2010年06月16日

季節が逆の国

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5月初旬から6月まで、久しぶりに家族(フランスにいる長女の鼓子は別ですが)で日本へ行ってきました。日本はオーストラリアと季節が逆の国。初冬のオーストラリアから、初夏の日本へ。
 僕は、オーストラリアに14年暮らしています。最初は、クリスマスが夏であることや、8月が真冬のことに違和感がありました。でも、今はもうそっちが当たり前。だから、たまに季節が逆の日本に帰ると、お正月が冬だったり、8月が夏であることに慣れるのに少し時間がかかります。でも、しばらくすると、日本の湿度や温度が肌に馴染んできます。そして、色の濃い緑、山や谷に響く虫の声、川の流れる音が、僕の心の奥底に話しかけてきて、深い喜びが心を満たします。そんなとき、どれほど長く離れていても、日本は自分が生まれ育った場所であることに気がつきます。と言うより、体が思い出すのです。

富山、氷見

ヒミング(Himming)という富山のアートセンターを訪れました。

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ヒミングのアートセンター
 http://www.himming.jp/ 

 そこで、妻のチャコが「スローアート、オーストラリアと氷見」というレクチャーをしました。僕と息子の鈴吾郎(りんごろう、7才)は暇にあかせて、氷見の町や海岸をうろうろしたり、釣りをしたり。滞在は、永芳閣というすてきな旅館にお世話になりました。

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 氷見で鈴吾郎が一番興味を示したのは、ヒミング・アートセンターの前においてあった伝馬(てんま)という昔の和船です。これをどうしてもヒミングの前の上庄川に浮かべてほしいとダダをこねました。ところがこれは、伝馬船レースやお祭りのときにしか浮かべないものだそうです。でも、鈴吾郎は「浮かべてよー!」と、しつこく食い下がります。あんまりうるさいので、伝馬漕ぎの名人であるヒミングの大家さんの掘埜さんに、「逆さ吊りの刑」にされました。 

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上庄川で逆さ吊りの鈴吾郎

 「こういううるさい子どもは、本当はひとりで伝馬に乗せて、海に放り出しちゃえば、いちばん懲りるんだ」と、掘埜さんは笑いながらおっしゃっていました。


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 氷見の竹ドーム

 ヒミングの高野さんには、町外れの竹林に連れて行ってもらいました。ここで伊勢さんという方に、竹林の維持について、それから竹林の楽しみ方も教えて頂きました。文字通り「竹林の賢人」である伊勢さんは、もう15年も子どもたちを相手に、「竹林でラーメンを食べる会」をやっているのだそうです。(ラーメンをダシに、子どもに野外体験をさせるらしい。)伊勢さん曰く、「いやあ、富山の子たちでも、今はもう外で遊ばないのだよ」。
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 それに引きかえ、うちの鈴吾郎は竹林に入るなり大喜びで、伊勢さんに竹細工の初歩を伝授してもらいました。「この坊主は、ノコギリの扱いがじょうずだなあ」と、伊勢さんもびっくり。

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 鈴吾郎は、伊勢さんの竹林で切り出した竹をヒミングに持ち帰り、ロープで縛っていかだ作り。(伝馬船に乗せてもらえなかった腹いせか?)このいかだ、見事に上庄川に沈没しましたが…。
 チャコがレクチャーしている間、天然ブリを漁する定置網を一巡する遊覧船に乗りました。

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誰にでもすぐ話しかける鈴吾郎は、遊覧船のおっちゃんともすぐ仲良しに。
 
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鈴吾郎は、遊覧船からカッパエビセンをカモメに食べさせるのに夢中

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それから僕と鈴吾郎は、上庄川で釣り。「なーんも釣れねえぞ」と、漁師でもある掘埜さんはおっしゃりましたが、ちゃんと釣れました。(これはウグイかな?)
 
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氷見イワシならぬ、氷見ウグイ

 氷見でお世話になりました、高野さん、伊勢さん、栄芳閣の平田ご夫妻、竹林の伊勢さん、掘埜さん他の皆様、どうもありがとうございました。


氷見(ひみ)から、長野の麻績(おみ)へ

富山から帰ると、鈴吾郎とチャコはオーストラリアに一足先に帰国。僕は、今度は、長野県麻績村へ。昨年秋に講演に呼んで頂いて以来、ご縁のできた村です。僕は、個人的にここが大好き。

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麻績小のみなさんと

 今回は、リクエストを頂き、麻績小学校の全校生徒にオーストラリアのお話をしました。と言っても、うちにおいてあった写真を見せて、オーストラリアを舞台に書いた自分の絵本『もりのびょういん』(わたなべてつた作、加藤チャコ画、福音館書店)やチャコの『おおきなかえる ティダリク』(加藤チャコ再話と画、福音館書店)を読み、ブーメランを放り投げてみただけ。でも、小学生は大喜び。「夏にクリスマスがくる国の話なんて、聞いたことなかった」ということのようです。ブーメランは、先生方が夢中。「生徒が帰ったら、こっそり校庭でやってみんべえ」と、教育長と副校長。

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 オーストラリアの話の後では、小学生といっしょに給食を食べました。(35年ぶりの給食)。煮込みうどんが、やさしい味でした。

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麻績小の校庭で、二宮金次郎

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 麻績村周辺では、義弟の幹也と一緒にサイクリング。北アルプスを眺めながら、標高差1000メートルの峠を登り、聖山へ。(いやあ、しんどかった。)麻績から東京へ帰る途中、小淵沢で八ヶ岳を見上げながら40キロほどのランもしました。ペダルをこぐ足も、快調そのもの!
 
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ロードバイクが似合う快速幹也


麻績村のみなさん、どうもお世話になりました。ありがとうございました。

日本のコペンハーゲン、つくばへ

 桃源郷のような氷見と麻績旅行を終え、人と建物で埋まった東京での用事も終え、最後に筑波へ。僕の明海大学時代の元同僚で、旧友の正保先生ファミリーがつくば市に在住なのです。秋葉原、上野、浅草をほっつき歩いてから、つくばエクスプレスという、めっぽう早い電車に乗ると、筑波はすぐでした。つくばエクスプレスの車窓からの景色は整然としていて、まるでデンマークのコペンハーゲン近郊のようでした。
 つくばでは、茨城一おいしいというラーメン(がんこ屋、http://ramen.yahoo.co.jp/best10/08.html)、それから、すごく大きなトンカツ(これも茨城名物?)をごちそうになりました。ひたすら、満腹のつくば。正保家に一夜を過ごし、翌朝は成田空港に行く前に、筑波山に登りました。ここで、名物つくばの「ガマ」に初遭遇。前日は、つくばというのはデンマークみたいな洗練された場所というイメージを持ちましたが、筑波山の頂上近く、ロープウェー乗り場は、かなりキッチュでディープ、まるで香港のタイガーバームガーデンみたいでした。(このギャップが茨城か?)

