2018年02月05日

四国サイクリング一人旅 (その6)

愛南から、宇和島街道のトンネル地獄を抜けて、八幡浜へ。1日休息して、内子で ぜんざいを食べ、銭湯に浸かる: 

サイクリング7日目と8日目

12月3日 愛南町から八幡浜まで、走行81キロ


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朝7時、愛南町のサンパールホテルを、小雨がしょぼつく中出発。寒くて、悲壮感いっぱい。特攻隊出撃という気分だ。 昨夜は強力サロメチールで足の筋肉を癒したが、走り出してみると、やはり疲れがとれていないことが判明。しょせんは薬物依存である。

さて今日は、40キロ先の宇和島を中間地点とし、八幡浜市まで80キロの走行だ。その間、標高差は1000メートル。結構な登り下りを覚悟しなければならない。登りと下りとどちらが多いかと言うと、出発地の愛南も海辺で、到着地の八幡浜も海辺だから、差し引きゼロ。つまり500メートル登り、500メートル下る。当たり前すぎて、こういう計算は面白くない

愛媛に入ると、道の両脇はミカンの木が植わった段々畑で、素晴らしい景色だ。ミカンのオレンジ色を見ていると元気が沸く。景気づけに「段々畑と、お別れするのよー、幼い弟、行くなと泣いた八分音符」(小柳ルミ子、瀬戸の花嫁)と歌ってみるが、あまり気分が乗らない。なぜかと言うと、宿毛街道は交通量も多く、浮かれていると、ミカンやダイダイを満載したトラックの下敷きになるからだ。

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当初の予定では、ここらあたりは、海沿いのひなびた県道を走ってサイクリングの素晴らしさを満喫するつもりだったが、そっちは遠回りになる。足も疲れてお尻も痛いし、とにかく早く八幡浜まで着きたい。だから、最短距離の国道を走ることになった。サイクリングも一週間目となると、最初の頃の興奮や喜びも失せ、体力も消耗し、とにかく目的地に着くことが最大目的になり、何でもいいから早く着いて温泉に入ってのんびりしたい欲望に支配されてくる。当然、お寺があるから寄って行こうとか、田舎道を走りながら俳句の一つもひねろうとか、気持ちの余裕はゼロだ。大げさに言うと、本能が走っている感じになり、食欲、排泄、休憩、危険回避のためにだけに脳みそが働くようになると言っても過言ではない。

だとしたら、俺は一体何のためにこんなところを自転車で走っているのかと言う疑問も浮かぶ。が、それに答えられるほどの高等な働きを脳みそはやめてしまっているので、その疑問の答えが見つからないまま走っていたら、10時半に宇和島に着いてしまった。疲れているのに随分早いペースだ。多分、脳みそが働いてない分だけ、速くペダルを漕げたのだろう。パソコンの節電機能と同じである。

宇和島には、現代美術家の大竹伸朗が住んでいる。出発前に大竹伸朗の本を読んだが、東京や大阪ではなく、こう言う田舎から発信しているところがかっこいい。僕も人からそう思われたい一心で、メルボルンの田舎に住んでいるが、このブログ以外は大人向けの文章をあまり書いていないから、僕が田舎から発信していることを知っている人は多くない。言い換えるならば、僕はただ田舎に住んでいるだけの話で、何も発信してないと言えるのかもしれない。が、ここでは深い自己批判はやめておく。

さらに、大竹には『ジャリおじさん』(福音館書店)と言う絵本もあるが、 何を言わんとしているのか分からない絵本であるくせに、それ故か、この本はとても有名だ。そこがまた悔しいところである。その上大竹は、瀬戸内の直島「家プロジェクト」における「はいしゃ」や「あいらぶ湯」などのインスタレーションが超有名で、その点で世界的な美術家と言える。もしかしたら宇和島の漁港をうろつけば、その大竹にバッタリ出会えるかもしれないと考えて波止場を徘徊してみるが、それらしい人影は見当たらなかった。田舎者が東京に出て来ると、芸能人に会えるかもしれないと期待するらしいが、それと似た考えなのかもしれない。

宇和島は、三方を山に囲まれているから谷底のようだが、山側には城下町らしい落ち着いた雰囲気もある。一方、海に開いた側には造船所や漁港があって騒がしい。 12月に入って気温も下がったから寒くて仕方がないので、漁港の市場に向かい、早めの昼飯を食べる。海鮮丼を始め、あらゆるものがあり、タイの炙り丼と言うものを食べてみたが、期待したほど美味しくなかった。それから、じゃこてんも食べてみるが、これは美味かった。 景気付けにみかんジュースも飲んだ。

