2018年01月05日

四国、自転車一人旅  その1    


四国自転車ひとり旅
2017年11月27日から12月9日まで


その1: 計画から出発までと、
     一日目羽田から高知、二日目 高知から宇佐まで


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四国までのこと

四国へ行こう!と思い立ったのは、昨年2017年の頭だったかもしれない。オーストラリアに暮らして22年目。ぼくはこの頃、やや日本恋しのホームシック気味なのだ。考えてみたら日本では行ったことない場所が数多ある。四国がそうだ。行ったことないし、知り合いもあまりいない。だから四国の地理など全く頭に入ってない。坂本龍馬が高知の人であることも、正岡子規が松山の人であることも頭になかった。讃岐うどんが香川県のものであることも、高知ではカツオの刺身をニンニクの薄切りと食べるなんてことも知らなかった。知らなかっただけに、知ってしまうと、今度はどうしたって龍馬の生地を見たくなり、正岡子規記念館にも行きたくなるし、讃岐うどんも食べたいし、カツオの刺身をニンニクの薄切りで食べてみたくなる。

そもそも四国へ行こうと思ったきっかけは、亡くなった弟光太の写真だ。旅行好きだった弟は、亡くなる2、3年前、東京からフェリーで徳島へ渡った。そのとき徳島港で撮ったらしい写真なのだが、写真の弟は、船のロープをもやう英語でボラードと呼ぶ丸っこい柱に、石原裕次郎みたいに片足を載せてカッコよく立っている。それを見ていたら無性に四国へ行ってみたくなった。

僕は、四国を自転車で周ろうと考えた。それは、このブログにも前に書いたように、僕のサイクリング熱が近年再燃していているせいである。そんなで、自転車旅行の本もあれこれ読み、若い時のように長距離ツーリングをしてみたくなった。読んだ本をいくつかあげると、『こぐこぐ自転車』(伊藤礼著)、『道の先まで行ってやれ!』(石田ゆうすけ著)、『自転車日記』(夏目漱石)、Old Man on a Bicycle (Don Petterson) , Pedaling Power (Roy Sinclair), Bicycle Diary(David Byrne) , 『自転車五大陸走破』(井上洋平)、『世界130カ国自転車旅行』(中西大輔)などである。本当はもっとたくさん読んだのだが、面倒なのでこれだけしか挙げない。でも、もう立派なアームチェア・サイクリストである。

しかし、部屋にこもっているアームチェア・サイクリストに甘んじるのは僕の本意ではない。この人たちのように最小限の荷物だけを持ち、道の続く限り、遠くまで走りたい。しかし、いきなりオーストラリア大陸横断や五大陸走破は無理だ。そこで四国、ということになった。

今回の旅行は、仕事の都合で日本に帰国する11月末から12月頭と定めた。 旅行に取れる日数は最大限で12日間。これだけ走れば十分であろう。ただ、東京から四国まで走っていたら、それだけで12日間かかるので、四国への往復は飛行機にした。本当は弟が乗ったフェリーで行きたかったが、時間節約のために断念。あれこれ考えたが、今回は高知と愛媛の海岸線を走って四国半周をすることに。高知から時計回りに海岸線を走り、四万十川に沿って走ったのち、足摺岬を回って宇和島、八幡浜、松山まで走る。それから今治から、島伝いにしまなみ海道を本州へ渡って、最後は広島の尾道まで。 帰路は広島空港から東京へ戻る。二日間の休養日も含めて、全部で12日間のソロツアーという計画だ。距離は600キロ位以上だろう(実際は720キロだった)。

大枠を決めてから2、3ヶ月、今度は走行距離、宿泊先、坂の勾配や長いトンネルの場所(サイクリストにはトンネルは鬼門)などの細かいデータを調べた。ところが、そうしているうちに 頭の中が情報で膨張してしまった。今はGooglemapとか、ブログとか、Youtubeとか、あらゆる手段で調べられるので、すぐにインフォーメーション・オーバーロードになってしまう。昔は、道路地図と、せいぜい国土地理院5万分の1の地図と、交通公社の旅行案内本くらいしかなかったから、当たって砕けろというのがサイクリングの醍醐味だったが、今は情報過多だ。流行っているうどん屋の情報まで調べて一体どうするんだと、あるところから、もうそれ以上詳しく 調べるのは止めた。

