラーメン」のお昼を食べる

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メルボルンの6月末はもう冬だ。ある平日、息子鈴吾郎の学校も冬休みになったので、二人してダンデノン山を降り、メルボルンのシティに出向いた。目的地は日本領事館である。
 領事館には、パスポートの更新以外には滅多なことでは行かない。しかし、今日は無料の日本映画上映会があるという。黒澤明『七人の侍』と、アニメ『ナルト疾風伝』の二本立てなのだ。『七人の侍』は、僕が見たい映画、『ナルト疾風伝』は、鈴吾郎が見たい映画だ。10才の彼は、今は日本のアニメやマンガに目がない。二人の利害が一致したので、「じゃあ、行ってみよう」ということになった。
 シティに行くには電車が良い。メルボルンの電車は東京の電車のように頻繁に来ないし、特急や急行もあまりなくて、のろのろしているが、まあ、たまに乗るには風情があって良い。最近は、マイキーという自動改札になったが、これが難物で、カードを改札のセンサーにべたっと貼付けて、2秒ばかり待たないとちゃんと認知されない。僕は、初めてマイキーを使った時、日本の自動改札のつもりでカードを「軽くかざした」だけで乗車したが、それではだめで、その後、運悪く車内検札にひっかかって無賃乗車と間違われた。そのままでは、300ドル近い罰金をとられる。しかし、それは全くの濡れ衣だったし、その時は、鈴吾郎が証人としていたので、電車会社に手紙を長々と書いて釈明した。そしたら、罰金はとられないで済んだ。しかし、手紙を書くのに2時間もかかってしまい、全く時間の無駄だった。
 メルボルンの電車は、以前メルボルン大学に勤めていたとき、片道1時間、5年間通勤に使った。オーストラリアの通勤電車は田舎くさい。車内で飯を食う奴、大股を広げて新聞を読むオヤジ、化粧をする女性、ケータイで商売の話をしているビジネスマンなどがいる。さらに、隣に座った人がすぐ話しかけてくるのもけったいだ。
 まあ、そんな電車でもたまには良い。そもそも車を運転しないですむのはほっとする。オーストラリアで暮らしていると、移動はいつも車だから、まったくうんざりする。
 で、どれくらいメルボルンの電車が遅いかと言うと、うちのあるベルグレーブの山駅からシティのサザンクロス駅まで40キロ、これに1時間かかる。これが中央特速や京王線特急だったら25分だろう。
 さて、僕と鈴吾郎、一時間も乗ってあきあきしたころサザンクロスに着いた。ここは大きくて立派な駅で、見事な建築である。長距離列車や空港へ行くリムジンバスも出ている。大きなアーチ型の天井は、スポーツ競技場のように高い。
 僕と鈴吾郎、サザンクロスで、駅構内のスーパーマーケットのウルワースに入り、映画を見ながら食べるおやつを買う。『七人の侍』は三時間以上、『ナルト』が1時間半、合計5時間も映画を見る予定だから、僕はともかく、10才の息子には、おやつが必要だ。シティのウルーワースはビジネス客が相手だから、お弁当や軽食の品揃えがいい。うちの近所のウルワースなどは、場末中の場末なので、必要最小限のものしか売ってない。シティのウルワースには、お弁当売り場、デリカテッセンなんかがあるので、「まるで外国へ来たみたいだねえ!」と鈴吾郎が喜ぶ。僕も日本のデパ地下をちょっと思い出す。(まあ、それほどではないが。) 
 ここで、鈴吾郎は、茹で枝豆、キュウリび細巻きを買う。このふたつは、鈴吾郎の大好物だ。僕がメルボルンのスーパーで枝豆とキュウリの細巻きを買ったのは17年間こちらに住んでいてこれが始めてだった。思わずカレンダーに赤丸を付けたくなった。

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これはオーストラリアの回転寿司のおいなり(美味しくない!)