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右側が筑波のガマ

 つくば駅から成田空港に向かうリムジンバスも、茨木と千葉(略してチバラギ、懐かしい響き!)の田舎道をひたすら走ります。これも、なかなか味わい深いこと。成田に近くなると、満々と水をたたえる田んぼの上を、かすめるようにして巨大ジャンボが連続して着陸してくる構図はとてもシュールでした。

メルボルンの冬へ

 成田空港では、出発ラウンジのコインシャワーで汗を流してから機上の人に。サービスゼロ、格安ジェットスターのケアンズ経由便でメルボルンに帰還しました。
 メルボルンに戻ると、そこはもう真冬。初夏の東京で開いた毛穴が、今度はぎゅっと縮まりました。早速、毛糸のセーターに着替え、ズボン下をはき、薪トーブの薪割りも再開。こんなことにすぐに取りかかれる自分は、かなり「両極端」だと感じています。
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 鈴吾郎も、あっという間にオーストラリアの冬の気候に順応した様子。来週はもう冬休み。また「男組」で、冬の釣りキャンプにでも行こうかと画策中であります。
 
* 妻の加藤チャコは、6月にもまた日本に帰国。麻績村の小学校のみなさんが栽培した無農薬の麦を使って、東京秋葉原のアートセンターArts Chiyoda3331で、「麦の法則」というアートプロジェクトを行います。6月26日からです。ご協力いただいた皆様に重ねて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。
詳しくは http://www.3331.jp/schedule/000281.html をご覧下さい。
 
 
 


 

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2010年05月02日

絵本作りワークショップ

「詩があるところが私のうち」Home is where poem is

秋のある土曜日、珍しくダンデノン山から下りて街に出かけました。そして、「詩があるところが私のうち」という絵本作りワークショップに参加しました。場所は、メルボルン中心街にある子どもの為の美術施設ArtPlayです。街中と言っても、ヤラ川のほとりの静かな公園内にあります。

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アートプレイ全景

ウエブサイト
http://www.melbourne.vic.gov.au/artplay/Pages/ArtPlayHome.aspx

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アートプレイにて、鈴吾郎(私の息子)後ろは、妻の加藤チャコがワークショップをしたときの作品。これも子どもと共作。

ArtPlayはメルボルン市施設で、現役の美術家、音楽家、作家、劇団、コメディアンなどと児童がともに芸術活動を行なう為に5年前設立されました。ArtPlayの目的は、表現活動を通じて「文化的市民権」(cultural citizenship)をメルボルンの全ての子どもたちに与えることだそうです。とりわけ、美術館やコンサートに出かける機会が少ない貧困層の児童、障害のある人たち、新来の移民や難民、そういった人たちにも表現活動を持つ機会を与えることにあります。「市民権」を広く解釈するならば、オーストラリアの文化的活動に誰もが等しく参加することもその権利の一部と考えられるでしょう。

地域社会で活動する編集者と美術家

今回ワークショップに僕は、メルボルン在住の日系子どもの本作家として誘われました。僕を誘ってくれた一人は、絵本編集者ビクトリア・ライルです。彼女は、子どもの書いた詩や物語を絵本にして出版するのが専門です。ビクトリアは英国出身で、ダブリンの子どものための美術施設Arkなどで、さまざまな社会的背景を持つ子どもたちの作品を出版してきました。彼女は、オンデマンド(On -demand)出版とインターネットを利用し、大手出版社では取り扱えない小規模の出版、特にコミュニティー・パブリッシングを展開してきました。

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ビクトリア・ライル

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ビクトリア・ライルの絵本を展示する「絵本の小屋」

僕を誘ってくれたもう一人は、画家のアニー・エドニーです。アニーは、障害を持つ人たちや、僻地に暮らすために芸術制作の機会がほとんどない子どもたちと過去20年あまり、地域社会で美術制作を行ってきました。

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アニー・エドニー

英語以外の言語文化を生かした絵本作り

 今回の絵本作りワークショップは、英語以外の言語文化のエッセンスを用いて、子どもたちに詩作をしてもらい、それを絵本にするという企画です。オーストラリアにおいて日本語はアジア言語の中でも比較的認知度が高く、アニメなどの愛好者も多いので、広い層の子どもたちに興味を持ってもらえるとアニーとビクトリアは考えたようです。
 ビクトリアとアニーは日本語以外にも、オーストラリア先住民アボリジニのラップ音楽家や詩人、スーダンからの難民としてやってきた詩人や音楽家らと共同の絵本ワークショップも企画してきました。こうした様々な文化がちりばめられているのが現代のオーストラリア芸術、文学の特色かもしれません。このワークショップの意図には、英語を第一言語として生活している子どもたちに、英語圏以外の言語文化に触れてもらい、オーストラリア社会の多様性に気づいてもらうということもあります。

絵本ワークショップ

ワークショップには、7才から12才、合計16人の児童の参加がありました。日本語がテーマなので、日系人の子どもも3人加わっていました。
 ワークショップの始まりです。子どもたちは、ちょっと緊張した顔つき。最初にビクトリアが、今日のテーマ「詩のあるところが私のうち」を紹介し、絵本作りの手順を説明します。

下絵を描く


次に画家のアニーが、子どもたちと絵本の各ページの下地を作ります。「目をつぶって、自分の家にいる気分を思い出してください。そのまま、ゆっくり曲線を紙に描いてみて。」子どもたちは、言われた通り、A3の紙に透明のワックスペンシルでゆっくり曲線を描きます。透明の線なので、まだ自分の描いた曲線は見えません。次に、上から薄く溶いた灰色の絵の具を流します。すると、ワックスで描いた曲線が浮き上がります。何人かの子どもたちは、いろいろな線が浮き上がったのを見て、「うわー」と驚きの声をあげました。

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下絵

日本の物語、日本語のことば

次に僕が、日本の物語を読みます。今回選んだのは『へそもち』(渡辺茂男作、赤羽末吉画)です。英語の題は、The Thunder Boy。『へそもち』は、僕の父が民話を元に創作したお話です。絵は、赤羽末吉さんが、屏風の絵を参考に、全ページ縦長に描いた日本情緒あふれるものです。また物語には、日本語特有の擬音語、擬態語(オノマトペ、がらがら、どすん、などの擬音)がふんだんに使われています。オノマトペは、日本語の物語には多用されますが、英語ではそれほど使われません。だから、今回は、あえて英語の詩作に日本語の擬音語、擬態語を取り入れてみることにしたのです。でも、これは私が初めて考えたことでなく、オーストラリアの絵本作家、Sally Rippinの絵本にも、日本語の擬音語、擬態語が取り入れられたものがすでにあります。

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The Thunder Boy こと、『へそもち』

サリーリッピン作品について僕が書いた記事
http://top.25today.com/column/ehon/post_140.php
サリー・リッピンウエブサイト 
http://sallyrippin.blogspot.com/

『へそもち』の物語は、僕自身が英訳して語りました。でも、日本語のオノマトペ(ぴか、ごろごろ、がらがら、どろん どろん、など)は、そのままで語りました。オーストラリアの子どもたちは、雷が人のおへそを盗って食べてしまうという物語を愉快そうに聞いていました。

詩を書く

読み聞かせのの後は、英語でも使われている擬態語、擬音語を子どもたちに挙げてもらうブレインストーミングをしました。そして、今度は、それらを使って詩を書いてもらいました。テーマは、「わたしのうち」です。日系人の子どもの中には、日本語のオノマトペを用いて詩を書いている子もいました。

