2018年01月20日

四国サイクリング旅行(その3)

窪川岩本寺の朝行で般若心経を唱え、日本最後の秘境と言われる四万十川に沿ってひた走った こと: サイクリング4日目、走行距離99.75キロ



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お寺の朝は早い。岩本寺では朝6時が勤行なので、善男善女は暗いうちに起きる。僕はお遍路ではないが、せっかくだから出てみることにした。

朝5時半、布団から出てズボン下をはき、ユニクロのヒートテック長袖下着も着用。さらに、部屋備え付けのドテラも着込む。これだけ着込めば寒くないだろう。今日は11月末日、四国とは言え、山中の朝はキリッと冷える。

天井絵のある大師堂に入って座る。男たち7、8名がすでに座っている。テレビカメラを設置し、勤行の様子を撮影しようとしている一団の男たちがいる。テレビ局らしい 。大体、 テレビカメラマンというのは、誰しもみんなひどい格好をしている。汚いジャンパーに、かかとを踏んづけたスニーカー、頭は半年ほど床屋に行ってないようなもしゃもしゃ頭。いい歳こいてこんな格好で良いと思ってんのか。しかし、この目つきの悪い男たちの中に、一人だけお遍路の白衣を着た30歳くらいの眉目秀麗の男がいる。カメラはその男を追っているので、どうやらこの男は俳優か何かであることが分かる。

しかし、所詮はテレビに魂を売った俗人たちである。僕は、そんな輩とは一切関わりを持つ必要もないから、きっぱりと大師様を見据えて精神集中する。だが、住職とこの俳優らしき男の会話が耳に入ってくる。その会話からすれば、こやつらは神奈川県某テレビ局の撮影班で、お遍路の番組を撮影するために四国霊場を回っているそうだ。お遍路番組は、中高年の視聴者には人気だそうで、視聴率も悪くないらしい。

ほう、そうか、じゃあ今度その番組を見たら、僕も映っているかもな、なんてことを一瞬考えたが、お遍路の番組なんかを見るようになったら人生おしまいだ。絶対見るもんか。

そんな風に朝から邪念と戦っていると、もう一人僧侶が現れて勤行が始まった。朗々たる読経のデュエットだ。ここの住職も後からきた僧侶も若く、二人がお経を読む声はかなりでかい。お遍路の男たちも読経には慣れているようで、配られたプリントなど見ずに唱和している。僕はといえば皆目分からないから、プリントに釘付けになって唱和する。しかし、朝も暗いうちから、声張り上げて読経するのは気持ちがいい。だんだん清々しい気分になってきた 。早起きもいいもんだと思う。

勤行が終わると、和尚が「コーヒーを入れてありますから、飲んでいってください」と洒落たことを言う。 そこで、みんなぞろぞろ宿坊に戻り、ご馳走になる。すると、あの若い俳優のような男が 「自転車で農協されているんですか? 」と質問してきた。

「農協する?」と僕は、一瞬何をたわけたことを聞くのかと思ったが、すぐに「納経」と言う言葉が脳裏に浮かび、漢字の変換間違いであったことに気がついた。そこで「いいえ、お遍路じゃなくてただのツーリングです」と答えると、この男は、人を小馬鹿にしたような顔つきで、「ああ、そうだったんですか」と言った。取材班一同も、「ふーん」とか「へー」とか気の無い返事をし、それ以上の質問はなかった。テレビ局のヤクザ者たちには、孤高のサイクリストの気高さなどは全く理解できないのであろう。哀れなことである。

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このような無粋な者たちと一緒にいても仕方がないので、コーヒーを飲むとすぐに岩本寺を出発。古い街道筋を走って窪川の町を出ると、そこが四万十川だった。川を見下ろすかのように一軒のローソンが僕を待っていた。僕は、吸い寄せられるようにローソンに入り、気がつくとサンドイッチとおにぎりの朝食を食べ、綺麗なトイレで用を足していた。気分は爽快である。さあ今日こそは、日本最後の秘境である四万十川を堪能するぞと、気合いを入れてサドルにまたがった。

四万十川は、「日本最後の秘境」だとか「最後の清流」だとか「四国最大の大河」とか、いろいろな形容語句に飾られて、そこいらの下らない河川とは一線を画している。だから、四万十川を訪れるには、そこに川があるからちょいと堤防沿いに 走ってみようか、などと言う安易な 気持ちではいけない気分になる。野田知佑や夢枕獏と言った日本の代表的アウトドア作家や冒険家たちも四万十川を絶賛し、そのことをあれこれ書いている。また、四万十川は、火振り漁やら、沈下橋、猿猴伝説、川海老やら天然うなぎやなどでも有名であるから、さらっと素通りなどできない。