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メニューが多すぎる宇和島魚市場の食堂

そしてまた出発。ここから先の国道56号は、宇和島街道という名称に変わり、登りが続く。国道に並行して松山自動車道路という高速も走っている。自動車は全員そちらを走れば良いのに、そちらは有料だから代金をケチっている雲助ドライバーたちは国道を走るのだ。だから宇和島街道では、トラックやバスがあとからあとから、自転車の僕をかすめるように轟音を立てて通り過ぎていく。

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核シェルターのような歩行者専用トンネルもある

その上悪いことに、この宇和島街道はトンネルが多くて、瞽女(ごぜ)トンネル2156メートルなどという、四国で5番目に長いトンネルさえある。こう言ったトンネルが10本も連続して続く、蟻地獄のような箇所があり、しかも、宇和島方面から走って行くと、この10本のトンネルは全て登り坂なのだ。サイクリストにとって、登りのトンネルは鬼門である。

そのトンネルのことを考えて、かなりうんざりした気持ちで上り坂を登って行くと、しばらくして地獄の門が見えた。その前の道路っぱたに箱があり、黄色いタスキが10本ほど入っている。歩行者や自転車が、安全に通行できますようにと、蛍光色のタスキを貸し出しているのだ。目立つようにこれを肩から下げて、10本のトンネルを無事通過してくださいね、という措置だ。

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螢光色タスキの入った箱

全く、ありがたくもない。こんなものを下げて走ったからと言って、安全が増すのかどうかも分からない。しかし、仮にタスキを下げずにトンネルを通ってトラックに轢かれて死んだら、「あの人はタスキを下げてなかったから死んだんだ」と言われるかもしれない。そこで、僕も仕方なしに、タスキを下げてトンネルに入った。

自転車が走行できるのは、幅1メートルほどの歩行者用の側道である。長さが1.5キロ以上もあるトンネルの中央部では、日の光も届かないから、かなり暗い。ここで転んだら車道に落ちて、後からきたミカンを満載した10トントラックに轢かれて死ぬことは間違いない。そんな哀れな自分の末路を想像しつつ、ああ、これで俺も終わりかなと、必死の形相でペダルをこぐ。途中から、なぜか「大阪で生まれた女」を絶叫するように歌いながらトンネルを走った。

必死の思いで、トンネルを1本出る。そこは、明るい陽光の下だ。山の上から眼下に見える法花津湾は青く光り、極楽のように美しい。そして、息を止めるようにして、またトンネルに入る。中は地獄だ。そうやって 一本、また一本とトンネルをくぐること、およそ30分、ついに最後の一本を終えた。タスキを返納し、誰が置いていったのか、ノートが置いてあるので、そこに日付と僕の名前、オーストラリア、メルボルンと書く。

そこからは長い下り坂だった。放心状態のまま下って行くと、そこは西予(せいよ)市だった。西予市は、かまぼこで有名らしいが、かまぼこには興味はないので素通りだ。でも、ローソンはあったので、僕はそこへ吸い込まれていった。トンネル通過で汗だくになったので、ポカリスエットを買って一気に飲む。五臓六腑に染みわたるうまさだ。ドイツ文学者中野孝次氏は、壮絶なガン闘病記を書いてから亡くなったが、その中に、ある時しきりに喉が乾いたのでポカリスエット(アクエリアスだったかも?)を飲んだら甘露のように美味かったと書いておられる。切実な描写である。こういう飲料は宣伝ほど体に良いわけないが、脱水気味のときは本当に美味い。その昔、まだポカリなんてなかった頃、サイクリングで気力体力を喪失したとき、最後の頼みはオロナミンCだった。オロCを飲むと本当に元気がでた。そう言えば、ポカリもオロCも、どちらも大塚製薬である。単なる偶然か?大塚製薬よ、永遠に!

