5月初旬、初冬のメルボルンから晩夏のバンコクに飛んだ。IBBY国際児童図書評議会アジア会議に出席するためだ。大会は三日間、その間アジア諸国や他の国からやって来た児童書関係者による研究発表、事例発表、ワークショップなどが行われる。私も、オーストラリアで過去17年間主宰してきた、日本語児童文庫の軌跡について話すべく、原稿を携えてやって来た。
出た時は雨のメルボルン
空港から出て電車に乗り、バンコク中心街の駅で降りた。駅からホテルまで2キロほど、スーツケースを引っ張って歩いた。初めてのバンコクだが、「懐かしい」光景が満ち溢れている。夜の10時というのに、狭い歩道に溢れるたくさんの人たち。裸電球の灯る小さなお店。その奥でミシンを踏む女性。路上の屋台。荷物をたくさん積んだ自転車を引く男。たくさんのオートバイ。60年代の日本のどこかの街中を歩いているような錯覚がする。インドネシア、マレーシア、インドでも、そんな既視感に襲われたことがある。
バンコクの街には、貧富の差も数多見受けられた。路地裏のゴミの間に蠢く人影。夜遅いのにそこらを走り回っている浮浪者のような子供。歌を歌いながら物乞いをしている女性。路頭で宝くじを売る人たち。あくびをして客待ちをするトゥクトゥクの男。その間を縫って歩く、ブランド品の名前が書いてある袋を下げた女性。王宮のようなショッピングセンター。人で溢れかえるコンビニストア。私のような裕福な国から来た(あまり裕福ではない)観光客。

IBBYの国際大会、特にアジア大会は、いつも私に発見をさせてくれる旅だ。初めて訪れた街角に繰り広がる様々な光景の中で私は目を見張る。それだけなら、普通の観光旅行でも起きることだが、IBBYの大会では、ホスト国の人たち、加えてそれ以外のアジア、アフリカ、中近東、東アジア、南アメリカから来た人たちと出会って、子供の本を取り巻くありとあらゆることについて意見を交換し、議論し、物語を聞かせあい、ワークショップで色々なことを教えあったりする。その上、食事を共にし、お酒を飲み、感激して抱き合ったりもする。私はいつもそこで出会った人たちから勇気をもらい、共感し合い、そして新しい使命をもらって帰国する。
大会1日目。
会場となったアノーマグランドホテルには、日本人の知己がたくさんいた。バンコク大会だから、日本からの参加者が多い。JBBY会長の板東さん、マイティブックの松井さん、東京子ども図書館の張替さんと護得久さん、翻訳家の野坂さん、片桐さんなどなど。海外の知己もいる。タイのポルナノンさん、インドネシアのブナンタさん、マレーシアのジャミラーさんなど。この会で会うだけの人も多いが、とても懐かしい。
一日目は、基調講演が主だった。最初は、タイIBBY会長バラバーンさんの話で、タイ支部の発足から現在までの読書推進の問題、伝統的な哲学や倫理を新しい物語として語り、マルチメディア化していく課題などについて話された。IBBYドンカー会長は、子供の本に関する現代の普遍的な問題、紛争、貧困、難民といったことと私たちがどう関わっていかなければいけないか切々と論じた。
続いて、日本の学研プラス社の黒田さんが、教材開発の世界で起きている技術革新について話した。上記二人の話とは全く異なる次元の話であったが、先端的なデジタル技術が絵本や児童文学作品の表現に用いられることがあるとすれば、それはどういう影響を子供たちに及ぼすのか、切実に考えさせられる材料となった。
次は、IBBY朝日賞受賞者、タイ人作家シンカマーンさんの講演。シンカマーンさんは児童文学者でもあり、米作農民でもあるということで、いきなり箱から米を取り出して、参加者に配りだしたのには驚いた。話もかなりの脱線ぶりだったが、最後はタイの米にまつわる神話を披露され、素晴らしい語り口だった。まるで、神話の登場人物が話をしているようであった。
タイは果物が美味しい
