ある女性からパジャマを頂いた。その女性は美しい人妻である。
「私があげたパジャマ、着てくれた?」 マケイラは、いくらか頬を赤らめながらそう僕に言った。彼女が着た薄紫のブラウスの裾が、風をはらんではためいた。場所は、モンバルク村のサッカークラブの練習場である。目前では、男の子たちが広い人工芝のフィールドを走り回っている。うちの息子の鈴吾郎やマケイラの息子たちも走っている。明るい光の射す、土曜日の朝だ。
モンバルクのサッカー場
「え? 君のくれたパジャマ?」僕は、一瞬何のことか分からず、うろたえた。そして、二秒後に思い出した。一昨日、僕の妻のチャコが、ややくたびれた、少し紫色がかった濃灰色のパジャマの上下を持ち帰ったのだ。
「これ、マケイラから預かってきたんだけど、君にだって」と、笑いを噛み殺しながら僕に手渡した。
「なんじゃこりゃ?」と僕。マケイラは息子の級友であるベンのお母さんである。どうして、マケイラが僕にお古のパジャマをくれるのか、まったく理由が分からない。
「どうして、マケイラが僕にパジャマなんかくれるの?」
「そんなこと知らないわよ。マークのお古じゃないの?」と、チャコ。マークはマケイラの旦那である。僕よりも背が高く、体も大きい。マークのお古なんて、大きすぎて着られる訳がない。それにマークのお古のパジャマなんて着るのは嫌である。
だから、そんなパジャマは着ないで放っておいたのだ。しかし、考えてみれば、人妻からパジャマをもらうのは生まれて初めてである。僕としても、心の置き所にやや困る。せっかく貰ったんだから、一回くらいは着ないと悪いかも。もしかしたら、マケイラは僕に気があるのかもしれない。いや、考え過ぎだろう。だとしたら僕の妻にパジャマを託す筈がないし、夫のお古のパジャマを好きな男に渡すだろうか。そんなバカな…。
僕は、二秒間の間にこれだけのことを考え、マケイラに答えた。「ああ、あのパジャマね! ちょっと紫色のあのパジャマね。ええと、まだ着てないんだよ。でも、どうもありがとう。今夜さっそく着てみるよ。それにしても服を貰うなんてうれしいなあ。どうしてパジャマなんかくれたの?」と、僕は尋ねた。
「ウヒヒヒ」マケイラは笑った。マケイラは、チャーミングな女性なのだが、なぜか笑う時は「ウヒヒヒ」と笑う。いつだったか、うちの鈴吾郎が、「おばさんの笑い方は変だよ。どうして『ウヒヒヒ』って笑うのさ?」と、失礼なことを言ったことさえある。マケイラは、「生まれつきなのよ。でも、 人ってみんな笑い方が違うでしょう? 私はウヒヒヒって笑うの」と答えた。
マケイラは、年は40ちょっとくらいで、細い針金縁の眼鏡をかけたやや古風な感じの、知性的な女性である。いつもふわっとした紫色のスカートを着て、上にもやや紫系の色のブラウスを着ている。バイオリンが上手で、息子の学校の音楽の先生も務めている。クラスの親の中では一番の世話好きで、 性格も温厚だから、みんなに愛されている。
「ウヒヒヒ、あれはね、マークが友達に貰ったのよ。だけどマークにはちょっと小さくて着られないの。だから、じゃあテツタにあげようってことになってね。だから、マークは着てないし、洗濯もしてあるから、安心して着てね。ウヒヒヒ」と、マケイラはにっこり笑った。
「そうか、そういう訳だったのか。 僕のことを思い出してくれてありがとう。じゃあ、さっそく今晩着てみるよ」と、僕は答えた。
「どういたしまして。 ウヒヒヒ」と、マケイラは、またちょっぴり頬を赤く染めて答えた。やっぱり、少し僕に気があるのかもしれない。
その晩、その少し紫色がかったパジャマを僕は着てみた。紫色はマケイラの服と一緒だが、それは単なる偶然であろう。ところが、そのパジャマ、貰ったのは良いが、着心地が悪いのである。道理でマークも着たくないわけだ。これをマークに手渡したどこかの誰かも、手放す筈だ。
問題点は、いくつかあった。まず、ズボンのゴムがゆるい。パジャマのゴムがゆるいのは致命的である。きつすぎても良くないが、ゆるいのは本当に良くない。ところが、このパジャマには、ゴムに加えてひもが付いている。だから、締め付けることもできる。しかし、これは最初からゴムがゆるいことを前提にして付けられているように思えるが、とすると、最初からこのズボンが緩いことを認めていることを意味する。どう考えても、ひどいパジャマのズボンだ。
しかも、このひもを締めてしまうと、ほどくのが難しい。これでは夜中に手洗いに起きた時に面倒くさい(僕は必ずトイレに起きる)。それに、寝ている間に蝶結びがほどけて、固結びになってしまったりしたら、もっと面倒なことになる。それからズボンが僕には長過ぎる。これだからオーストラリアの服は嫌だ。ズボンは長過ぎ、シャツも袖が長すぎだからだ。
上着も着てみる。とりあえず、可も不可もない。ただの長そでの丸首シャツである。問題は、ズボンと同様僕にはやや大きい。その上、色がひどい。濃灰色に紫がかった、ぱっとしない色だ。これでは、あまり良い夢も見られそうもない。