 さて、枝豆とキュウリ巻に気を良くしてウルワースを出ると、ちょうどお昼時。「ようし、せっかくシティに来たんだ、なんか旨いものを食おう!」と、僕は力強く言った。鈴吾郎も、「よし、何を食べようか?」と弾んだ声で答える。
 賑やかなバークストリートを歩いていくと『鳥xx』という日本語の看板が見えた。「ここで食べようか?」と僕は胸を張って言う。ウインドーのメニューをのぞく。焼き鳥丼、幕の内弁当など、旨そうなものがあるが、値段を見ると、どれも20ドルかそれ以上、昼飯で食べるにはやや高い。膨らんでいた気持がしゅんとしぼむ。しかし、ここはオフィス街だから仕方がない。少し歩くと、中華屋がある。ここらならきっと手頃だろう。
 中華屋をのぞくと、中華に混じって「katsudon=カツ丼」、「ramen=ラーメン」などの文字が見えた。「あるじゃないか、ラーメンにカツ丼!」と、僕は嬉しい声をあげた。鈴吾郎も「じゃあ、ここだね、パパ!」と、期待に鼻の穴を膨らます。
 カウンターで「ラーメンとカツ丼ね」と注文する。やっているのは、広東語を話す中国人家族。店を眺めると、昼時だと言うのに空いている。少し嫌な予感。 
 実は僕は、メルボルンの中華屋における「日本食」には何度か痛い目にあっているのだ。特に、中華屋のカツ丼にはかなり裏切られている。一度うちの近所の中華屋で食べたカツ丼は、一見確かにカツ丼だった。その証拠に、白いご飯の上にカツらしきものがのっていて、それは卵に覆われていた。それで安心していたら、その卵は、日本のカツ丼のような卵とじではなく、オムレツのようなものであった。そして、カツには、びちゃびちゃトンカツソースがかかっていた。「カツ丼にトンカツソースかけるバカがいるか!」と怒鳴りたくなった。そして、カツの下にひいてあったタマネギは、ただの炒めタマネギだった。そして、ご飯は、もちろん中華風ぼそぼそご飯であった。全くのギャフンである。
 しかし、それにも懲りず、僕はそれ以外にも2、3回メルボルンの中華「カツ丼」を食べたことがある。みんな大同小異だった。
 だから、もはや、メルボルンの中華屋が作る「カツ丼」など食べなければいいのに、つい僕は注文してしまう。(だって、カツ丼が好きなんだからしょうがない。)
 さて、待つこと3分、鈴吾郎のラーメンがきた。それを見て、「うん?」と僕は思わず言ってしまった。ラーメンの表面は、タマネギとピーマンの細切りと鶏肉が覆っている。スープはどんより濁っている。僕たちの理解しているラーメンは、ネギ、チャーシュー、ナルト(そう、これからアニメ『ナルト』を見るのだ)、海苔などがのっているはずだ。そしてスープは、澄んでいるはずだ。それが伝統的日本ラーメンである。鈴吾郎は、オーストラリア生まれ、オーストラリア育ち、国籍もオーストラリアのものを持っているが、味覚は立派な日本人である。ラーメンにもうるさい。
 そんな鈴吾郎だから、思わず「パパ、これラーメンじゃないよ!」と叫んでしまったのは致し方ない。
 「まあ、食べなよ、きっと旨いよ」と、僕はあきらめ顔で言う。鈴吾郎は、レンゲでスープを一口飲み、「う、甘い…」と漏らす。そして、浮かない顔でラーメンをすすった。僕も一口食べたが、確かに汁は甘めだ。しかし、麺はラーメンにかなり近いものであった。そこで、「ま、我慢して食べなさい。」と、僕は尊大に言ったのだった。
 だが、これでいよいよ僕の「カツ丼」には期待ができなくなった。ラーメンがこれでは、カツ丼はどんなか?
 さて、待つこともう2分、何が入っているか分からないが、広東人兄ちゃんが運ぶドンブリが、カウンターを発ってこちらへむかってきた。兄ちゃんは、なまった英語で「enjoy!」などと陽気に言って丼をテーブルに置いた。
 見れば、トレイの上には小さな小皿も載っている。そこで、期待をこめてドンブリを覗き込むと、「うう、?????」であった。
 一瞬、自分の目が信じられなかった。2、3度、瞬きをしてから、もう一度見る。幻ではない。白いご飯の上に、カツ様のものが5枚。しかも、紙のように薄い。そして、その下には、マッチ箱ほどの大きさのレタスが一枚。それだけである。タレも何もかかっていない。卵もない。タマネギもない。何もない。カツと小さなレタスのみ。こんなカツ丼、みたことない。名古屋のソースカツ丼だって、もっとちゃんとしている。
 我が目を信じられず、小皿の方を見る。がーん!何と、そこには、トンカツソースとマヨネーズが入っている。たったそれだけ。
 「トンカツにマヨネーズ、これをどうやって、食えっていうんじゃい!」と、僕はうなってしまった。「これは断じてカツ丼ではない!」と、僕は思わずカウンターの方を恨めしげに見たが、広東人たちは笑顔で受け流す。その隙に、鈴吾郎は「あ、そのカツ、おいしそう!」とか言って、あっと言う間に2枚をぱくぱく食べてしまった。ああ、残ったカツはたった3枚!これでどうやって、どんぶり一杯の飯を食えと言うのじゃ?
 しぶしぶ、カツにソースとマヨネーズを付け、大事、大事に食べる。それでも頼みのカツ三枚はすぐになくなり、最後に小さなレタスにマヨネーズを付けて食べる。まだご飯がたくさんあるので、鈴吾郎のラーメンの甘い汁を飯にかけて食うが、半分くらいで文字通り、匙を投げた。
 せっかくシティに出て来たのに、情けない昼飯だった。
 