と言うわけで、盛りだくさんの1日になりそうだった。出がけに、釣り好きの友人M城さんにも、「四万十川行ったらさぁ、渓流釣りやってみたら?」と言われているから、場合によっては2、3日逗留し、竿を振ってみるのも悪くない。それからこの川はカヌー乗りにも有名な川だ。メルボルン近辺でカヌーやカヤックをあちこち漕ぎ回っている僕としては、ぜひこの川を下ってみたい、という野望もなくはない。だから、今日1日、どこでどうなるか?そんなで、泊まる宿も予約していない。行きあたり、ばったりである。さあ来い、四万十川!

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窪川を出て、国道381号線をいくがいくが行くと、水田の向こうに、霧をまとった山が見える。素晴らしい景色だ。脳裏に 「幽玄」とか「山紫水明」などと言う言葉が 浮かぶ。しかし、それらの言葉は、それ以上のまとまった思考になかなか発展しない。「幽玄、山紫水明。だからどうなんだ?」と、そんなことを考えながら走るが、四万十川と言う大きな存在に自分が負けそうになっていることに気がつく。

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そこで、無心になって走らなければいけない、 先入観に惑わされることなく、四万十川の、この瞬間を楽しめばいいじゃないかと自分をなだめながら走っていくと、眼下にあの有名な沈下橋が見えてきた。「ああ、あれが有名な沈下橋か!」と 、興奮し、国道を降りて橋のところまで下りていく。これが四万十の村人の暮らしを支えてきた沈下橋なのかと、感慨深く橋の上に立ち、川面を眺める。川も澄んでいる。しかし、それ以上の感慨は浮かばない。沈下橋と言えど、ただのコンクリートの橋だから、そこにいても、心には芸術的な動機とか、創作意欲を駆り立てるような衝動が生じてくることはなかった。しばらくそこに佇んだが、啓示もインスピレーションも何も感じなく、そこに立っている自分が馬鹿に思えてくる。2、3枚写真を撮って、先に進む。

しかし、景色は素晴らしい。もう明日から12月だ。だのに、まだ秋の色彩が残っている。明け方に降った雨の湿り気がまだ山を覆っているせいで、滝のような霧が山襞を流れ落ちている。まるで水墨画のようだ。すると僕の脳裏に、またもや最後の清流、四国最大の大河などの俗な惹句が浮かんでくる。こう言う美辞麗句を誰が考えるのか分からないが、「四万十川」をインターネットで検索したり、旅行案内書を開くと、このような「ゴミ言葉」が溢れ出てくる。まるで、白いキャンバスに散った汚い飛沫である。

美しい谷間を走っていくが、まだ心は落ち着かない。そんな葛藤のせいか、自転車のスピードがいつもより上がっていることに気がつく。平均時速25キロくらいだ。このままで行くと、四万十川は昼過ぎに通り過ぎ、夕方には足摺岬くらいまで行ってしまう。それでは走りすぎだ。

そこでスピードを落とし、精神を落ち着ける。 ここが四万十川であろうがなかろうが、最後の清流だろうがなかろうが、眼下にある沈下橋が有名であろうがなかろうが、僕は、自分の目に映り、五感に訴えてくるものだけを楽しもう、そう考えながら走って行くと、土佐大正という場所を通り過ぎ、やがて土佐昭和という町もあった。やがて土佐平成という町が現れるかと思ったが、それは考えすぎであった。

窪川ローソンから走り続けて2、3時間、小腹が空いた。山間は気温も低い。何か暖かい物を食べて温まりたいと思う。見れば、ちょっと先の崖の上にうどん屋があった。四国なのだからうどん屋があるのは当然だ。そこに飛び込むと、店内では、おばちゃん達がテーブルに丸くなって座り、テレビのドラマを見ながら、野菜を切っている。

僕は、「すみません、うどんを丼に半分くらいだけ食べたいんだよ。寒いから温まるためにね。でも、まだお昼じゃないから、たくさんは食べたくないんですよ。そういうの、できます?」と尋ねると、おばちゃんたちは、鳩が豆鉄砲食らったように、野菜を切る手を止めて僕を凝視している。

5秒くらいの沈黙の後、「ええ、できますよ、できますけどね、あらあ、どうしたらいいんだろうね。うどんをね、半分、半分のうどんね。ええと、キヨちゃん、半分のうどんって、できるよね?」とか言いながら、リーダー格の女性が厨房に問い合わせる。 すると、厨房のキヨちゃんと言う 女性が、「 だからさあ、半分のうどんってさ、つまり、定食につけるミニうどんじゃないのさあ、ミニうどんよ、菊池さん」と言う。すると、みんな一斉に「そうよ、そうよ、ミニうどんよ、ミニうどん!」と安心したように言う。こう言うのを烏合の衆というのだろう。