疲れはいよいよ末期的だ。もう足が痛いの、お尻が痛いのという局所的なものではなく、全身状態が悪く、予後も長くはない。もはや集中的な休養が必要だ。できればすぐにでも集中治療室に入り、優しい看護師さん(若い女性)に食事から排泄までケアしてもらいたい。幸い、ここから八幡浜まで、あと20キロ残すのみ、 その道筋のほとんどは下りばかりである。そこで、思い出した時だけペダルを漕ぎながら呆けたように走り、1時間半で 八幡浜に着いた。最後の八幡浜の漁港へ降りる急坂は、もう転げ落ちていくような感じであった。

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幻だと思った

八幡浜は大きな港町であった。宿はとっていないが、港町だから安宿はいくらでもあるだろうと思ってたかをくくっていた。そしたら、安いビジネスホテルはいっぱいで、二連泊したいと言うと、なおさら空いてないのだった。

ウルトラマンで言えば、カラータイマーがつきっぱなし状態、行き倒れになりそうなので、 高級そうなハーバーホテルと言うのに当たってみた。そしたら、値段は朝食付きでビジネスホテルとそう変わらず、おまけに部屋まで自転車を持って入っても良いと言うので、早速チェックイン! 捨てる神あれば、拾う神あり。

さあ、もう明日は空が降ってこようとも走らないぞ。休息の1日を過ごすのだ。1日テレビを見て過ごそうか、温泉に入って過ごそうか、本屋で 立ち読みをして過ごそうか、あれこれ考える。そしたら、それだけで気持ちは元気になってしまった。

八幡浜港からとびきり綺麗な夕陽を見て、新町通りというシャッター商店街の「食い物屋105」という居酒屋でデタラメな夕食を食べた( カキフライ、焼き鳥、サラダ、じゃこ天など)。八幡浜の地酒八亀の冷はうまかった。 シャッター商店街なのに、この店だけは客がいっぱいいた。

夜、大浴場につかり、サロメチールを塗りたくってダウン。


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12月4日 八幡浜で休息。走行ゼロ。

朝、ホテルでゆっくり寝坊する 。と言うシチュエーションは、誰しもが夢見るシチュエーションだろう。カウアイ島とか、ハミルトン島とか、ベニスとか、香港のオリエンタルホテルなら、もっと素晴らしいが、いかんせん、ここは愛媛県八幡浜である。でも、ホテルでゆっくり朝寝坊、素晴らしいではないか!

今日は自転車には乗らないというだけで、もうずいぶん解放されている。朝食をゆっくり食べ(四国で初めて納豆付きの朝食!)ながら、何をするか考える。部屋に戻ると、すでに退屈していることに気がつく。とても部屋では1日過ごせない。そこで自転車には乗らないで、そこらを徘徊することに。

以下がその日、やったこと:


まだ足も疲れてふらふらするし、 お尻も痛いので、ガニ股になって八幡浜駅まで歩き、予讃線急行「宇和海」で、内子まで30分の旅。ガニ股のまま、内子座および、内子の古い町並みを歩く。ガニ股で歩くのも疲れたし、すごく寒いので、喫茶店に入ってぜんざいを食べる。ぜんざいを食べるのは30年ぶり? 暖かくて美味しかった。店のご主人と奥さんはとても上品な感じの人で、ぜんざいを食べただけなのに、お茶、みかん、チョコレートなど振る舞ってくれた。そのままいたら、昼ごはんも出してくれたかもしれない。話が弾み、長居する。またガニ股で内子駅に戻って「宇和海」で八幡浜に戻り、昼ごはんは八幡浜名物「ちゃんぽん」を食べる。(なぜ、ちゃんぽんが名物なのか?)それから、ショッピングセンターに入り、ツタヤ書店で立ち読み。言うまでもないが、ろくな本はなし。ホテルに戻り、タオルを持って、銭湯「大正湯」へ。入浴料400円なり。入った時は僕一人だけだったが、しばらくして200歳くらいの老人が入ってきた。歯がない上、伊予弁なので95%何を言っているのか分からず。それでも話しかけてくるので、 笑顔で「はい、はい」と返事した。しばらくすると、もう一人おじさんが入ってきて、この人は歯もあって、伊予弁でない日本語で話せたので、四方山話ができた。八幡浜の奥さんの実家を訪問しているのだが、することもないから昼間はこの銭湯に来るのだそうだ。風呂から出ると、もう一軒書店が目に入ったので立ち読みをしたが、ここもツタヤだった。かろうじて『多摩川は飲み下り』(大竹聡)と言う、アル中の人がアル中の人のために書いたようなエッセイを買う。夜は、またシャッター商店街 の「炉端酒家拓海」と言う店で食べる。清水鯖の塩焼きを注文したら、大きくて、それだけでお腹がいっぱいになった。

ガニ股歩きもだいぶ治ったので、明日は松山まで走っていくことを決意し早寝。やはり1日休んだのは正解だった。



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内子座

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八幡浜の大正湯
posted by てったくん at 15:00| 日記