 日本領事館の映画上映会
 
メルボルンでは、もう二度と中華屋カツ丼は食うまいと決心して店を出る。(でも、きっとまた食べるだろうな。)
 日本領事館はすぐそこだ。きっかり2時から上映会が始まった。やはりここは日本である。鈴吾郎10才には『七人の侍』は難しいかな、と思った。しかし、スターウォーズを作ったスピルバーグが、そのインスピレーションを得たのがこの映画だと、彼には、きっぱり言ってある。鈴吾郎はスターウォーズを何よりも愛するから、スピルバーグは言うならば鈴吾郎の神さまだ。そして、黒澤明はそのさらにその上だから、神さまの神さまということになる。
 鈴吾郎は、案の定、食い入るように画面を見ている。志村喬、三船敏郎、加東大介、木村功、千秋実などが登場し、渋い演技を見せる。三船敏郎の「山猿」の演技には鈴吾郎も声をたてて笑う。黒澤流の物語の盛り上げ方もいい。次に、どんな場面がくるか見ていてよく分かるし、だから、クライマックスに向かってテンションががんがん高くなる。ハラハラのしっぱなし。鈴吾郎も、さっき買って来た枝豆やら、キュウリ細巻きなどを食べながら楽しんでいる。よしよし。
 そんなで『七人の侍』の三時間半は、あっという間に過ぎた。さあ、次はアニメ『ナルト疾風伝』。これはどうかなあ、と思う。昼に食べたカツ丼が脳裏を横切る。僕は、そもそもアニメが好きではない。まあ、今日は息子のお供だから仕方がない、という気持で90分つき合った。
 結論から言えば、『ナルト』はまったく面白くないというほどではなかった。(回りくどい言い方だな。)日本神話がストーリーの下敷きにあり、そこに忍者が加わる。その忍者は、現代の探偵会社みたいなところで働いている。何だか、昔のテレビドラマ『傷だらけの天使』みたいな設定だ。その上、チャクラとか、ヨガとか、そういうインドっぽいものが出てくる。登場キャラクターの姿は、シンプルにマンガ/ギャグ風に描かれているが、一方、情景は極めて写実的にリアルに描くという宮崎駿的なアニメ文法で、もう日本のアニメ作品の定番そのものといった感じだった。でも、ストーリーは全然だめ。黒澤を観たすぐ後に比較するのも何だけど、次の場面がどうなるかまったく予測もつかず、わくわくする間もなく場面が展開してしまう。そして、次々に魔法的な技を使って相手を倒すので、必然性も理由もへったくれもない。最後のクライマックスも原爆の炸裂のような爆発が連続するだけで、何が起きているかも分からないうちに悪者が退治されて話が終わる。いったい何じゃこれ?
 やっと『ナルト』が終わり、領事館を出ると外はもう夜。「パパ、どっちの映画が面白かった?」と鈴吾郎。「七人の侍かな。パパは古い映画が好きだから」と僕。「うん、僕も七人の侍が好きだったよ。あのチャンバラが強いおじちゃん、かっこいいね。きっと忍者だね、あの人!」と鈴吾郎。そして、「でも、ナルトも面白かったよね」と付け加える。「そうだね、思ったよりも良かった」と僕。
 「さて、夕食を食べて帰るか?」と言うが、ずっと座っていたので腹も減ってない。さっきの「カツ丼」がまだ胃の中にある。
 そこで、またサザンクロス駅に歩いていき、帰りの電車に乗る。