下絵を完成させる


詩を書き終わると、そろそろ最初に描いた下絵が乾いたので、今度は、その上にペンで詩を書き込んでもらいました。それから、千代紙をちぎったのを貼付けてコラージュを加えます。それ以外にも、細かいイラストを書き込んでいる子もいます。

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コラージュに使う色紙を選ぶ

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アニーに色紙のちぎり方を教わる子どもたち

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ほぼ完成した原画

ページレイアウト

次に、編集者のビクトリアは、子どもたちと絵本のページレイアウトをします。子どもたちの書いた各ページをカラーコピー機で縮小コピーし、それを台紙に張っていきます。参加者が16人いたので、表紙も入れてちょうど16ページの絵本になりました。

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製本

レイアウトがすむと原稿が出来上がり。原稿をカラーコピーでさらに両面コピーし、折って、ページを裂き、ホチキスでとめると絵本の出来上がり。子どもの人数と保存用部数も入れて、初版印刷部数は25部!
 絵本の題名は、『オノマトポエム』です。「オノマトペ」とと「ポエム」をくってけた造語です。これも子どもたちが考えました。
 ワークショップの最後は、子どもたちのお父さんやお母さんの前で作品を朗読してもらいました。自作の絵本ができて、子どもたちは得意満面でした。
 ワークショップは、昼過ぎに始まり、休みもとらずに続き、夕方4時半に終わりました。子どもたちも、ずっと作業に集中していました。そんなですから、ビクトリアも、アニーも、僕も、終わった後は、へたりこむほど疲れました。でも、大変充実したひとときでした。

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絵本『オノマトポエム』表紙

絵本作りワークショップの意義

僕は、日頃物語を書いたり、児童文庫で絵本を読み聞かせたりしてきました。でも、それは一方通行的な行為です。子どもたちにも自分を表現してもらい、それを大人の表現者が一緒になって整え、何かの形に完成させることも、すごく大事であることが今回のワークショップでよく分かった気がします。
 また、DTPのようなコンピュータのソフトを用いなくとも、カラーコピー一台で、こんなに素晴らしい絵本が出来てしまうことも驚きでした。テクノロジーは最低限のものであっても、効果的に使うとこんなに素晴らしい結果が生まれるのだということも新鮮でした。

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僕の絵本も展示されました。
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2010年03月31日

シェッド(物置は)、オトーサンの心の故郷

 オーストラリアの男たち、特にオトーサンたちになくてはならないもの、それは物置です。アメリカだったらガレージと呼ぶのでしょうが、オーストラリアではシェッド(shed)と言います。シェッドは、典型的には、屋根も壁もブリキの波打ち板で出来ています。安っぽい材質ですが、古くなるとくすんだ色になったり赤く錆びたりして、みすぼらしい中にも、貫禄と言うか風情が出てきます。ブリキなので修理も簡単だし、増築だって容易です。田舎の田園に、ぽつんと古いシェッドが建っている風景は、オーストラリアの原風景のひとつです。

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我が家の古くて大きなシェッド(妻のアトリエ)

 僕くらいインテリな人間なら書斎を持っています。しかし、質実剛健であることが要求されるオーストラリアの男性社会では、例え大学教授であろうと社長であろうと弁護士だろうと、あるいは僕のようなインテリであっても、肉体労働にも力を発揮出来なければ男として認められません。極端なことを言えば、書斎なんかなくとも、シェッドさえあれば、オトーサンは一人前なのです。
 どんなシェッドを持っているかは、そのオヤジの財力と、家庭内の地位(特に妻との力関係)によって決まります。オトーサンたちの中には、大きなシェッドを持っている幸運な人もあります。車が2台も3台も入るような大きなシェッドに、高級オートバイ、スポーツカー、モーターボート、果ては自家用飛行機なんかを入れているお大臣さえもあります。しかし、そういう「でかブツ」を持っているオヤジは、オーストラリア広しと言えどもそう多くはいません。ほとんどの人は、つつましいシェッドを裏庭の片隅に持っている程度です。でも、そんなシェッドでもあればいい方で、それさえない人は、「ああ、シェッドが欲しい!」と嘆き、妻に訴えては却下され、身の不遇を嘆いているのです。(我が家の場合、以前からある大きなシェッドは、僕でなくて、うちの妻が美術のスタジオとして使っています。我が家の力関係がこれで分かります。)

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 さて、シェッドは、庭仕事の道具やオトーサンたちの趣味の道具類を入れておく為のものなので、あえてman’s shedと呼ばれることもあります。つまり「オヤジの物置」です。オーストラリアのオトーサンたちは、休みの日などは作業着に着替え、朝からごそごそとシェッドを出たり入ったりしながら、うきうきと庭の手入れや大工仕事に精を出します。それが、オーストラリアのオヤジたちの正しい休日のあり方です。
 そんなですから、オーストラリアに暮らすオヤジである僕も、最近自分のシェッドをあつらえたのす。白亜の豪邸とまではいきませんが、3メートル四方の、言ってみれば4畳半サイズ。白く塗装してありますが、これでも由緒正しいブリキ製、かなりおしゃれなシェッドだと自負しています。名付けて「アルハンブラ宮殿」。

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アルハンブラ宮殿の全容

 こんなのでも、地面を掘って土台を作り(「ネコとの生活」のブログを参照)、パーツを組み上げるのに2週間ほどかかりました。出来上がると、さっそくこのシェッドの中に、芝刈り機、チェーンソー、スコップや庭仕事の道具、キャンプ用品、自転車などをしまい込みました。

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アルハンブラの中

もうご理解だと思いますが、シェッドの価値と言うのは、その大きさでも、中に入っている道具類やスポーツ用具の多寡ではないのです。質素をむねとし、勤勉を美徳とするオーストラリアのオトーサンたちの価値観からすれば、金をかけて見せびらかす成金ほど嫌なものはありません。だから、ある意味で、シェッドは、小さければ小さいほど、古ければ、古いほど、貧相であれば貧相なほど、ストイックなオトーサンの心意気を良く表しているのです。立派なシェッドを持つ事よりもずっと大切なことは、オトーサンの心が、どれほどシェッドによって満たされているかが問題なのです。ユダヤの民話『ありがたいこってす』(わたなべしげお訳、童話館出版)にもありますが、必要なのは広いスペースなのではなく、今あるものを「ありがたい」と思う心なのです。 
 シェッドは、そういう意味で、単なる収納スペースではありません。オトーサンたちの心の拠り所なのです。オトーサンたちは、シェッドに一歩入っただけでうれしくなります。また、体内の「男性」が再確認され、慰撫され、増強されるのです。シェッドは、そういう魔法の空間なのです。古くさい比喩を用いるなら、ムーミママがいつも持ち歩いているハンドバックが女性の象徴、拠り所であるように、シェッドはオトーサンの心の故郷なのです。

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貫禄のついた私のワークブーツ。もちろんオーストラリア製。