そして、いよいよ出発の日が来た。


11月27日、第1日目

「リムジンバスの女性ドライバーが、肩から落ちたセーターを拾って、綺麗に畳んで渡してくれたこと」 : 羽田から高知まで(一日目、走行距離はゼロ)

出発の11月27日、僕は、調布からリムジンバスで羽田に赴き、午後16時5分発、高知竜馬空港へ向かう機上の人となった。エアバス321の荷室には、 輪行袋に入った僕の自転車ものっている。

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夕方5時すぎ、高知空港に降りたった最初の印象は、辺りがもう真っ暗だったことだ。11月末、まだ午後6時前と言うのに、鼻をつままれても分からないような闇が忍び寄っていた。空港ビルから出ると、 「ふるやのもり」という言葉が頭に浮かんだ。それは子供時代に親しんだ絵本の題名で、その中に描かれていた闇が怖かったことが記憶にある。僕は、夕暮れに家路を急ぐ、腹をすかせた子供のような心細さを覚えた。

空港ビルの前には、高知駅行きのリムジンバスがいた。だけれど、そのバスはすでに満員で、自転車の入った輪行袋を抱えた僕が乗れる余裕はなかった。これはしたり!と思ったら、「後ろのバスに乗ってください、空いてますよ」と、声がした。 狐に包まれたように声の主を見ると、それは、ややぶかぶかのユニフォームを着た若い女性ドライバーだった。見れば、後のバスには誰も乗っていない。 急いで販売機で切符を買おうとしたが、慌てて正しいボタンが分からない。若い女性の運転手は横に立って、正しいボタンを押してくれた。そして、僕が自転車を入れた大きな袋を引きずっているのを見ると、冷たい声で「自転車は、バスに自分で乗せてください、壊れても会社は責任が取れませんから」と言った。僕は、冷えていく空気の中で、額に汗をかきながら自転車の袋を大きな青いバスの荷室に詰め込んだ。

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輪行袋の自転車

一番前の席に座ると、すぐにその女性ドライバーも乗り込んできて、ドアを閉めてバスを発車させた。彼女は背が150センチくらいしかなく、まるで子供が運転してるように見えたが、運転は巧みだった。 乗客はやはり僕一人だった。前を行くバスは満員なのに、すぐ後を行くバスに僕はたった一人。「慌てるコジキはもらいが少ない」という諺を思い出す。たった一人の乗客を乗せて、 彼女はあたかも「こんなことは、しょっちゅうあるのよ」とでも言っているように、無表情で ハンドルを握っている。

一方僕は、「もしかしたら、この運転手は女狐が化けていて、山奥に置いてきぼりにされるかもしれない」と、電気がポツポツしかついてない暗い高知市の郊外を眺めて疑った。高知に来るのは生まれて初めてだったから、そんな童話的な想像力がはたらいたのかもしれない。

30分ほどで到着した高知駅は、案の定ガランとしていた(駅のように見えるが、もしかしたら山奥かも!)。寂しいバスターミナルで、僕は自転車を荷室から引きずり出した。女性ドライバーは、唯一の乗客だった僕の横に立ち、社則なのか、手伝おうともしないで眺めている。僕が、かがんで自転車を引きずり出す時、肩にかけていたセーターが地面に落ちた。すると彼女は、それをさっと拾い、綺麗に折りたたんでカバンの上にそっと置いてくれた。それは、やっと自分ができることができて喜んでいるような仕草であり、彼女の本性が滲み出た一瞬だった。「あ、どうも」と僕が言うと、「いいえ」と、彼女はこわばった表情で答えた。

高知の闇、そして、その中に現れた女性ドライバーは、この先の旅をどこか暗示している気もしたが、どう言う暗示なのかはわからなかった。ただ一つ言えることは、今は闇の中にある四国も、朝になればその全貌を晒すだろうということだ。これから走っていく四国は、きっとこの若い女性運転手のように、機会さえあれば、 銀輪の旅人に優しげな本性を垣間見せてくれるであろう。



11月28日 第二日目
「人はどうして一人旅をするのかと、失われていく意識の中で考えたこと」:高知から宇佐まで (走行距離51キロ)