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りんごろう侍

メルボルンの酔っぱらい「紹興酒男」

やってきた電車は、途中駅リングウッド止まりの各駅停車だった。が、寒いホームで待っているよりは乗ってしまおうということになった。でも、考えてみれば、リングウッド駅でまた次の電車を待つのだから、結局同じことだ。しかし、そこはせっかちな我々父子だから、仕方がない。
 車中、親子仲良く、丸バツのゲームや、あみだくじなどを紙に書いて遊ぶ。それにも飽きると、鈴吾郎はリュックからマンガ『コナン』(英語版)を取り出して読みふける。周りは通勤客だが、メルボルンの夜の電車はそんなに混まないのでリラックスできる。
 見ると、向かいに座っている男は、ビニール袋にしのばせている酒をちびちび飲んでいる。人種、国籍はよく分からない。白人と東洋人の混血のような、南アメリカのような、そんな風体だ。人種は分からないが、着ている服、履いている靴は、まったくのボロだ。大きな、汚いスーツケースも抱えている。ホームレスかもしれない。まあ、そういう人だって電車に乗ることもあろう。
 それはいいが、車内の飲酒はメルボルンでは禁止だ。罰金500ドルくらい取られる。ところがこの男、そんなこと気にしてない風で、ちびちび飲んで楽しんでいる。飲んでいるのは、珍しいことに中国の紹興酒だ。普通こういう手合いは安ビールか安赤ワインだが、案外こいつは違いの分かる奴かもしれない。 見れば、紹興酒の瓶を隠し持っているビニール袋には「亜州食品公社」と漢字で書いてある。ははん、こいつは、チャイナタウンの安いスーパーで買い物をしてきたんだなと分かる。
 この紹興酒男、かなりの酩酊だ。目がとろんとして、体もグニャグニャ。こんな酔っぱらいはメルボルンの公共の場では珍しい。まあ、この人は楽しそうだからいいけど。こいつ、ラッパ飲みでちびちび飲みながら、落ちている古新聞を拾って読もうとするが、電車がゆれて、よたよたする。どうにか拾って読み出すが、今度は視線が定らない。今度は、汚いスーツケースのジッパーを開けにかかる。また体が揺れてなかなか開けられない。それでも、紹興酒の瓶を下に置いたり、思い直して倒さないようにまた持ったりしながら、ようやっとスーツケースを開ける。すると、中には、ボロいノートパソコンやら、着替えが入っているのが見える。そして、「亜州食品公社」のビニール袋がもういくつか入っている。その中には、鶏肉のパックやら、ブロッコリ、キャベツ、インスタントコーヒーや醤油の瓶なども入っている。スーツケースにはプラスチックの皿なんかも入っている。つまり、このスーツケースには、こいつの所持品一切合財が入っているわけだ。僕は、吹き出しそうになるが、スーツケースを引きずって買い物するこの男の哀れな姿が目に浮かび、やや可哀想になる。やはりこいつはホームレスか、あるいはアパートを追い出されて、宿を求めてさまよっている風来坊なのだろう。だとしたら、紹興酒なんか電車の中で飲んでいる場合か!
 さて、紹興酒男は、ボトル片手にスーツケースの中のものをひと通り検分して安心したのか、ジッパーを閉めにかかる。ところが、プラスチック皿が出っ張っていてなかなか閉まらない。皿を押しこんでからジッパーを閉めりゃ良いのに、タコ状態だからそんな簡単な作業もできない。僕は、思わず、手伝ってやろうかと体を乗り出しかけたが、スリと間違われたら困るから、黙って見ていることにした。そのうちどうにか、タコ男、ジッパーを閉めるのに成功した。やれやれだ。
 電車は、そうしているうちにヌナワディング駅に停まった。降りる客はドアの前に群がり、ドアが開いてみんな降りていく。ドアが閉まる瞬間、紹興酒男もここで降りるはずであったことに、はたと気がつく。そこで、紹興酒とスーツケースをひっつかみ、よろよろしながら、ぎりぎりでドアをすり抜けた。後には「亜州食品公社」のビニール袋が一枚と、紹興酒の残り香。果たして無事に帰ったのだろうか?
 
