2019年12月09日

四国サイクリング旅行 version 2

(2019年10月13日から26日)

第5話  五日目と六日目:
高知から阿波池田まで輪行し、大歩危小歩危、かずら橋と祖谷渓を走る


「咳をしても一人」(尾崎放哉)

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大歩危渓

土讃線で高知の後免から阿波池田まで輪行する

ついに一人になった。尾崎放哉の句を借りるなら、「咳をしても一人」という境地。

これまで4日間、旧友T村と恩師T屋先生との同窓会サイクリング旅行だったのだが、この先9日間は一人旅である。今までは修学旅行のような楽しいノリだったが、これからはワビサビの境地、寂寥感も胸に溢れてくる。秋を追いかけて、愛車フジコちゃんと共に、予定通り四国山地を抜けて讃岐に向かって進んで行くのだ。

朝、T村とT屋先生と南国市のホテルで別れた後、後免という駅で自転車を畳み、阿波池田へ向かう土讃線車中の人となる。目的地の阿波池田は山間の町だ。輪行したのは、今日は体を休ませたいからだ。2年前高知と愛媛を周った際、最初五日間、調子に乗って飛ばし続けたら疲労が溜まり、そのあと回復できなかった苦い経験がある。だから今回は、少なくとも3、4日毎には休息日をとることにした。今回は、頑張らない、いたずらに距離を稼がないで旅を楽しむのがモットーだ。


長閑な土讃線鈍行列車

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土讃線の青春

2両編成の鈍行列車は、後免の駅をカラスの群れみたいな高校生をたくさん乗せて走り出した。鈍行だからしょっちゅう駅に止まるが、そのたび、カラスたちは何羽ずつか降りていき、仕舞いには4、5名だけになった。その中に女子二名と男子一名の仲良し組がいる。三人は頭を寄せ合って数学の宿題を解いている。おじさんはそれをチラチラ眺め、いいなあ、青春だなあ、と思う。やがて、ある無人駅で女子のうち一名が降りて、男子一名女子一名になってしまった。おじさんは、なぜかドキドキする。二人きりになって、何か起きるだろうか?ところが何も起きない。外は秋めいた山で、素晴らしい景色なのに二人はお構いなしに宿題をやっている。もしかしたら、親しげに手を握ったりとかしないのか?と、おじさんは期待する。が、何も起きない。そして、嗚呼!ついに最後の女子はどこかの、ムジナでも出そうな無人駅で降りてしまった。男子学生は一人取り残された。お前それでも男か!チャンスをつかめ、チャンスを!と、おじさんは憤る。おじさんは考え過ぎなのかもしれない。

後免から阿波池田までたっぷり2時間以上かかったが、全く退屈しなかった。と言うか、退屈を楽しんだ。特急なら1時間だが、なぜ人は倍の料金を払ってまで、かくも素晴らしい旅を半分に短縮してしまうのか。

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駅前旅館の女将の憂い

阿波池田に着いたのは2時ごろだ。小雨が降っていた。山に囲まれているから、霧のような小雨が降るだけで、昼なのにもう暗い。駅前のセブンでお握りを食べ、ゆっくりコーヒーを飲む。昨日まではT村とT屋先生と一緒だったから上等の宿に泊まっていたが、今日からは「放浪詩人」なのだから、安宿に泊まることに。かと言って、若者が集まるライダーズインとかバックパッカーとかは騒がしいから、私が泊まるのは商人宿、民宿、ビジネスホテルの類だ。

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池田駅前商店街

今夜は駅前旅館、素泊まり3700円。ここに今夜と明日2泊する。旅館の玄関には「すぐ戻りますから、X X X Xまで電話ください」と貼ってある。電話すると、女将がすぐ裏から出きた。若いお母さん、ヤンママみたいな女将で、服装もスポーツウエアみたいなものを着ている。

古い建物のくせに、なぜか玄関は自動ドア。だが、トイレと風呂は共同だ。「今日はお客さんと、もう一名だけです」と女将が言った。女将さんが、ショートヘアでちょっと可愛いいのが救いかもしれない。池田高校陸上部出身という感じ。さっきから僕の自転車に興味があるらしく、輪行袋に入った自転車をチラチラ盗み見ている。僕がその視線を捉えると、いたずらを発見された少女のように照れながら、「私も、実はロードバイクを持っているんです。B社のアンカーってやつ。あまり乗らないんですけど…」と言った。

「それって、オーダーメイドのすごくいい奴でしょ?」と褒める。偶然だが、T屋先生の愛車と同じだ。女将は頬を少し赤くして、「ええ、でも旅館をやっているから、あまり乗る暇がないんです…」と、言葉に憂いがある。旅の妙味の一つは、こうして出会う女性が、みんな素敵に見えてしまうことかもしれない。