 
旅というものは、終わってしまうと夢を見ていたような心持ちがする。今この文章を書きながら四国で撮った写真を見ても、その光景を本当に見てきたのかどうかもう定かではない。高知と愛媛の海岸線を10日間も自転車で走ったことなど夢の中のことのようだ。

メルボルンの部屋のパソコンで、高知の写真を見ていると、その中に高知駅前Sホテルの駐車場で、自転車を組み立てているところを写した一枚がある。 高知についた翌朝は朝の4時に目覚めた。そんなに早くから活動を始めると一日の行動に差しつかえるから、もう少し寝ていようと試みたが、5時になると完全に目が覚めてしまった。僕は音を立てないように、自転車の入った大袋を石川五右衛門のように担いで、 エレベータに乗って真っ暗な闇へと降りて行った。

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組み立てられる愛車

四国と言えども、11月末の日の出前のコンクリートの駐車場は冷え切っている 。 僕は震えながら、かなり長い時間をかけて自転車を丁寧に組み立てた。走っていてネジが緩んだりしないように締めるところはしっかり締めた。何せ、これが本番なのだ。今年の初めにこの旅を思いついた時から、何度この瞬間を想像したことか。何度この自転車を整備するために解体したり、組み立てたりしたことか。もう目をつぶってもこの自転車を組み立てることができる。僕は、今日から十日間も、この自転車に乗って走っていくんだ。

組み立てが終わる頃、空が白み始めた。組み立て終わると、自転車の調子を見るために車道に出た。自転車は音もなくスーッと走った。まるでスケートの選手が 氷のコンディションを確かるために弧を描いて滑るような感じだ。700c、28ミリのタイヤには、10気圧の空気がパンパンに詰まっている。そのタイヤは摩擦抵抗などないように、素晴らしく滑らかにアスファルトの上を転がっていく。

しばらくして、荷物をくくりつけた僕は、いよいよ高知の街を走り出した。高知の街は、道路も歩道も広くとってある。景色も広々としている。高いビルが少ないせいだろう。朝の8時前というのに、たくさんの学生や通勤人が自転車に乗って息急き切って走っていく。それは大きな流れとなって歩道を埋め尽くし、まるで遡上する鮭のようだ。 僕は、その間を縫うようによろよろと、自転車の乗り方を覚えたばかりの子供のように走る。オーストラリアから来た僕は、まだ日本の道路を走るのに慣れていないのだった。

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遡上する鮭のような高知の高校生たち

僕はゆっくりと、はりまや橋、高知城といった観光名所を回った。高知城址の中の高知県立文学館にも入った。高知の文学者にも色々あることを知るが、あまり興味を持って読んだことのない作家が多い。だが、それは僕の好みの問題であって、そう勝手に思われる作家たちには迷惑な話だ。文章を書くのは大変なことなのだ。僕には、読んだこともない作家のことをとやかく言う筋合いはない。売店には、それら作家たちの本が置かれていて、これを機会に何冊か買いたいところだったが、自転車旅行ゆえ、重たい本を買い込むわけには行かない。題名だけメモして 文学館を去る。

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はりまや橋にて

こうやって観光名所を回っているのも楽しいが、今日中に、3、40キロ西の宇佐の 国民宿舎「土佐」まで行き着かなければならない。だから見物は早々に切り上げて桂浜 に向かう。途中、高知市を見渡せる竹林寺があるので、いくらか山登りになるが、足慣らしに登ってみた。 見晴らし台からの眺めはとてもよかったが、見晴らし台にあるレストランが絵本カフェになっているのは唐突だった。本のセレクションはかなりランダムであったが、珍しい古本も置かれていた。中に私が手がけた絵本などもあって、そのことを言わなくてもいいのに、売り場の若い女性に告白してしまう。すると、「えー、すごーい! どの本ですか?」と驚かれ、さらに一緒に写真を撮ったりもした。それで、少し良い気分になったのだが、だからと言って「今夜、もっと詳しくお話を伺わせてください! 」と言う運びには全く進展しなかったので先に進むことにした。

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絵本カフェにて、そこに置かれた絵本の訳者が目前にいることを知り、女店員が歓声を挙げた