乗換のリングウッド駅で、乱闘騒ぎ

やがてリングウッド駅に着く。この電車は、ここで車庫入りだ。そこで、寒風吹きさらしのホームに鈴吾郎と降り、ベルグレーブ行きを待つことに。「寒い!」と鈴吾郎。場内アナウンスがあり、ベルグレーブ行きは反対側のホームから出発と言う。そこで、陸橋を渡って反対側のホームへ。
 ここリングウッドは、電車が二手に分かれる大きな駅だが、物騒な駅で人相の悪い輩がいつも徘徊している。そんな駅なのに、場内にはいつもバッハやモーツァルトのクラシック音楽が流れる。それは、そういう輩たちがクラシック音楽を嫌うからだと言う。本当に効果があるのだろうか?
 とにかく、いつかもここで電車を待っていたら、線路上でふたりの男が喧嘩を始めた。電車が来ても喧嘩を止めないから、電車の方が、喧嘩が終わるのを待っていた。さすがメルボルン!
 他のあるときは、夜遅くここで乗り換えたら、リングウッドで乗ってきた若い男が刺激臭の激しい薬品を吸い始めた。僕は頭が痛くなったので、席を移った。あれは何の薬品だったんだろう? シンナーみたいな匂いだった。
 今夜は、10才の息子もいることだし、『七人の侍』と『ナルト疾風伝』もみたし、暴力はもうたくさん。早く家に帰って、夕食を食べて寝たい、という気分である。
 と思っていたら、向いのホームの待合室で不穏な動きが見えた。若い入れ墨男が、電気ドリルを手に持って壁をたたいている。「このアマ、ぶっ殺してやる」と叫んでいる。これいは、まずい。
 すると、近くで女の「キャー」という悲鳴がし、若い女が女子トイレに駆けこんだ。その後から、電気ドリル男も女子トイレに駆けこんだ。これは大いにまずい状況だ。
 「パパ、どうしたの、あの人たち?」と息子。息子には流血騒ぎは見せたくない。
 「いいから、他の方をみてなさい」と僕は言うが、もちろん鈴吾郎はその光景に釘付けだ。
 女子トイレから怒声が聞こえる。それを聞きつけて2、3人の若い男女が女子トイレに駆けこんだ。友達らしい。すると、すぐに電気ドリル男、若い女、後から駆けこんだ他の男女たちが一群になってトイレから出てくる。そして、外で輪になって口論を始めた。
 駅職員がやっと出てきて、その口論に加わった。押したり、引いたり、押しくらまんじゅうが始まる。こちら側のホームの乗客からもヤジが飛ぶ。「お前ら、いい加減にして帰れ!」
 別の駅員がケータイを出して警察を呼んだ。3、4分して警官が二人きた。(駅の前は警察署)。
 すると、電気ドリル男は口論の輪をすっと抜け出し、陸橋を渡ってこっちへ近づいてくる。う、まずい。こっちへくるんじゃない!
 ところが、警官や他のみんなも気づき、電気ドリル男を追いかける。電気ドリル男、陸橋の柵を乗り越えて逃げようとする。線路に飛び降りるのか?息子に死人は見せたくない。どうしよう! 鈴吾郎は夢中で騒ぎを見守っている。
 すると、警官二人、すばやく陸橋を駆け上り、あっというまに電気ドリル男を捕まえて、柵の向こう側からこっち側に引きずりあげた。通勤客からどっと歓声が上がる。
 この警官二人、とりまきの女の子のマフラーを借り、電気ドリル男を縛り上げた。さすが警察官。電気ドリル男は、何か怒鳴って騒いでいるが、もごもごよく聞こえない。
 そうしているうちに、僕たちの電車がむこうから来た。やれやれ、どうなるのか最後まで見ていられなくて残念。それでも電車に乗ると、ほっとした。すると鈴吾郎から質問。
 「パパ、あの電気ドリルの人、どうなるの?」
 「さあ、トラ箱に入れられて、おまわりさんにすごく怒られるんだろうなあ。」
 「トラ箱って何?」
 「悪い人を一晩入れておく牢屋のこと。一晩入れておくと、どんなに暴れた人でも大概は大人しくなるからね。それで警察官が次の日にお説教をするんだ。すごく叱られるんだぞ。罰金だってたくさんとられるぞ。」
 「パパもトラ箱、入ったことある?」
 「まさか、パパはないよ。鈴吾郎も、絶対にそんなところに入っちゃダメだぞ!」
 「大丈夫、僕そんなことしないよ。」
そして、父子二人は、アハハと笑った。
 「パパ、ちょっと怖かったけど面白かったね。」
 「そうだな。今日はいろいろなことがあったね。」
 「またシティに行こうね、電車で!」
 「ああ、そうしよう。」

 僕たちは、無事に終点のわが町ベルグレーブまで電車で帰り、さすがにお腹も空いたのでピザ屋でピザを買って帰って食べて、お風呂に入って寝た。
(女房と娘は、出かけていなかった。)
 かくして、僕たち父子のイベントフルな一日は終わった。やはり、シティに行くには、電車に限る。
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2013年04月22日

秋の日曜日、スタマティスに再び会う

2013年4月21日

蔓草.jpg
忍び寄る秋

日曜日の朝、「スタマティスがベルグレーブに来てるって言うから、一緒にコーヒーを飲もうじゃないの」と、大工で、カヌー仲間のギャリーから電話がきた。僕は、翻訳中のグリム童話を中断し、ベルグレーブのカフェに向かった。