 オーストラリアに15年も住んでいると、僕も、そんなオトーサンの心境を共有するようになりました。一日の終わりに、缶ビール片手にふらりと庭に出てシェッドの扉を開けるとき、僕は解放され、仕事や家族の世話で多少重たくなっていた心も、ふわりと軽くなります。ビールをぐいっと一口飲み、使い慣れた道具類を目で愛でながら、僕は週末の庭仕事に思いを馳せます。あるいは、屋根にかけた梯子に颯爽と登り、雨漏りを直す自分の姿を想像します。そんな父親の勇姿をまぶしげに見上げる息子鈴吾郎(りんごろう、7才)の熱いまなざしを心に浮かべるとき、僕の胸には、ぐっと熱いものさえこみ上げてきます。

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アルハンブラのある場所は、前はニワトリ小屋だった。
鈴吾郎(7才)とニワトリ小屋を解体するわたし。

 さあ、これで僕も一人前のオーストラリアのオトーサンです。町内のバーベキューのときだって、よそのオトーサンたちとシェッド談義に花を咲かせることが出来ます。他のオトーサンのシェッドを、よだれを垂らして眺めているだけの僕とは、もうサヨナラです。

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オーストラリアのオトーサンたち。私の強い味方、大工の棟梁ギャリー(左)と、コンクリートミキサーのオヤジ(前回のブログ参照) 
  
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2010年03月15日

ネコとの日々

 猫についてブログに書くというのは、巷では案外流行っているのかもしれません。飼い猫のとっておきの写真をウエブサイトに載せ、その可愛さ、猫を飼う喜びを多数の人と共有することには、かなりの癒し効果があるに違いありません。

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うちのタマ猫

 私も、今日はうちの「ネコ」について書こうと思います。でも、私が書こうと思っているのは、うちの「タマちゃん」のことではなくて、こういうネコのことです。(下の写真を参照)

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うちのネコ車「シャーロック号」


ネコ車とは

 そう、これはいわゆる「ネコ車」と呼ばれる一輪の荷車です。つるはし、スコップなどと並んで、建築業の方々や植木屋さんには欠かせない道具です。どうしてこれを専門筋の方々が「ネコ車」、あるいは短く「ネコ」と呼ぶかと言うと、それは、「猫しか入れないような狭い場所でも使える」、「高くて狭い足場の上でも使える」からだそうです。裏返して置いておくと、裏側が猫背だから、という節もあります。(どうして裏返しにして置くかと言うと、それは雨水が中にたまって錆びないようにです。)
 実は僕も、このネコ車を最近買いました(オーストラリアでは、wheel barrow =手押し車と呼び、catとは呼びませんが)。これまでうちの庭では、二輪のリヤカーみたいな荷車を使っていたのですが、妻のアトリエを改築する際、土台に使う1トンほどのセメントをミキサー車からアトリエまで運ぶ必要があり、本格的なネコが必要になったのです。ちょっと値は張ったのですが、奮発して、大きくて丈夫なのを買いました。

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鈴吾郎(りんごろう、7才)は力持ち


ネコの扱い方

 ところが、このネコ、オーストラリア人の労働者(トレーズマンと呼びます)の体に合わせてあるので、その大きくて重いこと。本体は鉄と丈夫な木で出来ていて、その上容量100リットルの荷台が載っているので、水を一杯に入れると、当たり前ですが、100キロ以上の重さになります。オーストラリアのトレーズマンのおっちゃんたちは、それになみなみとセメントを入れて、軽々運びます。
 おっちゃんたちは、ネコを操るのが大変巧みです。ネコに入ったセメントを地面に空けるときは「どりゃっ」と、かけ声をかけ、ハンドルの部分を上に跳ね上げ、ネコがほぼ垂直に立った瞬間に、鉄棒で言えば、「順手」で握っていた両手をぱっと放し、すぐさま「逆手」に持ち替えます。そして、セメントが地面に「どばっどばっ」とこぼれ始めた瞬間また手を離し、今度は、ネコの裏側の横木を両手で握り、さっと手前に引きます。すると、ネコの荷台に残っていたセメントが全部きれいに地面に落ちるのです。
 僕もセメント運びを手伝いましたが、100キロはとても運べません。せいぜい40キロ。腕中に入れ墨をしたミキサー車のおっちゃんは、意外に優しい声で、「少ない量でウォームアップしてから、段々増やして行きましょう」と手加減してくれました。
 そして、僕は、この「どりゃっ」、「順手」、「逆手」、「さっと手前に引く」のコツを大工の棟梁に伝授してもらいました。ところが、僕の腕力と体重だと、40キロのセメントでどうにか「どりゃっ」、「順手」、「逆手」まではたどり着けるものの、最後に「さっと手前に引く」のところでネコを支えきれません。それで、みっともない格好で前のめりになり、ネコごとセメントの海に墜落するという情けない構図になるのでした。

ネコとの毎日

そんなで、ネコは私の暮らしに重要なパートナーとなりました。妻のアトリエの改築に伴って、それまでそこに入れていた庭道具やら自転車の行き場がなくなったので、僕は、庭の裏に小さな物置を置くことにしました。今はその土台作りに精を出していますが、ネコはここでも大活躍しています。

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できかけの物置の土台

 物置の土台作りなんて、一見大したことなさそうですが、傾いた地面を平らに馴らすため、大量の土を掘って移動させなければなりません。その際、表面の黒土は、もったいないので畑に移します。ここでもネコが活躍。地面からは、石がごろごろ出てきます。これを庭の隅に動かすにもネコが活躍。
 こうやっていると、どうしてこれまで、ネコなしで暮らせてきたのか不思議なくらいです。

「穴は掘るもの、落っこちるとこ」
 
モーリス・センダックというアメリカの絵本作家に、『あなはほるもの、おっこちるとこ:ちいちゃいこどもたちの せつめい』(渡辺茂男訳、岩波書店)という作品があります。これは、子どもが、身の回りの穴のようなものを、大人と全く違う感覚で見て考えている、という楽しい絵本です。子どもから見ると、穴は 掘るために掘ったり、落ちるために掘るもの、ということになるようです。
 さて、ダンデノン山に住む僕にとっては、穴掘りを始めとした肉体労働が日々大きな位置を占めています。肉体の労働は決して苦役でなく、楽しい作業です。まさに穴は掘るためにある、という感覚かもしれません。パソコンの前に長時間座っていたり、文学批評の難しい本を額にしわを寄せて読んでいたりすると、「ああ、地面を掘りたい!」という欲求が湧いてくるくらいです。穴掘りは、本当に、楽しく、奥が深いのです。
 でも、以前の僕は、土木工事のような肉体労働は馬鹿にしていました。穴掘りなんてレベルの低い仕事で、必要ならばお金を出して誰かに頼む仕事だと信じていました。そう思っていた自分は、何も知らなかったんだなと感じます。
 僕は、造成中の多摩ニュータウンで子ども時代を過ごしましたが、そこで垣間見た建設関係のおっちゃんたち(その頃は「土方」と、やや蔑んだ呼び方だった)の様子が、そのマイナスイメージを作ったのかもしれません。飯場で暮らし、現場で働くおっちゃんたちは、僕には怖い存在でした。彼らは、夕方になると汗や泥で汚れた格好のままトラックや飯場のバンからぞろぞろ降りてきては、近所の焼き肉屋や中華料理屋に集い、酒を飲み、僕には理解不能の方言で大きな声でしゃべったりしていました。両親も、「ああいうおじさんには、ついて行ったらいけないよ」と言っていました。その頃、テレビで見ていた『巨人の星』の主人公の星飛雄馬のお父さんの家庭内暴力的イメージも、肉体労働に対してネガティブなイメージを植え付けるのに加担したでしょう。