お昼をはさんで、もう一人、英国ペンギン社のメリントン氏が、ピーターラビットのマーケティングについて話した。ピーターラビットは古典文学であると同時に、確立されたブランドなのである。このブランドの版権は、アパレルを始めとし、テーマパークの果てまで200もの企業に売られ、そこから巨大な資本を得ているという話であった。数百部、数千部の自作を売ることに四苦八苦している我々のような作家や出版社から見れば夢物語であったが、絵本の商業的な側面も考えようによっては、社会に大きな還元をする元手にもなり得るのだから、大規模商業出版にも理ありと感じた。
夜は、バンコク国際交流基金において、「児童文学作家の仕事」という座談会に、濱野京子さん、まはら三桃さん、陣崎草子さんという3人の売れっ子作家に混じって出席させていただいた。マイティブック松井紀美子さんの企画である。会場には、60名ほどのタイ人、及び日系人の聴衆が駆けつけ、我々の話を熱心に聴いてくださった。(と言っても、私は上記の3名の丁々発止の発言に圧倒され、時差ぼけもあって、あまり発言できないで終わってしまったのだから情けない。)
(向かって右から)まはら三桃さん、濱野京子さん、陣崎草子さん
二日目。
二日目は、会場をホテル向かいのTKパーク図書館に移して行われた。TKパークは、大きなショッピングセンターの最上階にある、新しい、明るい図書館である。コンピュータや小さな子供の遊具がたくさん置いてあり、真ん中は、劇場になっている。大小のセミナルームも完備しているから、IBBY大会のような大人数の集まりも開催できる。音楽室まであるのには感心した。
TKパークからの見晴らし
本日は様々な発表が並行して行われるのだが、私の発表も午後にあるので、心を鎮める意味で、東京子ども図書館理事長の張替恵子さんと同館員の護得久えみ子さんによるストーリーテリングのワークショップに出てみた。多数の参加者が熱心に聞き入っていたが、お二人の素話と絵本の読み聞かせは、もはや常人の域を超えた名人芸であった。こういう人たちが子供の本の普及に従事していれば、どんなデジタルメディアが登場しても、人が人に口伝えで伝えるお話は決して廃れないであろうと確信した。
護得久えみ子さんが『しょうぼうじどうしゃじぷた』を英語で朗読してくださり、感激
午後、私の発表の順番が回ってきた。ありがたいことに、日本から参加の皆さんがずらっと座っている。私がIBBY大会で、メルボルンこども文庫のことを話すのは3回目である。毎回ちょっとずつ焦点は違うが、基本的には私の経験談だ。文庫は、日本の伝統的読書推進の方法であるが、もはや日本国内にとどまらず、海外各地に飛び火して日系人の子供たちに日本語の読書の喜びを振りまいているというのが今回の趣旨である。また、文庫も紙芝居のような日本発「文化輸出」となりつつあり、現にメキシコには40箇所ほどの、BUNKOが存在するという話もした。
発表の後では、インド、カンボジア、フランス、香港、タイなどの参加者から、「私がインドでやっていることもまさに文庫である」、「誰でもできる小さな活動ということに共感した」、「タイのインターナショナルスクールでもぜひ文庫をしたい」など嬉しい感想を頂いた。自分がやっている小さな活動を通して、このような励ましが諸外国の皆さんから得られることも、この会の素晴らしいところだ。
夜は、カルチャーナイトだった。これはタイ主催者側によるおもてなしで、美味しいタイ料理をたっぷりご馳走になり、その上、タイ伝統舞踊や勇まし戦太鼓なども見せて頂いた。最後はみんなで輪になって踊ったが、気がついたら私もその中に混じっていた。普段はダンスなんてしないのに、よほど開放的な気分になっているのだろう。
ぞうさんの形をした不思議なサンドイッチ
三日目
三日目午前は、会場を抜け出し、スラム街の保育園と、その地域で活動をするマレットファン(夢の種)というNGOの見学に赴く。アレンジしてくださったのは、攪上久子さんとマレットファンの皆さんだ。