山の景色.jpg
山の風景

 爽やかな秋晴れだ。メルボルンの景勝地であるベルグレーブの町は、こんな日は観光客でいっぱいだ。この古いカフェもガイドブックに載っているのだろうか、中国人の観光客グループがどかどか入ってくる。
 ギャリーが来て、やがてスタマティスも来た。スタマティスは、相変わらずニンニクの体臭がする。そのことで茶化してやろうと思ったが、半年振りに会う友達には失礼かなと思って、とどまった。
 スタマティは、僕の『ヤギのアシヌーラ どこいった』(加藤チャコ画、福音館書店)という絵本の主人公「ものぐさじいさん」のモデルだ。ギリシャ人で元船乗り、5年程前までベルグレーブの住民だったが、当地で二回離婚を経験し、そんなでオーストラリアに嫌気がさし、ギリシャに戻ってヨットのチャータービジネスをして失敗した。そして、今はタイのチェンマイで、30才も年下のタイ人の奥さんと暮らしている。現在は農業をしていると言うが、風来坊で風まかせの人生を送っている自由人だ。

もみじ.jpg


 「僕のことを覚えていてくれてありがとう」と、僕は感謝とも、皮肉ともつかない挨拶をして、ニンニク臭いスタマティスと握手した。スタマティスはニヤニヤしながら「テツタのことは毎晩寝る前に、いつも思い出しているよ。スイートメモリーだ」と言った。僕はニンニク臭いスタマティスに添い寝されている自分を想像し、「ウゲェ!」と思わず声に出してしまった。
 「今回は、何の用事だい?」とギャリーが尋ねる。
 「息子のルカの18才の誕生日でね」とスタマティス。
ルカは、別れたオーストラリア人の一人目の妻との間の息子だ。
 「そうか、18才の誕生パーティを盛大にやるってわけか?」と 僕が聞くと、「ところが、ルカは、何もしたくないってんだ。人の注目を浴びるのが嫌な性格なんだな。Happy birthdayと言われるのも嫌なんだよ」と スタマティス。
 「じゃあ、何のために来たのかわからんな。でも、安上がりで良いじゃないか」と、ギャリー。
 「全く、息子の考えていることは分からんよ」と、スタマティス。
 「で、タイのチェンマイ暮らしは、どうだい?」と、僕。
 「ああ、ライチー栽培は軌道に乗った。だが、今年はライチーに実が付かなかった」と、スタマティス。
 スタマティスは、昨年チェンマイでライチー農園を義父と始めたのだ。(そのことは以前にブログに書いたのでそちらを参照:
http://makiwarinikki.sblo.jp/article/58139429.html