それでも、せっかくもらったのだから、一晩マケイラのパジャマで寝てみた。が、やはりダメであった。ズボンはすそからまくれ上がり、すね丸出しになった。ズボンのゴムが緩いので、シャツがはだけてお腹が出てしまう。袖もゆるゆるで、 まくれ上がって七分袖状態だ。まったく具合が悪い。非常に寝心地が悪かった。
でも、折角マケイラがくれたのだから、次の晩もこのパジャマにつき合った。二晩目は、たくしこんだシャツがまくれないように、ズボンのひもを固めに結んで寝たのだが、これが裏目に出た。心配した通り、ひもが固結びになって夜中のトイレの際に往生した。
「だめだよ、このパジャマ。着心地が悪くて失格」と、僕はチャコに言った。「あら、せっかくマケイラがくれたのに?残念じゃないの」と、彼女は薄笑いをして言った。
ともかく、このパジャマはお払い箱行きになった。マケイラには、着心地がどうだったかという報告はしていない。僕としても、真相を告げて、純粋な心の人妻を傷付けたくはないからだ。
こういう機会に考えて見えると、着心地の良いパジャマというものに僕はあまり出会ったことがない。子ども時代には、いろいろなパジャマを着させられた。冬は、風邪をひくからと厚ぼったいパジャマを着せられ、暑くて寝られないこともあった。夏は夏で、ごわごわした木綿のパジャマを着せられ、首筋やお腹の脇の柔らかい皮膚が摩擦して不快だった。旅館でたまに着る浴衣も好きではない。浴衣を着て寝ると、どうしても前がはだけてしまって、寝難くて仕方がない。
だから、大人になってからは、スエットパンツにTシャツかトレーナーである。これが最良である。スエットパンツは、ゴムもきつすぎず、ゆるすぎでもない。すそもゴムですぼまっているので、まくれ上がることもない。トレーナーも同様である。トレーナーは、厚すぎず、薄すぎずのがちょうど良い。
日本に帰ると、何日かは妻の実家に泊まる。そのとき義母が、義父のパジャマを貸してくれることがある。パジャマを忘れた時などは、ありがたくお借りする。が、人のパジャマを着ると安眠できない。生理的な問題と言うより、他人の夢を見そうな気がして不安になるのだ。どうしてそうなのかと言うと、人がいったんでも着たパジャマは、着心地が違う気がするからだ。形状記憶合金のように、本来の持ち主の体の形状をパジャマが覚えている気がする。だから僕が、例えば義父のパジャマを着て寝ると、義父の体のくぼみに体を入れて寝ている心持ちになる。そんな夜は、自分の夢ではなく、義父の夢、あるいは彼の無意識に入ってしまう気がして怖い。
眠れない子ども、というテーマの絵本がたくさんある
これも眠れない子どもの絵本
安眠というのは非常に大事だろう。幸い、自分は夜中にトイレに起きる以外は眠りが妨げられることはあまりない。ベルグレーブに引っ越したばかりの頃、裏の家が火事で焼け落ちたことがあるが、そのときも目を覚まさなかった。まあ、段々年をとってきたせいか、早朝目覚めたまま寝れなくなることもたまにあるが、そういう時は、数字を27から逆に数える、あるいは、カヤックを漕ぎながら水にできる波紋を見ているのを想像すると、大概はまた寝てしまう。
水の波紋は眠気を誘う
あと、この頃していることで眠りに良いことはヨガである。ヨガは、これも息子の学校の美人のお母さんのロビンが教えているので、もう二年程通っている。しかも、僕のクラスは男性は僕一人で、あとは女性ばかりであるが、このことが少しは僕のモチベーションを高めているかもしれない。とにかく、このヨガクラスに行った夜はぐっすり眠れる。
もうひとつは、寝るときにアイマスクをすることである。日本を往復するたびに航空会社が無料でくれるアイマスクをたくさん持っているので、これをはめて寝るのだ。これを始めた理由は、僕の妻が宵っ張りで、なかなか寝ないせいである。一方僕は早寝。だから、妻が寝るときに、真っ暗な寝室に入ってこなくても良いようスタンドをひとつ点けたまましておくのだ。それでも熟睡できるようにと、僕はアイマスクを付けるようになった。おかげで、これをはめると、ぱたっと寝てしまう。
鈴吾郎の子守唄はiPad
このことを友人でもあり、人妻であるエリさんに話したら、「てつたさんもそうなんですか? 私もアイマスクを愛用しているんですよ!」と白状した。僕は実は、アイマスクをして寝るのは、はたから見たら、いささか不気味なのではないかと思っていたのだが、麗しき女性であるエリさんも、こういうものをして寝ていると知って、これでアイマスクをしていても晴れた気持で眠れると知って嬉しくなった。
さて、今日は、パジャマや安眠について書いてみたが、その過程で2、3回「美しい人妻」について、話の行きがかり上言及した。しかし、この文章の目的はあくまで安眠についての考察であり、人妻について私が邪念を抱いているせいではないことを、賢明な読者諸兄姉は、たちどころに見抜いたであろう。