バスに乗り、10分ほどバンコクの渋滞の中を走ると、そこはスラムの地区だ。屋台や小さな店がたくさん並ぶ表通りから裏に入ると、落ち着いた路地が運河沿いに続く。ここにもパラパラとお店が並んでいて、食べ物や雑貨を売っている。ここがスラムとはとても思えないほど綺麗に片付いていて、道ゆく人たちもニコニコと「サワディー」と挨拶してくれる。
路地奥にその保育所があり、園児が整列して迎えてくれた。先生たちはみな頭にスカーフをかぶっているので、イスラム教系の保育所とうかがい知れる。ここで私たちは、マレットファンの人たちに通訳してもらい、日本から来たことや、絵本や読書の普及の仕事をしているとを話すが、どこまで小さい子供に分かってもらえたか。子供達が、大型絵本「ぞうさんのさんぽ」を読んでもらって笑ったり、私たちの携えて来た絵本を見るキラキラした目は、どこの子供たちとも変わらない。グループモコモコ(布絵本を作る会)の野口さんが、自作の縫いぐるみや布絵本を披露すると、わーっと喜ぶ声をあげた。野口さんの布絵本を使った巧みな語りは大人が見ても楽しいのだから、子供にはどれほどに面白く写るだろう。そのあと、教室を一つ一つ見せていただいた。教室はあまり広くないが、それなりに工夫が見られ、子供達が少しでも楽しく、有意義な時を過ごせる努力が見られた。
保育園で布絵本を披露する野口さん
保育所を辞し、今度はこの地区の公民館へ5分ほど歩く。さっきから我々にくっついて歩いている、サンダルばきの中年のヒゲを生やした男性は、町内会長さんだと判明。保育所で時間をとりすぎたので、公民館では軽食(野菜とひき肉を挟んだロティ)を急いでいただきながら会長さんのお話を聞くが、会長さんはパワーポイントまで用意され、詳しくこの地区の説明をしてくださった。ここの地区はスラムだが、むしろ密集地区と言う方が適切なようだ。今も木造住宅が密集しているが、100年前に入植が始まり、以前は漁業が主な産業だったそうだ。今は市外地化していて、あらゆる職業の人が暮らす。住民のコミュニティ意識は高く、市からの助成金もつき、まちづくりに貢献しているとのこと。小ぎれいな家々の庭にはジャックフルーツ、バナナ、マンゴーなどの果樹が植わり、こんな街に暮らすのも悪くないと思った。
熱弁を振るう町内会長
急ぎ足で、もう1箇所保育所を回るが、こちらは何かのイベントで人が溢れていた。記念写真だけ写し、マレットファンの事務所に車で移動。事務所近くの食堂で「タイ風鴨肉ラーメン」をいただくが、これが大変美味。真オレンジ色の「アイスティー」を恐る恐る飲むが、味の方は普通のアイスティーだった。
マレットファンの事務所はビルの二階にあり、小さな図書館というか、文庫のようで、日本やタイの絵本がたくさん並んでいる。ここを拠点に、松尾久美さんとタイ人スタッフのギップさん、ムアイさんは、格差の多いタイ社会の中で奮闘する教師、親、保育者などのために、教育支援を行なっている。具体的には絵本を普及させる活動、色々な専門家を招いての教育研修会、ワークショップなどである。少年鑑別所に収容されている子供たちにまで絵本の紹介を行い、効果を上げているそうだ。
ウエブサイト: http://maletfan.org/jp/
マレットファン本部
マレットファンでもっとゆっくりしていたかったが、またIBBY会場に戻る。午後にも仲間の発表があるからだ。野坂悦子さんは、オランダ語の絵本の翻訳家であるが、紙芝居普及にも熱心だ。「紙芝居文化の会」はこれまで世界各地に紙芝居を普及させることに成功してきたが、今回もこの大会のワークショップで紙芝居の魅力をたっぷりと教えてくれた。紙芝居を演じる時に一番大切なことは、何よりも共感だと言う。野坂さんは「kyoukan」と言う日本語を使って説明していたが、その努力には脱帽してしまった。あまり面白いので、私も今回で「紙芝居文化の会」の会員になった。
ウエブサイト: http://www.geocities.jp/kamishibai/index.html