 「何だ、実が付かないんじゃ、儲からないじゃないか」とギャリー。スタマティスは、ライチーの実を中国に輸出し、大儲けをしようという魂胆だ。
 「そうだ。それが問題だ」スタマティスは、コップの水をぐっと飲んだ。その時、ウエイトレスが来て、スタマティスから注文をとろうとした。早口で、その上なまりのある英語だったので、スタマティスは何を言われたのか分からなかったらしい。2、3回聞き直してから、「ああ、そうか注文ね。カップチーノをお願い。それからちょっと聞くがな、彼女。ずいぶんなまった英語を話すが、どうやらオーストラリア人じゃないだろう? いったいどこの出身?」とぞんざいに尋ねた。
 僕とギャリーは、その乱暴な聞き方にぎくっとしたが、黙っていた。
 「イスラエルよ」と、ウェイトレスは叩き付けるようにいった。言葉は荒いが、ちょっといい女だ。
 「そうか、道理で聞き覚えのある訛だと思った」と、意味ありげな笑いを浮かべたスタマティスが言う。そして、「Welcome to Australia!」と、大げさに両腕を開いて言った。
 ウエイトレスが顔をしかめたので、紳士のギャリーが、「こいつは大バカだからどうか気にしないでくれ(Don’t’ worry about this idiot.)」と ウエイトレスに謝った。ウエイトレスは、さっさと向こうにいってしまった。
 「で、どうしてライチーに実がならないんだ?」と 僕が尋ねた。
 「いいかいテツタ、タイじゃなあ、俺みたいな外人は何をつかまされるかわかったもんじゃない。おれのライチーは、大学の農業試験場に問い合わせたら、ライチーじゃないってんだ。いいか、本物のライチーがリンゴだとしたら、俺のはミカンみたいないものだって言うんだ。ライチーじゃなくて、レイチーって呼んだらいいようなしろものだ。それを植えちまったんだ」。
 スタマティスは、以前「ライチーで大儲けする」と大見得をきったが、そういう「つもり」というのは、大方こんな具合に外れるようだ。
 スタマティスは続ける。「でもな、タイの農業試験場は親切で、無料でいろいろ指導してくれる。タイには偉い王様がいて、その資金でダムはできるわ、灌漑用水は完備するわで、みんな尊敬している。農業試験場も王様の予算で成り立っている。何でもただでやってくれるんだ。いいか、正月になると、金持ちから貧乏人まで、王様の宮殿に、札束のはいった封筒を持って献上にくるんだ。タイってのは、そういう国だ。驚いたよ。
 で、おれのライチーじゃない、レイチーも、農業試験場に言わせると、ある薬品をまけば花が咲いて実をつけるっていうんだ。どうもチェンマイの気温がいけないらしい。この薬品をまけば、レイチーが気温を勘違いして、それで花が咲くって寸法だ。そういう品種らしい。」
 「へえ、何だいそりゃ?つまり、土壌に欠けている物質を補うのかい?肥料かそれは?」と、大学で化学を勉強したギャリーが尋ねた。
 「いや、肥料ではない。とにかく、それを今年撒かなかったら、どうしたと思う? (スタマティスは そこで2、3秒おおげさに間を置いてから言った。)花が咲かずに、いきなり葉が出て来た! それも、見事な、立派な緑の葉がたくさん!」
 僕は、笑っていいのか、気の毒な顔をしていいのか分からなかったが、スタマティスは、「葉っぱは食えないからな。がはは」と笑ったので、一緒に笑った。
 そのとき、さっきのちょっと美人のイスラエル人ウエイトレスが、スタマティスのカップチーノを運んで来た。そして、スタマティスのことを睨みつけながら、「あんたたち、昼ご飯は注文しないの? お腹空いたでしょ?」と、昼飯を食わないなら出て行け、と言わんばかりに尋ねた。なるほど、店は昼の客で混み始めている。 
 僕は、「昼は家に帰って食べるからいいや」と言った。紳士のギャリーは、「じゃあ、僕はケーキを頼もうかな」と言った。スタマティスは、「俺はダイエット中なんだよ」と言った。ウエイトレスが怒り出す前に、紳士のギャリーがまた言った。「このアホのことは無視してくれ(Please ignore this idiot)。」 
 ウエィトレスは、どうしようもない客だ、と言うように、何も言わずに引っ込んだ。
 それから、中国にライチーを売るとどれくらい儲かるかという話をスタマティスが続けた。
 「いいか、ライチーでも、レイチーでもいいが、乾燥させて真空パックにして中国に輸出する。すると、中国人は、正月に友達や親戚を訪問する際、このライチーを手みやげにするんだ。いいかい、10億人の中国人が、全員ライチーを買うんだぞ! すぞいぞ、これは!」スタマティスは また両腕を広げて言った。そして、続けた。
 「中国の景気は天井知らずだ。ユーチューブで見たんだが、中国の建設業は儲けまくっている。富裕階級は、祖父、父親、孫の三世代の貯金をあわせて不動産に投資する。それで、高級マンションが建つ。そういうマンションが各地でばんばん建てられ、町ができる。それに付随するショッピングセンターやなんかも出来る。そこにマクドナルドやKFCの看板が立てられる。そういう都市が毎年12箇所も出来てるんだそうだ。だがな、驚くなよ、みんな無人なんだぞ、そういう都市は。高級マンションにも、ショッピングセンターにも人はいない。マクドナルドやKFCも看板だけ。中国は、余った金でゴーストタウンを建ててるんだ。」