待つこと3分、出てきたミニうどんを食べ、心身共に温まった。汁には、大きなゆずの一片も入っており、香りもよく、土佐らしい美味しいうどんであった。満足した僕は、「ごちそうさま。いくら?」と尋ねる。すると、そこでまたおばちゃんたちは鳩首会議なのであった。なぜならミニうどんは、単品メニューではないので、値段が分からないのだ。 キヨちゃんは、「400円かしら? どう菊池さん、400円でいいよね?」と迷う。僕としては400円でもよかったが、菊池さんは、「四百円ねえ…、でもねえ。そう、三百二十円だわよ」とためらった後に言った。すると、キヨちゃんも他の女性も、「三百二十円、そう、そう三百二十円だわよ!」と満場一致なのだった。僕は、 三百二十円払って店を出た。

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四国の道の駅には、柑橘系の素材を生かした食べ物がたくさんあった

僕は、今日初めて 暖かい心持ちになって自転車にまたがった。ところがその時、不快な事実に直面していることに気がついた。それはお尻の痛みだった。それは左側の、サドルに当たってグリグリこすられる箇所で、外側の皮膚の部分ではなく、もっと深部の筋肉と骨がくっついている辺りの痛みだった。深部ということが、僕を少し不安にさせた。

しかし、その痛みは、まだ兆しと言って良いような、微かなもので、まだ「痛い!」と、叫びたくなるような疼痛には至っていない。しかし、まだ 三日目で積算距離も200キロというのに、もう来るものが来てしまったかという落胆 が僕を襲った。お尻が痛いのはサイクリングにはつきものだが、 どうもこのお尻の左側の痛みは、たちが悪い気がした。風邪でも、たちの悪い風邪もあれば良い風邪もあるが、お尻の痛みにも、たちの良いのと悪いのがある。悪い場合は、このまま、後500キロ走ったとしたら、痛みが増していって、最後はひどく悪い炎症に発展し、片足切断に至る可能性だってあるかもしれない。

これは決して杞憂ではない。冒険に関するあらゆる書籍を読んでいる僕は、お尻の炎症でも、それが命取りになる例を知っている。アンドリュー・マコーレーという冒険カヤッカーは、2007年にオーストラリアのタスマニアからニュージーランドまで、世界初単独で渡ろうとして遭難した稀有の冒険家である。彼は、残念なことにゴールまであと65キロというところで海の藻屑となってしまった。彼は何日も海上で 同じ姿勢でカヤックを漕いでいて、海水に濡れ、同じ箇所が こすられて臀部の骨が露出するようなひどい炎症を起こして苦しめられた。僕は、マコーレーの遭難の幾パーセントかは、お尻の炎症のせいではなかったかと推察している。

サイクリングのお尻の痛みも、ひどくなると絶叫ものだ。ひどくなった翌日の朝がとりわけ痛い。若い頃なら2、3日で治ったが、それは18歳の頃の話であって、55歳の今はどうなのか全く未知数である。とにかく、これ以上悪くしてはいけないので、僕はお尻の左側をなるべくグリグリこすらないようにペダルを漕いで、 先へ進んだ。

お尻が少し痛くとも、川の流れに沿って、川下に向かって走るのは快適である。川は幾らかの勾配を持って低い方に流れていくから、 道も概ね下り坂だ。快調に自転車を飛ばし、もはや幾多の沈下橋があろうとも、それに気を取られずに先に進むことができる心持ちになった。四万十川に沿っているのは道路だけでなく、予土線の鉄道も 走っており、時折列車が山肌を走っているのも旅情を誘う。山肌にまとわり付いていた朝霧も太陽が高くなるにつれて霧散し、澄んだ空気の中を、僕は時速30キロで飛ぶように快走した。

そんな僕の腹中では、さっき食べたうどんは瞬く間にエネルギーとして消化され、またもやお腹が空いてくる。道路地図をみると、四万十川沿いでは鰻やら鮎やら川エビが食べられる食堂が目白押しに並んでいるように書いてあるのだが、悲しいかな時は11月末、旅行シーズンとしては閑古鳥が鳴く時期で、どこもそういう店は閉まっている。