「そうか、そうなんだあ、いや、もったいないなあ。僕は明日、大歩危小歩危、かづら橋、祖谷渓を自転車で回るんです」と言い、「一緒にいきませんか?」と喉まで出かかった。しかし、出会ったばかりの人妻(に決まっている)にそんなことを言うのは、調子が良すぎないか。これがオーストラリアで、英語で冗談っぽく言うなら済まされただろうけど。

そこで、「どこで晩ご飯を食べたらいいかな?」と話題を変えると、いくつか居酒屋や料理屋を教えてくれ、「近くで主人も洋食屋をやっているので、良かったらどうぞ」と言って店の名前を言った。やはり人妻である。

午後もまだ早いので、宿の傘を借りて小雨降る池田の町をぶらぶら歩いた。宿の裏に郵便局があり、荷物の中のいらない服を東京の女房の実家に返送することを思いつく。客のいないお土産屋でウイロウを買った。ウイロウは亡くなった母の好物だった。これを小包に入れて、妻の両親に送った。でも、老人はいきなり小包を送ったりすると驚くから携帯から電話をして、小包とウイロウのことを伝える。すると、義父が「ウイロウは名古屋だったろう?」と言った。そうだったが、「もう送ってしまったのだから、食べてください」と言う。

宿に戻り、宿の玄関先で自転車を組み立てた。すると、またショートヘア女将が出てきた。「あら、黄色い自転車なんですね、すごくかわいい!私もこう言うのが欲しいなあ」と、高校生みたいにはしゃぐ。

もしかしたら彼女、本当に誘ってくれるのを待っているのかもしれない。だから僕は、ちょっと期待を込めて「大歩危小歩危の方は、道路はどんなかな?」と尋ねた。「一度、ずっと前にみんなで走りに行ったけど、国道だから結構車が多いんです。でも、川の対岸に旧道があるからそっちなら静かですよ」と言う。

「かずら橋まではどうかな?登りは急かな?」などと、あたりがないかさらにチェック。一緒に行きたそうな素振りを見せたら即座に誘おうと決心したが、結局そんな素振りは見せなかった。 考えてみれば、宿の客と仕事をほったらかしてサイクリングというわけにもいくまい。

その夜は、近所のスーパーで弁当を買ってきて、電子レンジで温めて食べた。女将の旦那がやっている洋食屋へ行っても良かったが、旦那がいい男であれ、不細工であれ、どちらにしても幻滅するに決まっている。安宿の4畳半で大胡座をかき、テレビのニュースを見ながら弁当を食うのも気楽なものだ(と、自分に言い聞かせた)。

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質素な部屋も悪くない

池田の夜は静かだった。小雨が降っているせいもあるだろう。こういう夜は露天風呂にでもつかりたいが、駅前の安宿でそんな贅沢はできない。ステンレスの浴槽に入ってから寝た。


小歩危、大歩危からかずら橋まで

6時起き。買っておいたパンを食べたが、このパンが不味くて閉口した。そのせいか分からないが、池田の町を出て、高知方面に向かって小歩危、大歩危に行くつもりが、逆の高松方面に向かってしまった。4、5キロ走って気がつき、舌打ちしてUターン。T村のiPadがあればこんなことはなかっただろう。携帯くらいは持っているが、そんなものを見ながら走ろうとは思わない。僕のハンドルバッグの上には昔ながらの透明の地図入れが付いていて、これに14万分の1の道路地図がはさんである。若い頃はこれを見ながら走れたが、今は停車し、メガネを外してから地図に顔を近づけないと読めない。ならば何のためにここに地図があるのかと言うと、ただの意地である。

幸い、昨日の小雨は上がって曇り空だ。徳島、香川を自転車で回ると友人に話すと、複数の人が大歩危小歩危にはぜひ行かないとだめだと言った。行ったことのない者までがそう言うのだから、行かない訳にはいかない。大歩危渓は天然記念物であり、国定公園の一部でもあると言う。僕は、渓谷が好きだから、とても楽しみだ。ガイドブックの写真を見れば、吉野川のコバルトブルーの水に渓谷の緑が映り、ゴツゴツした岩の間を遊覧船やカヌーが漂う様子は素晴らしい。

ただ、この様に「ここは秘境ですよ、すごいですよ、見にこないとダメですよ!」と喧伝される場所は、まずは人が多くて車や観光バスだらけの場合が多くて、いささか閉口するのが常だ。