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穴堀りの道具類。
(右から二つ目のT字型の道具は、細くて深い穴を掘る道具「オーグル」。時計回しにぐいぐい回すと土が上に登ってきて穴が掘れるが、すごく力がいる。

 それが、僕の「穴掘る人」のイメージでした。でも、自分でもしょっちゅう穴を掘るようになって、僕のこうした固定観点は吹き飛びました。こんなに楽しくて、奥深いことを、毎日やっている人たちもいるんだと。穴を掘ることには、非常に哲学的、精神的な面があります。だから、プロの土工の中には、星飛雄馬のお父さんも含めて、実はすごい人材が埋もれているのではないかと考えるのです。
 第一、穴を掘りは楽じゃありません。乾いて、こちこちになった粘土質を掘るのは大変です。雨で湿ったら湿ったで、重くなり、ねっとりスコップに張り付いて、これも容易じゃありません。僕は最初、やたらに力んで「うんせ、うんせ」と、掘っていましたが、それでは到底穴らしい穴なんか掘れません。でも段々慣れてくると、最小の力で、最大限に掘れる方法が身についてきます。それを体得するのが穴堀りの喜びです。

穴堀りのコツ:

 体力を効果的に使う為、丁寧にゆっくり掘る。
 穴が深くなってきたら、腰を低くして、時には、横座りになって掘る。
 掘った土は、やたらに放り投げるのでなく、きちんと一カ所にまとめる。
 利き手の右手だけじゃなく、左手でもシャベルをもち、バランスよく筋肉増強に努める。
 堀った穴の中の壁は、出来る限りきれいに仕上げる。
 シャベルの使い方、振り方、土の投げ方、ネコの取り回し方などをアートと考え、常に美しいフォームを保つようにする。
 掘りながら、出てくる根っこ、石、ゴミ、虫の幼虫などを観察しながら掘る。
 地質の変化も観察する。
 このままずっと掘っていくとどうなるかなど、子どもが考えるようなことを考えつつ掘る。
 穴堀のプロじゃないのだから、毎日、少しずつ、好きなだけ掘る。(穴掘りだって、プロには締め切りがあるでしょうね。)
 掘るのが大変な場合ほど、無心で掘る。
 同様に、どれほど深くて、掘るのが困難な穴でも、いつかは掘り終えられるのだと信じ、自己信頼を深める。
 掘るのが難しい穴(例えば、深くて細い穴)こそ、掘りがいのある穴と考え、どうやって掘れば良いか熟慮する。
 息子の鈴吾郎や他の子どもが穴掘りを邪魔しても怒らない。あくまで遊びと考える。
 良い穴が掘れたときは、自分を褒めてやる。しかし、謙虚に努め、妻などに自慢したりはしない。そうすれば、その喜びは、体内に蓄積され、「喜びの貯金」となる。 
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穴掘りは、子どもには遊び。僕にも遊び

穴は掘ったら埋めるもの

 最後に付け加えるなら、穴というものは、どんなに苦労して掘っても、ほとんどの場合、後で埋めなければなりません。せっかく掘ったからと言って、いつまでも愛でていては、コンクリートを流し込むこともできなければ、植木を植えることもできません。第一、穴が空いていると、センダックの絵本のように、誰かがしょっちゅう穴に落ちて危険です。

 掘った穴は、潔く、埋める。そこに穴堀りの美学があるのかもしれません。

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2010年02月12日

夏の終わりの自転車旅行

メルボルンは1月いっぱいで夏休みが終わります。2月からは新年度、新学期。夏休みの最後の週末、僕と、息子鈴吾郎(りんごろう、7才)、それから鈴吾郎の同級生、ルカとお父さんのトニーの4人で、自転車旅行に行きました。言ってみれば、男組の旅。英語で言うなら、Boys only weekend.


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素晴らしき、自転車野郎

 トニー父さんはサイクリスト、自転車屋に勤めています。そればかりか、自宅裏庭は自転車工場と化し、常時80台ほどの古自転車が積んであるマニア。古自転車を再生しては、eBayで売るのが副業。ルカは、その息子だから、オムツをしているときから自転車に乗っているような、かなりの「乗り師」。
 一方、僕も、中学時代からの自転車男。北海道はこれまで2周し、東京、箱根、丹沢、奥多摩、秩父、山梨、茨城、埼玉、千葉、静岡、信州、愛知くらいまでの裏道、山道、林道は、ほとんど走破。オーストラリアにもランドナーとロードレーサーの愛車をもって移住。鈴吾郎が生まれて歩けるようになるや、すぐに自転車に乗せ、4才で補助輪を無理やり外し、父子サイクリング。鈴吾郎も、「モングース」、「ラーレー」といった、しぶーい子ども車で修行をつみ、今では20インチ5段ギア付きマウンテンバイクをびゅんびゅんに操る自転車野郎です。

自転車専用道ウォーバートン・トレール

 さて、今回我々男組の出かけた先は、ウォーバートン・トレールというメルボルンの東、我が家からは目と鼻の先にある、全長40キロの自転車専用道でした。http://www.bv.com.au/bikes-&-riding/11402/
 で、ここを父子二組で全線走破しようというものです。片道40キロ、往復80キロなんて、トニーも僕も屁でもありませんが、7才の息子二人を連れてのツアーとなると、どうなるか分かったものではありません。ほぼ全行程が細かい砂利の田舎道なので、僕は女房のマウンテンバイクを借りました。荷物は、もちろん全部父親持ち。寝袋二つと着替えなどを詰め込み、二泊だけなのに結構な荷物となりました。荷物を積むため、ハンドルの前にはママチャリ用のカゴまで装着。かなりダサイが、これが超便利。


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Cog Bike Cafe

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7歳児の早いこと!