 イスラエル人ウエイトレスがギャリーのケーキを持って来て、スタマティスをじろっと睨んだ。スタマティスはウエイトレスにウインクして、「俺にはケーキないの?」と言った。すると、ウエイトレスは、大きなため息をついて、「ダイエット中じゃなかったの?」と言った。スタマティスは、それには構わず続けた。
 「だがな、いいか、これはバブル経済だ。いまにはじける。俺は、そうなる前の中国にライチーを売りまくるんだ。どうだ、すごいだろ?」
 「だけど、ライチーに実が付かなきゃダメじゃないか?」と、ギャリーがケーキをほおばりながら言った。
 「そうだ、だから来年は例の薬剤を散布する。そうすれば、ライチーはたわわに実をつけ、俺は安泰だ。分かるか?」と、スタマティスは頷いてみせた。僕は、怪しいもんだ、と思ったが、もっともらしくうなずいてみせた。
 「それにしても、世界は問題が絶えない。不安要素で一杯だ。中国と日本の領土争いは、あれはいったい何の為だ?中国と日本は戦争をするのか?」と スタマティスが僕に尋ねた。
 「いや、あの領土問題は政治的なもんで、いつも何だかんだ日本と中国はもめているよ。ロシアも然り、北朝鮮も然りだよ」と、僕が答える。
 「そうか、それならいい。しかし、日本の地震と津波はすごかったな。災害は必ず来る。俺はずっと昔、神戸震災のちょうど一週間前に、神戸に飛行機の乗り換えで一晩だけ滞在したことがある。そのとき神戸の街をうろうろしたんだが、良かったなあ、あの街は。街角で喫茶店に入ってコーヒーを注文したんだが、ミルクが来なかった。だから、言葉を使わずに身振りで説明して苦労したよ。そしたら、ウエイターがじっと俺を見て、最後に笑いながら、「ミルクですか?」って聞くんだよ。あれには恥かいたな。日本人が、ミルクのことを「ミルク」って言うなんて知らなかったよ」スタマティスは笑った。僕も、背の高いスタマティスが、神戸の狭い喫茶店で、体を折るようにしてパントマイムをしている姿を想像して吹き出した。
 「あの喫茶店のウエイターも、神戸の古い街を歩いていたおばあさんも、みんなあの後の地震で死んだかもしれないなあ」と、スタマティスは遠くを見るような目つきで言った。
 「いや、きっと生きてるさ」と、僕は反論した。 
 「それにしても、相変わらずメルボルンは冴えないな。いいかい、今回ここに来て早一週間たったが、俺はもう以前みたいに落ち込んできたんだ。でも、逆にそれが俺は嬉しいんだ。ギリシャに戻って、タイに移って、それが結局正しい判断だったことが分かったからな。息子のルカには、離れて暮らすことになって悪いが、ルカだって、不幸な父親より、ハッピーな父親の方がいいだろう」と スタマティスは結論づけた。
 「ああ、その気持は僕も分かるよ」と、僕は言った。「僕も、日本に帰って、成田空港に降り立った途端、昔の心持ちに戻る。そして、リムジンバスを待つ間、喫茶店に入り、コーヒーを日本語で注文する。誰も、僕がオーストラリアに20年近く住んでいるなんて知らない。で、東京の見慣れた景色を見て、旧友に会い、旨い日本食を食べる。それはそれで楽しい。でも、そんな風景に浸っていると、昔の心持ちに引き戻される。だから、一週間もするとオーストラリアに戻りたくなる。で、飛行機に乗って、メルボルンに戻り、空港にタッチダウンする前、あたりの農場の緑が見えてくると、涙が込み上げてくることもある」と、僕。 
 「おいおい、俺はそんなセンチメンタルじゃないぞ」と、スタマティスが笑った。
 「さて、そろそろ昼飯を食いに家に帰るよ」と、僕は言った。オーストラリアの物価はこのごろ目まぐるしく上昇し、カフェで昼飯を食べただけですぐ2000円くらいかかる。だから、僕はこのごろ財布の紐が固いのだ。
 「ライチー栽培は儲かるぞ」と、スタマティスが別れ際にまた言う。
 「いや、俺ならシイタケの有機栽培にしておこう。メルボルンは寒くて湿ってるからな」と、僕はそう答えておいて、なるほどメルボルンは冴えない、と思う。
 「そうだ、それを中国に売れ」と、景気よくスタマティスは言った。
 「あほ!中国にはシイタケは売る程あるぞ」と、ギャリーが笑う。
 「まあ、そのうち儲かったら、チェンマイのライチー御殿に招待してくれよ」と僕は言った。
 「そうだ、本当に来い。タイはいいぞ。暖かくて、ゆっくりしてて、ストレスがない。そこら中においしい果物が生っている」と、スタマティスは念を押した。
 僕は、スタマティスとギャリーと握手してカフェを出た。

キノコ.jpg
うちの庭のキノコ

 外には、ダンデノン山を背景に、秋晴れの空に風が吹いていた。もしスタマティスのように、どこか知らない場所に移って、そこで暮らしたらどんなだろう、と考えた。それは案外、重くてずんとくる仮説だった。しかし、僕は、その疑問はそれ以上考えないことにして、(心の中で)封筒に入れて、引き出しに仕舞った。そして、「いつか僕にとっての「ライチー(レイチー?)栽培」がみつかったら開けること」と「封筒」にメモした。
 それから、家に帰ったら何を昼飯に食べるか考えながら、カフェの前の坂を歩き始めた。
 
栗拾い.jpg
スタマティスに会った後、栗拾いをした

栗アップ.jpg
イガに包まれたつややかな栗

こんなに拾った.jpg
小一時間でこんなに栗を拾いました
posted by てったくん at 12:31| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記