そして、その予想通りだった。景色は素晴らしく、山肌から降りてくる低い雲の間に見える、紅葉の始まりかけた山肌は美しかった。が、コンビニ、ガソリンスタンド、道の駅、蕎麦屋、けばけばしい看板などが後からあとから並んでいる。仕方がない。これが日本なのだから。

トラックや観光バスにおあられながら、国道を走る。狭いところは崖っぷちの歩道を走る。歩道から崖下を見るとクラクラするほど高い。僕は高いところが得意じゃない。自転車に乗っていると、柵の上に上半身が半分出てしまうので、バランスを崩すと転落間違いない。だから、落ちない様に気を入れて走った。


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イスラエル人の旅人との出会い、かずら橋でヨシコさんを見捨てたこと

1時間ばかりで大歩危についた。コンビニでトイレ、それからコーヒーを買う。横で西欧人の青年が地図を指差して道を店員に尋ねているが、会話が通じない。そこで話しかけると、イスラエルからの旅人であった。これからかずら橋まで歩くと言う。まだ18キロあるから、3時間はかかるだろう。

イリアス君と言う名前だったが、「18キロ、全然大丈夫!」とニコニコしている。日本に来て二ヶ月、あちこち放浪しているらしい。なかなか好人物なので、しばらく話した。彼はベジタリアン、それもビーガン(乳製品も食べない)だと言う。加えてユダヤ教だから食事に相当な制限がある。聞けば、コンビニの「昆布お握り」やナッツ類、果物で生きていると言う。「大変だね」と言うと、「慣れているから、そんなでもない」と笑っている。偉いものだ。

イリアス君は、先が長いので、さっさと歩き出した。僕は、再度トイレを借りたり、写真を撮ったりとかしてゆっくり出発。それでもすぐにイリアス君を追い抜いた。

大歩危橋を渡ると、奥祖谷へ向かっての急登だ。荷物は宿に置いてきたが、それでも坂はきつい。大汗をかきながら登る。だが、グングン標高を稼ぐのが気持ちよく、カーブを曲がると、大歩危や吉野川がはるか下に見える。

かずら橋までの18キロ、1時間半だった。かずら橋は、シラクチカズラのツルで作った45メートルの橋である。3年ごとに掛け替えると言う。深山の趣がたっぷりで、素晴らしい谷間だ。素晴らしくないのは、すぐ横に建っている、国立競技場と見紛う様な建物だ。ここに土産屋やらレストランが入っている。しかし他に選択の余地もないので、ここでお昼に祖谷蕎麦を食べる。案の定あまりおいしくなかった。祖谷蕎麦のせいではなく、この食堂が良くないのだ。分かりきったことだ。

さて、かずら橋を渡ろうと谷底の河原へ降りる。見れば向こうで、盛んに手を振ってい西欧人がいる。イリアス君であった。おかしいな、彼はまだ山道を歩いているはずだが。僕が「?」と言う顔をすると、イリアス君は「ヒッチハイクしたんだ」と、ケラケラ笑う。なるほど、それなら分かる。天狗みたいに空を飛んできたのかと思った。

かずら橋は、渡り賃が500円だ。その上一方通行なので、一回渡ってしまえば終わり。だからじっくり渡ってやろうと思って渡川に挑む。見れば、橋の中程で手すりにつかまって、川面に見入っている女性もいる。きっと深山の景観を心ゆくまで楽しんでいるに違いない。

恐怖のかずら橋
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しかし、さっきも書いた様に、僕は高いところが苦手である。渡り始めた途端、これは早く渡ってしまうに限ると、考えを変えた。何せ、高さが15メートルもある橋である。足元も藤蔓だから隙間だらけ、踏み外せば15メートルの空中に宙吊りだ。欄干も藤蔓で隙間だらけだから、うまくつかまって歩くことが難しい。バランスを崩して倒れれば、藤蔓の隙間から15メートルを落下して、全身打撲で死亡することも不可能ではない。一応、旅行傷害保険には入っているが、落ちれば痛いに決まっている。また橋の上を常時二十名くらいが歩いているから、常にゆさゆさ揺れ、まるで大地震だ。非常に恐ろしい橋である。僕は、両手を前にした幽霊歩きの、中腰のみっともない格好で、下を見ないように移動した。橋の真ん中に差し掛かるが、景色を見ていると思った女性は、実は蒼白になっていて、そこから動けないでいるのだった。対岸では、先に渡った夫と思しき中年男性が、「ヨシコー、早く来いよ、バスが行っちゃうよー!」と叫んでいる。だが、哀れなヨシコさんは、そこから一歩も動けない。気の毒だったが、下手に手を出したりすると彼女と二人、もつれたまま落下することは避けられない。こんなところで、他人と心中するのは御免だ。申し訳ないが、ヨシコさんは見捨ててさっさと渡ってしまった。