 さて、走り出しは、マウント・エブリンにある、Cog Bike Cafe。ここまで自動車で行きます。
http://www.cogbikecafe.com.au/ ここは、メルボルンのサイクリストが集う、有名な自転車店兼カフェ。焼きたてのマフィンを食べて、いよいよ自転車で出発。
 最初は長い下り。ルカと鈴吾郎は、飛ばす、飛ばす! その上、競争して、接触事故まで起こすもんだから、「レース走行はなし!ちゃんと一列で走れ!」と、トニーに叱られました。それでも、あっという間に10キロほど走り、早めのお昼ご飯にしました。


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 実は、ウォーバートン・トレールは、森林蒸気鉄道の跡を自転車道にしたものです。貨車と一緒に客車も走っていたので、数キロごとにまだ駅跡が残っています。ビクトリア州には、こんなレール・トレールがあちこち整備されており、徒歩でも自転車でも馬でも、散歩したり、走ったりできるようになっています。詳しくは、http://www.railtrails.org.au/

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自転車野郎、鈴吾郎

 さて、僕と鈴吾郎は、このウォーバートン・トレールは、実は以前にもう走っているのです。鈴吾郎は、5才くらいのときから、16インチのちび自転車でびゅんびゅん走っていたのでした。最初の時、5才の鈴吾郎が、いきなり15キロ走破したので、僕はびっくり。それ以来、20キロ、25キロと距離を増やしてきました。今年になって、20インチのギア付きに乗れるようになったので、この旅行を企画したのです。16インチで25キロ走れるなら、20インチで、往復80キロは軽くいけるだろうと。
 そんなで鈴吾郎は、すいすい。ルカも、すいすい。7歳児ライダーの早いこと、早いこと。お父さん二人と言うと、荷物を積んで、遅れないように「ひー、ひー」、「ふー、ふー」と、ついて行きます。 

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 景色は、ずっと田園地帯。ウォーバートン連山を見ながらペダルを踏み続けます。途中、ミルグローグの製材所で一休み。トニーは、自転車屋になる前は、高い木に登って枝を払ったり、枯れ木を切り倒したり、いわば「木こり」をしていたので、こんな製材所にも友達がいます。

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ウォーバートン村で

 午後4時、目的地のウォーバートン村に到着しました。山間の静かな村です。村の真ん中には、山から流れ出るヤラ川の清流が流れます。週末なので、メルボルンからの避暑客で大にぎわいでした。

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 僕たちは、ここのキャンプ場のキャラバンに泊まりました。「40キロ走って、くたびれた?」と鈴吾郎に聞くと、「ううん、全然。」ルカも「全然!」と、二人とも涼しい顔。そこで、みんなで川遊びにうち興じました。

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 晩ご飯は、手抜きでお持ち帰りピザですませました。(どうせ、男組の旅行ですから!)夜はキャビンで、カードゲームを何度も何度も、眠くなるまでひたすら続けました。

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思わぬアクシデント

 翌日は、ウォーバートンの周辺のサイクリングロードを4人で走り回りました。合間に、でっかいアイスクリームを食べたり、川で遊んだり、夏の名残を大いに楽しみました。
 ところが、午後、思わぬアクシデント。トニーお父さんが大転倒しました。それも、ルカのちっこい自転車で。チェーンの具合を見るために乗っていたら、チェーンが外れて、「ずてーん」と転んだのです。(そりゃ、子どもの自転車に大人が乗れば、ひっくり返るわい!)お陰で、トニーは、両肘を真っ赤に擦りむき、膝をねんざ。これでは、とても翌日走っては帰れない状態です。しぶしぶ奥さんに電話して、翌朝ウォーバートンまで車で迎えにきてもらうことになりました。(猿も木から落ちる?自転車屋も自転車から落ちる?)


旅の終わりに

 翌朝。冴えない顔のトニー、ルカ父子をキャラバンに置き去り、僕と鈴吾郎は、愛車にまたがって颯爽と帰路につきました。
 午前中は、元来た道を快調に突っ走りました。ところが、気温がぐんぐん上がって35度に。7才の鈴吾郎には、ちょっと過酷な状況です。「暑くて、もう嫌だあ」と、ぐずぐず。仕方がありません、鈴吾郎もここでリタイヤです。ママに電話して迎えにきてもらいました。
 アイスクリームをなめながら、いそいそと車に乗り込む鈴吾郎を見送りながら、「何だか、ちょっと中途半端な結末になったなあ…」と、僕は思いました。でも、子連れツアーだから仕方ありません。でも、お陰で、最後は一人で最後の20キロを出発点まで走りました。久しぶりに、のんびりソロで走る喜びを大満喫。

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 やっぱりサイクリングは、いいなあ!

 家に着くと、トニー父さんから、「また行こうぜ! でも、次は絶対に転ばないからな。」というメールが来てました。
 
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2010年01月01日

雨樋につまったポッサムの写真

雨樋から救出されたポッサムの写真です。

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そのポッサムを助けている私です。
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2009年12月20日

雨樋パイプに詰まったポッサム

ポッサムを助けたことがあります。それも2週間続けて、同じ場所で、違う二匹のポッサムを救出したのです。


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有袋類ポッサム

ポッサムとは、オーストラリアにたくさん住む有袋類の動物です。(北米の「オポッサム」とは違います。)僕が暮らすメルボルンのあたりには、ブラッシュテイル・ポッサムと言う、しっぽがふさふさした猫くらいの大きさのやつと、リングテイル・ポッサムという、もう少し小さいしっぽがくるくるまるまったやつがたくさんいます。その両方とも我が家の木に暮らしていています。彼ら/彼女らは夜行性ですから、真夜中に木から屋根に「どかん!」と飛び降りてきて活動開始、「どす、どす、どす」と走り回ったりします(うちはトタン屋根だからすごく響く)。それからレモンの木からレモンをとって皮だけ食べて捨てたり、自動車の屋根の上にウンチをぽろぽろまき散らしたりします。かわいいのですが、いたずらものです。


ポッサムとの触れ合い

ダンデノン山でもう10年も暮らしていますから、ポッサムとはいろいろな出会いがあります。引っ越した当初は、人懐っこいブラッシュテイル・ポッサムが毎晩、居間の窓の外に来ては、食べ物をねだりました。ある暑い夏の昼間には、小さなリングテイル・ポッサムが家族の見ている前で木から降りてきたと思ったら、目の前でころんと倒れて、絶命したこともあります。

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あるときは、妻のチャコの絵描きスタジオの机の下で、大きなブラッシュテイルが死んでいたこともあります。その時は、死んでいるのを知らなくて、だんだんスタジオが臭くなってきたので、机の下を掃除したら、死んでいたのです。死んでから10日はたっていたでしょうか、もうかなり「熟成」が進んでいました。チャコは、「うえええ、お願いだから、捨ててきて!」と、訴えました。こういう仕事は、なぜか僕の仕事です。


腐ったポッサム

2年前には、やはり大きなブラッシュテイルが、雨樋のパイプのL字に曲がった角につまって死んでいたこともあります。ポッサムは、水を飲もうとして、雨樋パイプに潜りこんだのでしょうか。この時は、雨水が流れずに逆流してきたので分かりました。最初は雨樋に何がつまっているのか分からなくて、棒やらホースやら突っ込んでつまりを通そうとしたら、腐ったポッサムの毛やら肉やらがずるりと出てきて、さすがの僕も吐きそうになりながら、雨樋を全部外して掃除しました。あのときは、まいりました。

歴史は繰り返す

今度は、その全く同じ雨樋の、しかも全く同じ場所から、違うポッサムを、2週続けて助けたのでした。ちょうど昨夏の今頃でした。

あれは確か12月初旬、夏の山火事シーズンになったので、雨樋にたまった落ち葉を片付けていたのです。山火事のとき、灰が空から降ってくると、屋根の落ち葉に燃え移り、それで家が燃えることがあるのです。その時は、落ち葉を片付けた後に、2、3日して雨が降りました。すると、掃除したばかりなのに、また雨樋が詰まって水が逆流したのです。僕は、「変だなあ」と思って、しかも、前の年に腐ったポッサムを取り出したことを思い出し、嫌な予感がしました。そして、例の雨樋を点検すると、案の定、何か重たいものがパイプの角のところにびっしり詰まっているのです。

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「えっ! またポッサムが詰まったの?」腐ったポッサムの悪臭が蘇り、僕は、「いやんなっちゃうなあ…」と、泣きたくなりました。しかも、雨樋の上の口には、もうこれ以上ポッサムが落ちないように、金網でしっかりふたをしたつもりでした。ところが、屋根に上がってみると、金網は風か何かで外れてしまっていたのです。そこに、また間抜けなポッサムが落ちたとは!

