2014年05月08日

砂利を敷く

2014年5月7日

今日やったことと言えば、地面に砂利を敷いたことだ。それだけである。しかし、それで大いなる達成感を得られたのだから良かったではないかと自賛している。

砂利と言えば、 僕には苦い思い出がある。小学3年生くらいのころ、我が家の近所はまだ道路が舗装ではなくて砂利敷だった。ある日、近所のマーちゃんちで遊んでいたのだが、そのうちマーちゃんちの庭に道路の砂利を敷きつめてきれいにしようということになった。そこで、僕たちは大奮闘して砂利を敷き詰めた。ところが後で、とんでもないことをしでかしたと言って、マーちゃんのお母さんに大目玉を食らった。その上、せっかく運んだ砂利を道路に戻させられて閉口した。

さて、今回なぜ我が家の庭の隅に砂利を敷いたかと言うと、自動車を置く車寄せを作るためだ。なぜ車寄せが必要かと言うと、娘が中古のカローラを買ったからだ。そして、庭で余分な車を置ける場所が、メルボルンが冬になって雨が多くなると、泥が柔らかくなってタイヤが埋まって、車が出しにくくなる場所だったからだ。


砂利を敷くなど、人を呼んでやってもらえば済むと思うだろうが、昨今、世界でも一番人件費が高いと言われているオーストラリアで、いちいち砂利を敷くだけのために人を雇うなどと言うのは最も贅沢なことだ。だが、そう言う僕も、以前は砂利を敷くなんていうのは、この世でもっとも下等な仕事だと信じていた。だから、そんな自分が砂利敷きをするようになるなんて以前なら夢にも思わなかっただろう。しかし、ベルグレーブの山へ越してきてかれこれ14年、この物価高のせいもあって、こんなことは全て自分でするようになった。

予想通り、今日の砂利敷きの作業は実に楽しかった。子どもの時、喜々としてマーちゃんちの庭に砂利を運んで 以来だ。おまけにこの作業は僕に新たな発見をもたらしてくれた。


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敷いた砂利は、5トンダンプに軽く山盛りに積んできた量で、3立法メートル程だったろうか。これが多いか少ないかは感覚の問題だろう。しかし、重さは3トン以上あるのだから、その量を腕力だけで移動させるには、けっこう体力を使った。作業に用いたのは、大きめのスコップ、小さなスコップ、金属製の熊手、それと畑で使う小さな鋤(すき)だった。

最初は大きなスコップで砂利をすくったが、すぐに腕が痛くなった。これではまるっきりダメだと観念した。それで小さなスコップに持ち替えた。ところが、もっと能率が落ちた。熊手も使ってみたが、表面を馴らすには良いが、大量の砂利を移動するには向いていない。そこで鋤を使ってみたら、これが一番能率良かった。

with shovel.jpeg

30分ほど、鋤を使って砂利を移動させた。すると、能率が良いだけに筋肉の疲労が著しく、腕がどうしようもなくだるくなった。もうこれ以上続けていられない気分だった。だが砂利はいくらも減っていない。このままでは夕方娘が帰ってきても、自動車を停める場所がない。

そこで、しばらく休んだ。そしたら腕のだるさがなくなった。そこで作業を続けた。でも、すぐにまただるくなった。そこで、また大きなスコップに持ち替えた。ただ、今度は大きなスコップに目一杯じゃなくて、半量くらいの砂利をすくって投げた。これが最も効率がよく思えた。しかも、無闇にすくって投げるのではなく、右腕で10杯、次は左腕で10杯という風に、作業を重ねていく。砂利を投げる方向も、撒いた量が少ない所を重点的にねらっていく、という風に戦略的に作業を行った。砂利のすくい方にも、ちょうど良い力の入れ方があることも段々分かってきた。言ってみるならば「砂利の気持になる」ってことかもしれない。

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そうしているうちに、作業は意外なほどはかどった。途中で優雅にコーヒーブレークなどを入れて3時間程で作業を終えた。結果、見事な車寄せが出来上がった。娘の喜ぶ顔が目に浮かんで嬉しかった。さっそく自分の自動車を停めてみたが、もう泥にタイヤが埋まることもなく、真新しい車寄せの上に僕の車は嬉しそうに君臨してみせた。

with car.jpeg

砂利を敷くという作業も、これまでバカにしていたようなものでは全くなかった。それどころか、立派な作業であることが分かった。一体、自分の生立ちや、受けてきた教育はなんの為だったのだろうと、こういう肉体作業をするといつも感じる。壁にペンキを塗ったり、編み物をしたり、地面に砂利を敷くような単純な作業こそ感覚を鋭くする素晴らしい瞑想の一種だ。それだけでなく、 腕の筋肉の疲れを克服する為にスコップの使い方を工夫したり、 砂利を投げる回数を数えることで、精神的な困難を乗り切れることも分かった。こういったことは、頭で考えているだけでは決して分かり得ない。

今、人類は癌やアルツハイマー症などを克服し、長生きをする為の術を探し求めることに血眼になっている。難病の治療法にこそならないが、砂利を敷くような単純な作業には、日々を健やかに生きられる秘訣があるのかもしれない。

wombat.jpg 
ウォンバットにも苦悩があるらしい


posted by てったくん at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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