空っ腹を抱えていくと、 遠くに景気の良いノボリが見えてきた。それは 「よって西土佐」という、演歌の曲みたいな名前の道の駅だった。いそいそとここでサドルから降りたが、 ここの昼ごはんは素晴らしかった。地元で取れる野菜や米、柑橘類を豊富に取り揃え、そうした農産物を生かした食事を、手頃な値段で提供しているのだった。 「ヘルシー」と言えば安易だが、「よって西土佐」の野菜たっぷりなビュッフェ式食堂の野菜中心の田舎料理は、旅行中の僕の野菜摂取不足を補っても余りあった。難を言えば、腹が減っていたので、年甲斐もなく大盛りご飯を食べてしまい、お腹がタラのように膨れてしまったことだ。

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幸い、お尻の調子もそう悪くない。自転車の距離計をみると、午前中だけで65キロほども走っている。このペースで行くと、どうやら四万十川の河口の町、中村まで軽く行けてしまいそうだ。カヌーに乗るとか、鮎釣りなんかもまだやっていなかったが、何だか道が僕を呼んでいる気がして、とにかく中村まで行ってしまおうという気になった。そこで、その場から中村のビジネスホテルに電話をし、部屋も取ってしまった。宿をとってしまうと、もう山中で路頭に迷う こともなくなったわけだから、さあ、どんと行こうぜ、という、大らかな気持ちになってくる。もう遅いかもしれないが、先入観にとらわれずに四万十川を楽しむ気持ちになってくるのだった。

そんな僕は、少し傾きかけた太陽の投げかける美しい斜光の中、ゆっくりと四万十川を河口に向かって降りて行った。この道、すなわち441号線という道路は、四万十川が有名な割りには、驚くほど狭い。車二台がやっとすれ違う広さしかない所もある。四国の田舎人は、みな軽自動車に乗っているから道路も狭くていいのだろうが、何も知らないうちの弟みたいな都会人がBMWとかレクサスとかで威張って 走ってきたら、たちまち四万十川に落ちてしまうだろう。対向車が危ないので、自転車の僕もそろりそろりと注意して走った。

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初冬の441号線は苔むした道だ

中村の町までよほど近づいた頃、確か佐田の沈下橋の近くだったが、僕は午後のコーヒーを飲みたい欲求に襲われていた。カフェインには強い習慣性がある。だが、幸いと言うべきか、ローソンは見当たらず、僕はむしろ、田舎の自然に囲まれ、じっくりと コーヒー豆を焙煎しているような喫茶店がないだろうかと、眼光を鋭くした。 すると、あるではないか、畑の中の一軒家 が喫茶店であることを発見した。

あった、あった、あるじゃないの、こういう場所に限って美味しいコーヒーを飲ませたりするんだよなあ、と僕は、甘いコーヒーの香りを想像しながらウキウキ近づいた。すると、奇怪なことに店の前には、ママチャリが30台くらい停まっている。そして、そのママチャリは、すべて見事に古びたものばかりである。古びたママチャリに乗っているのは、若い母親でないことは確かだ。ヤンママたちは、 バッテリーアシストのついた、もっとモダンなママチャリに乗っているはずだ。それに若い母親がこんな 畑の中の喫茶店にいるわけもない。恐る恐る店に近づくと、中から「ボワーン」とか「うわーん」とかエコーのかかった音が聞こえる。カラオケであった。 暇なおばあちゃんたちが、この喫茶店でのど自慢大会をやっているのだ。危ないところであった。よさこい節を聞きながらでは、どんなに美味しいコーヒーでも喉を通らない。早々に退散した が、そこから数キロも行くと、もう中村の町が遠景に見えたから、もうコーヒーはもう諦めて宿に向かった。

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河口近くの四万十川

程なく中村のビジネスホテルに到着して自転車の距離計をみると99.75キロだった。その夜、町に繰り出して、四万十料理の居酒屋に行って帰ってくると、 100キロを超えていた。川下りも鮎釣りもしなかったが、100キロ走ったので、非常に満足だった。釣りとかカヌーの川下りは、今度のお楽しみにしようと誓った。心配なのはお尻の 痛みだ。100キロ走った太もももパンパンに腫れ、痛かった。ビジネスホテルの小さな湯船にお湯を張り、ゆっくり筋肉をほぐし、お尻も労わる。疲労もたまってきている気もしたが、明日はいよいよ、四国南端の足摺岬だ。 旅のクライマックスである。

僕は、颯爽と足摺岬の断崖に立つ自分の姿を想像しながら、目を閉じた。

(四国サイクリング一人旅(その3)終わり。続きはまた書きます。この手記は、もっとさらっと書くつもりでしたが、書くことがありすぎて思ったよりも長くなってしまいました。次回から三日分くらいまとめて書きたいと思ってますが、どうなるか?)





posted by てったくん at 08:35| 日記