「この雨樋は、ポッサムには鬼門に違いない。きっとポッサム地獄の雨樋だ!」僕は、そう思いました。それからまた腐ったポッサムを取り出すべく、精神統一し、心を無にして深呼吸をし、それでもタオルでマスクをして悪臭をかがないようにパイプを外しにかかりました。すると、中から「ピー」とか「キー」とか声がして、ごそごそ動く気配がするのです。僕は、死んだポッサムを見たときよりもドキッとしました。気を失っていたか、観念していたポッサムが、息を吹き返したのでしょう。

「うー、こいつ生きてる!」僕は、驚愕しました。横で見ていた息子の鈴吾郎も、「えっ、本当、生きてるの!?うわあ、すごい!」と喜んでいます。少なくとも、このポッサムは落ちてから2、3日はパイプに詰まったまま過ごしているはずです。しかも最後の一日は雨が降ったから、垂直パイプの中で逆さまになり、滝のように落ちてくる水をお尻で受けながら耐えていたことになります。どんなにか辛かったことでしょう!

「なんという根性のあるポッサムだ!」僕は、今度はレスキュー隊員に変身し、急いでパイプを外しました。(耳の中では、なぜかウルトラセブンのテーマソングが流れ出しました。)ところが、よほどでかいポッサムなのか、なかなかパイプの継ぎ目が外れません。あまり強く引っ張って、ポッサムの首を折ったりしては大変です。力を入れつつも、そーっと、引っ張りました。すると、パイプのジョイント部から見えました、黒くてでっかくて、ずぶぬれになった奴が。

「キー、キー!」そいつは、図体の割には情けない声で鳴いています。2日も閉じ込められていて、さすがに体力を消耗したのでしょう。「がんばれ、もうすぐだ!」、僕は力を入れてひっぱりました。鈴吾郎も、「がんばれ、がんばれ!」と叫んでいます。

濡れて、臭いポッサム

ついにパイプが外れ、そいつの顔と上半身が現れました。濡れたポッサムは、情けない顔をしています。まだ下半身を雨樋に入れたまま、宙づりになっています。「よおおし、今助けるぞ」僕は、叫びました。ところが、このポッサムは、下半身がとても太っているので、パイプからなかなか抜けません。その上濡れたポッサムは滑る上に、かなり強い「ケモノ臭」を発していて、生暖かく、何とも気色悪いのです。それに、ポッサムは木登りをする動物なので、前足には鋭い爪が生えていて、うっかり引っ掻かれたらけがをします。だから、僕はあらゆる意味であまりポッサムに触りたくなかったのですが、まさか宙づりのポッサムを見捨てる訳にもいかず、及び腰になりながらも、ポッサムの胴の辺りを引っ掴んで、「こんちくしょー!」と叫んで引っ張ったのです。

するとポッサムは、ずるんと雨樋から抜けて、下においてあったバケツのなかに、「べちゃん!」と音をたてて落ちたのです。僕は、尻餅をついてしまいました。一部始終を見ていた鈴吾郎は「アハハハハ!」と、腹を抱えて大笑いです。

ポッサムは、数秒バケツの中で放心したような顔をしていましたが、助かったと分かると、猛烈な勢いでバケツから飛び出し、近くの木に駆けのぼってしまいました。せっかく助けたのに、「ありがとう」の一言もなく。僕は、緊張がとけて、へたりこんでしまいました。

歴史は何度でも繰り返す

ところが、そのちょうど一週間後、またポッサムが、あの「ポッサム地獄の雨樋」に落ちたのです。発見したのは娘の鼓子です。

「何か、あの雨樋のパイプからまたぴーぴー声がするみたいなんだけど…」と、パソコンの前に座っていた僕に鼓子が言いにきました。
「アハハ、冗談はやめてよ」と僕は言いました。しかし、鼓子は、そういうたちの悪い冗談はあまり言いません。その上、まじめな顔をして僕の顔をじっと見つめているのです。僕は、「ポッサムがいくら間抜けでも、また落ちるなんて、そんなことあり得るかなあ、なんか別の生き物じゃないの?猫とか。」と、言いました。でも鼓子が、「何でもいいから、見てきてよ、死んだらパパのせいだよ」と言うので、僕はしぶしぶ地獄雨樋に耳をつけました。

すると確かに、「ピー、ピー」と、声がし、中からごそごそ音がします。
「ああ、まただ、やれやれ。」僕は、いやいやレスキュー隊になり、雨樋をもう一度外しにかかりました。2度あることは3度あると言うのは事実らしく、金網は、またもや外れてしまったようです(後は、前と全く同じなので繰り返しませんが、三度目に落ちたのは、かわいいリングテイル・ポッサムでした。助けると、大きな目をぐりぐり回し、やはり脱兎の勢いで、逃げて行きました。)

もう二度と、ポッサムが落ちないように、「地獄雨樋」には、今度こそ、しっかりと金網をしました。

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どんな動物も死ぬば腐る

オーストラリアにいると、こんな「動物との出会い」がしょっちゅうあります。僕は、その後、近所の仲間たちとバーベキューをする機会があったので、ビールの肴にさっそくこの「ポッサム騒動」を話しました。すると、笑いながら話を聞いていたイアンというおとっつぁんが、「お前さんよ、腐ったポッサムくらいで慌てちゃいけねえっての。昔、おいらが家族でキャンプに行って川べりにテントを張ったら、川上から死んだ牛が流れてきてよ、臭えのなんのって。でも、棒で押し返そうたって、重たくて動かねえ…」と、話しました。うげええ、気持ち悪い!

