2018年02月22日

今年の誕生日 2018年

2018年2月19日

この間から、また薪を割りはじめた。冬になって急にはじめたのでは間に合わない。メルボルンの2月中旬は、暦の上ではまだ夏だが、風が吹くと落ち葉が落ちてきたりして、もうそこまで秋が来ている感じがする。

幸い薪にする木のストックはたくさんある。一昨年隣家のユーカリの大木が倒れたからだ。しかし、これを割るのは一筋縄にはいかない。木が倒れてから2年目だから、丸太はすっかり乾燥しているのだが、丸太を切り分けてくれた木樵たち(オーストラリアでは、tree loppersと言う)が、あまり小分けに切ってくれなかったせいでなかなか割れない。また、枝が生えていたところは節目になっているから、斧を入れても易々とは割れてくれない。ちなみに、薪を割るには、刃が薄い普通の斧(アックス)ではなくて、刃は鈍くて重さのある、斧とハンマーの合いの子みたいなウッドスプリッターと呼ばれる斧を使う。他の木材の場合は知らないが、ユーカリとかレッドウッドなどは、嵩があって固くて重たいから、そういう道具でないと割れない。

IMGP1080.jpg
なかなか割れない石頭の薪

だから、ここらの薪割りというのは、スパン!とパキン!と、小気味好い作業ではなくて、ドスン、バリンと重鈍な作業だ。それでも割れない丸太がたくさんある。そう言うのは、ウェッジという鉄製の楔(くさび)を割れ目に叩き込み、それをバシンバシン打ち込んで、じわじわと割る。僕は薪割りのコツを、ダンデノン山に暮らすようになってからここらの人たちから教わったが、なかなか上達しない。下手だから、ムキになって作業をする。すると時々腰を痛める。

2月14日は僕の誕生日だったが、こんな日に限ってまた腰を痛めた。デスクワークの合間などに1、2個薪割りをするのは 気分転換になるが、欲張ってたくさん割ろうとしたからだ。 割れにくい「石頭」なんか をムキになって割ろうとすると確実に腰にくる。でも、 一旦エンジンがかかると、なかなかやめられない。誕生日に薪割りなんかしなくても良かったのにと思ったが、後の祭りだ。

今年で56歳になった。母が亡くなった年齢である。だから、その年齢を迎えて、何か敷居を超えたみたいな感がある。56歳で人生を終えるのはどんな気持ちだったろうとずっと想像しながら生きてきたが、とうとう56歳になったので想像がつくようになった。なってみると、やはりちょっと早いなと感じる。まだやりたいこともあるし、これから読みたい本もたくさんある。2020年の東京オリンピックだって少しは楽しみだ。母だって、楽しみにしてたことがいくらもあっただろう。

IMGP1081.jpg
庭の畑。これは茗荷

IMGP1082.jpg
プチトマトもたくさんなった

IMGP1086.jpg
サンルームのぶどうは鳥の餌

偶然だが、誕生日の前日、中学の同級生の訃報が入った。彼女も56歳だった。卒業以来ほとんど会った記憶がないが、近年フェイスブックの同窓会ページができて多少やりとりが再開していたから、そのうちまた何かの機会に会えるだろうと信じていた。 ところが、それも叶わなくなった。僕の誕生日がお通夜で、翌日が葬儀だった。メルボルンにいる僕は出席できないから、遠くからご冥福を祈るしかなかった。

同年代の友達が亡くなると、写真アルバムのページがむしりとられたような痛みがある。親しい友達だったとは言えないが、Mさんの死からも鈍いボディブローを喰らったような打撃を受けた。

薪割りで少しムキになったのはそのせいだろうか。誕生日の日とその翌日は腰痛で唸っていたが、お陰で、 冬季オリンピックをテレビで観たり、読みかけだった小説に没頭したりできた。腰が痛いのはうんざりだが、これが誕生日プレゼントだったのかもしれない。

IMGP1089.jpg
腰痛のせいで読書がはかどる。村上春樹の長編は、そんな時に最適。

数日して、腰もだいぶ軽くなった。メルボルンのシティの方で日本語の子供文庫をやっている友人が招いてくれたので、紙芝居を持って参上し、子供達相手に紙芝居を一つ二つ演じてみせた。 紙芝居は、この頃始めたことなので、上手になりたいと思う。

そう言えば、亡くなったMさんは、演劇関係の仕事をしていたから、生きていれば少しは稽古をつけてもらえたのに、至極残念だ。合掌。
posted by てったくん at 08:28| 日記