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15メートル下がスケスケに見える

どうにか、かずら橋を渡り終えた。500円払ってこんな目に遭うなら、渡らずに写真だけ撮っても良かったとも思うが、人生、経験であろう。

祖谷渓の小便小僧

ここから、昔の山道を走って祖谷渓谷を降りて池田に戻る。距離は30キロほどだから大した距離ではないが、山道なので飛ばせないし、何もない原始的な渓谷を走るのだから、ゆっくり景色を楽しみながら戻ることにしよう。

それにしても祖谷渓は山奥だ。道は狭くて車がやっとすれ違える幅しかない。交通量は少なく、自転車で走るにはうってつけだ。山肌に作られた道からは、遥か下に祖谷川が見える。ここを走っていくのは至福である。

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そんな、くねくねした山肌に作られた道を、くねくね走っていくと、あった、あった小便小僧の像である。それにしても、なぜこの素晴らしい渓谷の、もっとも切り立った険しい場所に、小便小僧がいるのか?後で、インターネットで調べたが、祖谷渓谷の道路工事をした際に、この場所で度胸試しに工事関係者が立ち小便をしたのだそうで、それを讃えて?小便小僧の像を立てたんだそうな。そんなアイデアに反対した人もありそうなものだが、そういうことはどこにも書いていない。宇都宮駅前の「餃子の像」も奇怪であったが、こちらも負けてはいない。

そもそも小便小僧とは何か? これもウィキペディアの情報だが、ベルギーはブラッセルに、オリジナルの小便小僧像があるという。その由来には諸説あるらしいが、一番面白いのは、反政府軍が仕掛けた爆弾の導火線におしっこをかけて消した勇敢な子供を称えて作られたという説だ。でも、どうしてその子は、導火線を足で踏んで消さなかったのかと私は疑う。よほどおしっこがしたかったのだろうか。ブラッセルには小便娘の像もあるらしいが、こちらの由来はまだ調べていない。

祖谷のこの像は、崖っぷちの切り立った場所にあるので、絶対にここでは立ち小便をしてはいけないと観光案内書に書いてある。(若い頃のT村なら、きっとやっただろう。)

さて、ここから池田までは、ずっと下りだった。時々ひどくひなびた集落があり、旅愁にひたっていたせいか、山頭火の句が頭に浮かぶ。
    
     「また見ることもない山が遠ざかる」
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     「へうへうとして水を味わう」
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池田へ帰り着くと3時半だった。駅のセブンでコーヒーを買い、待合室のベンチで菓子パンを食べる。一人ぼっちでこんなことをしていると、永井荷風になったような気分だ。

明日は山超えで瀬戸内へ出て、観音寺、善通寺と走る。天気予報は曇り時々雨だが、気温は低くないから、雨のサイクリングも乙だろう。だがその前に身ごしらえをしなくてはいけない。池田のダイソーへ走り、靴カバーを買う。以前に雨の中を走り、レインコートを着ていて体は濡れなかったが、足がびしょ濡れになったことがあるからだ。

ここで大失敗。ダイソーの前に自転車にロックをかけて駐車しておいたが、ロックは、細い自在に伸びるワイヤー形式だった。ところが帰る際、このロックをつけたまま自転車を引いて2、3メートル歩いてしまった。すると後輪にロックの針金がギチギチに絡まって外せなくなった。慌てて引っ張ったら余計ひどく絡まった。仕方がないのでまたダイソーに入り、ペンチを買った。そして店の前でワイヤーをペンチで切ろうとしたが、案外丈夫でなかなか切れない。10分も格闘してようやっと切れたが、下手したら車輪のスポークを折るところだった。うっかりしているとこんな失敗をして、もしかしたら旅を中断しなくてはならなくなる。

宿へ帰ると、風呂を勝手に入れて入った。ワイヤーロックのせいで、くたくただった。風呂から出たらいくらか気分が良くなったので、また弁当を買ってきて部屋で食べた。これが今回の旅の習慣になりそうな気がする。気楽で良いが、安い弁当は、ご飯ばかり多くて、おかずが少ないのが難点だ。

さあ、明日は香川県に入る。秋は、もうあちこちに来ている。

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(続く)


出典:
種田山頭火の句は、『山頭火句集(1)』春陽堂から
尾崎放哉の句は、池内紀編『尾崎放哉句集』岩波文庫から









posted by てったくん at 16:49| 日記