紙芝居のワークショップを途中で抜け出し、出版社マイティブックの社長で編集者の松井紀美子さんの発表を聞く。松井さんは、JBBYの広報活動をしたり、絵本や児童文学者のネットワークのために奔走したり、タイや中国の作家の絵本を日本で出版したり、大変な貢献をしている人だ。僕は、海外のIBBY大会というと、ほぼいつも松井さんと行動を共にして、夜はビールを飲んだりしている。その松井さんの発表は、「小さな出版社の夢:世界の素晴らしい絵本を子供たちに届けること」で、彼女の奮闘努力の話だ。今は出版不況だし、日本では子供の出生率が下がるし、絵本出版には踏んだりけったりの時代だが、松井さんは諦めずに、自分が出した絵本をスーツケースに詰め、世界中を渡り歩き、講演会やワークショップを開催し、そこで知り合った人たちに直接絵本を渡している。私もいつも松井さんにお世話になり、絵本を売らせてもらっているが、本屋ではあまり売れないのに、講演会やシンポジウムなどをやると、飛ぶように絵本が売れてしまう。人が人に出会って、手渡しで絵本を渡すことがどれほど大切なことか松井さんは教えてくれた。これからも松井さん、頑張れ! ウエブサイト: http://www.mightybook.net
さて、これで大体IBBY大会は終わり。(他にもいくつか発表は聞きましたが、割愛します)。閉会式が行われ、次のアジア大会開催地の中国の代表が挨拶した。中国はやる気満々なので、2年後の大会が楽しみ。
さて、翌日は大会後の見学ツアーがあって、私はDalun Bannalaiという児童図書館を見に行った。ここはタイのIBBYが作った図書館だが、コロニアル風の木造建物を修復し、とても綺麗な、居心地の良い場所になっている。本も選りすぐった本がきちんと整理され、子供にも分かりやすいように並んでいる。庭先にはカフェもあり、子供でなくとも、ここで静かな時を過ごせたら幸せだろう。図書館とは、そういう場所だ。ちょうど私たちがいた時、にわか雨がざあざあ降り出したが、雨の音を聞きながら本をめくっているのも風情のあるものだ。バンコクも、そろそろ夏が終わって、雨季に入る。
Dalun Bannalai図書館

私の父(渡辺茂男)のくまくん絵本が貸し出しデスクにあったので、パチリ
最後の日: 上記松井さんのお膳立てで、日系人の加古川さんという音楽家が主宰するサロン・オ・デュタンというスタジオで、自作を読ませていただく。30名ほどの在バンコクの日本人・日系人のみなさんが集まってくださった。最初は、タイの絵本『ニン』を松井さんとタイ人の女性が披露する。「ニン」というのはタイ語で「静かに!」という意味だそうだが、もっと深く、「自分の心をじっと見つめなさい」という意味があるのだそうだ。さすが、信心深い仏教国の人が書いた本と感心する。私は、『ヤギのアシヌーラ どこいった』と『ぱくぱくはんぶん』を読むが、まあまあ受けたので、安心した。それから、松井さんのたってのリクエストだったので、『まきばののうふ』をギターを弾きながら歌った。これはだいぶ恥ずかしかったが、どうにかやってのけられて良かった。
午後は、全くのお客さんだが、サロン・オ・デュタンに居座り、松井さんの主宰した座談会「アジアで育つ帰国子女の幸せ」に出席。松井さん自身がシンガポール育ちの帰国子女、西南大学の帰国子女入学第一号ということなので、ご自身の体験談も面白かったった。また、タイ在住の日系人の皆さんと知り合えたことも有益だった。バンコクには、在住20年や30年という方々がたくさんいるようで、日系人のコミュニティーとしては、大変成熟していることも分かり、興味深かった。
『ニン どんなときも』(チーワン・ウィサーサ作、竹内より子訳、マイティブック)
というわけで、私の子供の本作家としてのオフィシャルなタイ訪問ブログはここで終わり。観光旅行などについては、また後日書くつもりです。