オーストラリアに住んでいると、限りなくこういうエピソードで盛り上がれちゃうのです。

(木の上のポッサムの写真は、正保春彦氏撮影)
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2009年12月04日

広いようで、柵で仕切られた大地、オーストラリア

ダンデノン山に暮らしていると、よく隣近所から薪をもらいます。夏の山火事シーズンにむけて、たまった落ち葉や枯れ枝を掃除したり、草を刈ったりといった庭掃除に余念のないこの季節、枝払いをした枝や、放置してあった枯れ枝なんかを垣根越しにいただきます。
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この近所の敷地はみな300坪以上で、どの家にも少なくとも2、3本は、高さ10メートルから20メートルはある原生樹のユーカリの巨木が生えています。幹の太さは直径1メートル以上あるでしょうか。ユーカリは、乾いた土地で生存してゆくため、少しの雨水でも吸い取れるように、根は広く浅く張り、乾いて枯れた枝は自然に折れて落ちてきます。細い枝だけでなく、時には何百キロもあるような太枝も落ちてくるので、たまたま下を歩いていたりすると大変不運なことになります。わが町ベルグレーブでも、家や自動車をつぶされたり、運悪く亡くなる方も時にあります。(キャンプに行っても、決してユーカリの枝下にはテントを張ってはいけません。)
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うちのとなりは、退役軍人のキース氏一家が暮らしています。キース氏の家にもユーカリの巨木が何本もあり、ときどき「どすん!」と枝を落とします。そんなで、よくキースからは薪をもらいます。ところが、この間は我が家との間のフェンスに大枝が落ち、ただでさえ古くてもろくなっていた木製フェンスが崩壊してしまいました。そんなで、昨日は僕とキースでフェンス直しをしました。

オーストラリアの田舎に住んでいると、フェンス直しは、男ならば(男でなくともいいが)しなくてはいけない作業の一つです。我が家は敷地が600坪なのでフェンスの全長もたかが知れていますが、10エーカーとか、何百、何千ヘクタールという農地では、フェンスは、何キロ、何十キロという長さになります。しかし、どれだけ広い農場でも、フェンスがなければ大切な牛や羊の家畜が外へ出てしまいますから、フェンス直しは必要です。害獣(ウサギ、キツネ、鹿、など)の侵入を防ぐ役割もあります。うちの知り合いでも、近所のモンバルク村で30エーカーの牧場(特に広い方ではない)に、馬、羊、ヤギなどを飼って住んでいる家族がいますが、お父さんのビルは暇さえあれば、どこかでフェンスを直しています。
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オーストラリアは、広大な大地ですが、よく見るとその土地の多くはフェンスで囲われ、細かく仕切られているのです。Doris PilkingtonとNugi Garimaraの小説、Rabbit Proof Fence という小説は、映画化され、日本でも公開されましたが、これはフェンスがモチーフの物語です。西オーストラリアには、ウサギ(オーストラリアでは害獣)除けのフェンスが砂漠の中に1600キロメートルという驚異的な長さに渡って設営されています。このフェンスに沿って、原生民族アボリジニの姉弟が、強制的に収容されていた寄宿舎から生まれ故郷の村に向かって何百キロも歩いて帰るという実話に基づいた話です。こんな長い距離を子どもがとぼとぼ歩いて帰るというのも信じられませんが、このフェンスを作った人も大変だったろうなと思います。

オーストラリアには、こうしたフェンスや「境界」を題材とした文芸作品が他にもあります。伝統的なのは、Boundary Rider(boundaryは「境界」の意)たちについての伝説や詩です。これは、広大な牧場の柵やフェンスに沿って馬を走らせ、壊れたところを修繕して歩く牧童の話ですが、20世紀初頭のThomas Heneyというオーストラリアの詩人にBoundary Riderという詩があります。(ここでは引用しませんが。)

現代のboundary rider達は、ホンダやヤマハのオートバイ、あるいは四輪駆動の自動車に乗ってフェンスを点検しますが、しばし泊まりがけになるこの旅は、単調でもあり、孤独で過酷な旅のようです。そのように、フェンスを直したり、境界に沿って歩くことは、オーストラリアの僻地においては日常的な出来事です。また、時には他人が所有している土地を横断することもありますが、そのときのエチケットは、フェンスのゲートを開けたら必ず閉めることです。オーストラリアの人たちは大変几帳面で、誰も見ていないからと言って、ゲートを開けっ放しのまま放置する人などはいません。

私の家の前は、某宗教団体所有の土地で、敷地は5エーカー(6000坪)程です。この団体は、愛玩用に羊を5、6頭飼っているのですが、管理人がうっかり者なのか、ここのゲートはしょっちゅう開けっ放しで、すぐに羊が門から出てきてしまいます。それだけならいいのですが、この羊どもは花壇の花が大好きで、近所の老人が庭先で大切に育てたバラでもチューリップでもむしゃむしゃ食べてしまうのです。こういうのは、ひんしゅくものです。
 
Jackie Frenchという、オーストラリアでは人気のある児童文学作家(日本ではそれほど知られていない)には、Walking the Boundariesという作品があります。これは、都会育ちの子どもが、おじいさんの農場で夏休みを過ごし、boundary riderのように敷地を一周する冒険に出て行くうち、タイムスリップして過去の時代の子どもたちと知り合う物語です。過去の時代の子どもたちとは、フェンスや境界など全くなかった時代の先住民アボリジニの少年、それからオーストラリアがフェンスだらけになっていった植民地時代の少女です。この作品は、現代オーストラリアに引かれた境界線は過去からの遺物であり、それは植民地政策の中で発生した土地の個人所有のためのものでありつつ、人種差別や先住民軽視の象徴でもある、ということを間接的に語っています。また、境界線とは何であるか、それは、土地を仕切る線だけではなく、男女の区別、階級の違い、世代の違い、都会と田舎、人種、果ては生と死なども含む概念であり、突き詰めて考えれば考えるほど、曖昧になってくる「差異」でもあります。このことを考えることも、この作品のテーマでしょう。

それはともかく、うちの息子の鈴吾郎ときたら、フェンスを作り直したとたん、うれしそうにそれをよじ登って越え、境界なんて小さな子どもにはまるで無意味であることを思い知らせてくれました。一方の大人たちときたら、ちょっと木が倒れてフェンスが壊れただけで、大慌てでこれを修繕し、それでやっと秩序が保たれた気持ちになるという始末。だとすると、成長することは、不自由になっていくことと同義なのかもしれません。

さて、フェンス直しも終わったし、いよいよ12月の中旬から山火事危険期に入るので、庭掃除に精を出さなくてはなりません。夏になると、庭の畑の雑草抜きも、朝飯前の涼しい時間の作業になります。

(以下の写真は、昨夏に近所であった山火事の跡)
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2009年11月12日

薪割り日記、開始

薪割り日記というブログに文章を書くことにしました。最近、自分のウエブサイト(www.tetsuta-watanabe.com)を作ったので、これに日々の思いや出来事を書き加えようと思ったからです。薪割りは、僕がほぼ毎日することです。秋、冬、春とうちの古い薪ストーブにくべる薪を作ります。夏も薪を割っては冬に備えます。だから、このブログも、薪割りのように続けていこうと考えて、こんな名前にしたのです。(毎日更新するほどではないにせよ。)
 薪は、メルボルンのこの辺りで買うと、一立方メートルで120ドル(一万円)くらいします。だから贅沢品です。ダンデノン山に越してきたときは、僕も2、3回買いましたけど、このごろは、どこかで木が倒れると、友達や近所の人が「木が倒れたから取りにおいで」と電話をくれます。だから、もう買うことはありません。薪ストーブは暖かですが、それは木が燃える暖かさだけでなく、友情の暖かさでもあります。友達がいる限り、薪の供給は安泰です。
 ダンデノン山は、高さ30メートルもあるマウンテンアッシュというユーカリ樹に覆われています。僕は、20年連れ添った妻(日本人)と、娘(もうすぐ15才)と息子(7才)で、この山に暮らしています。「薪割り日記」には、もちろん薪割りのことだけでなく、ダンデノン山での家族との暮らしを書こうと思います。
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