そこから桂浜は、ゆっくり走っても1時間ほどだった。 途中に大きな造船所があって、トラックがたくさん走っている。美しいと言われる桂浜にもさしたる感慨が浮かばなかった。曇り空だったこともあるかもしれないし、空腹を抱えて走っていたせいもある。浦戸湾の河口を渡る橋が自転車は通れず、かなり長い距離を戻って、渡しフェリー乗り場まで戻らなくてはならなくて、うんざりもした。

浦戸湾の渡しフェリー待合所で待っていると、お遍路のおじさんがいた。65歳くらいで最近仕事から引退したばかりと言う年恰好だ。どのお遍路もそうであるように、 「南無大師遍路金剛、同行二人」と背中に書いてある白装束を着て杖を持っていた。 時間があったから、僕は少し勇気を出して、「今日はだいぶ歩かれたんですか?」と尋ねた。お遍路は「20キロばかりは歩いたかな。今日はあと少しだけね」と 笑いながら言った。お遍路と言うと、田宮虎彦の『足摺岬』に登場する昔のお遍路のイメージしかなかったから、現代の普通のおじさん遍路が新鮮だった。モンベルのリュックを背負い、高価そうなハイキングシューズを履き、赤いキャノンのデジカメを持っている。その上、僕の自転車を見て「細いタイヤで、走りやすそう ですね。どれくらいスピードが出るんですか」などと質問もする。そんなで、和やかに会話をした。たった五分だけの渡しフェリーの上でも、お互いの写真を撮り合い、「じゃあ気をつけて。またどこかで」なんて言って別れた。田宮虎彦的なお遍路の世界ではないんだな、全然。

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仁王立ちで行方を眺める遍路おじさん

浦戸湾を渡ると、腹がどうしようもなく減ったので、ドライブインでまずいカツカレーの昼飯を食べる。それから楊枝くわえて、シーハーシーハーしながら土産物を冷やかし、生姜アイスなんてものも食べてしまう。立ち食いしながら、どこか田舎から来た遍路ツアーのおばさんと、「生姜アイスなんて珍しいけど、おいしいねえ。健康にいいのかね?」とか会話してしまう僕は、本当にいつもの自分なのか?

しかし、うかうかしていたら、日が傾いてきたた。 さあ出発だ。宇佐という漁港までの25キロほどは素晴らしくまっすぐ で、滑らかな堤防沿いの道だった。飛ばすというのでもなく、さりとてのろのろ走るのでもなく、几帳面に足に力を入れてコンスタントにこぐ。やっぱり1日目だから、自転車のこぎ方も真面目なんだな。海岸沿いを、太陽を追いかけるようにして走っていると「飛び出せ、青春」ってな感じがしてきた(分かる?) 

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夕日に向かって走れ!

しゃかしゃか走っていると、遠くに見えていた宇佐の半島が、ぐんぐん近づいてきた。いい感じの達成感だ。宇佐の集落まで来ると、にわか雨がパラパラと降ってきた。夏の雨のように暖かくもないが、さりとて冷たくもない雨に濡れながら、国民宿舎までの坂道を、かなりな急坂だったが、一度も休まずに登りきった。登ると、汗びっしょりだった。崖の上の国民宿舎は、エーゲ海にあるような白亜の建物で、今日走ってきた海岸沿いの道が一望できた 。

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白亜の国民宿舎に泊まり、カップルに睨みをきかせた

雨に濡れて汗まみれの僕は、 ピカピカのレンタカーから荷物を下ろしているカップルなんかをちらっと睨みつけながら、チェックインする。チャリダーとしての誇りと言うか、プライドで胸がいっぱいだ。お前らがイチャイチャしながら車で登ってきた坂を、俺はひとりで自転車で登ってきたんだぜ、すごいだろ!なんて言いたくなるが、グッとこらえる(分かったから、 早く温泉に入って、ビールを飲んで気持ちを落ち着けよう!)

部屋に上がると、シーンとした静けさに包まれた。四国サイクリングの1日目は幕を閉じたが、今朝起きた時の興奮はまだ残っていて、まだ夢の続きを見ている ようだ。まだ10日も旅が続くのだ。疲労は心地良く、背骨の髄まで幸福だった。風呂に入った時も幸福だったし、ビールを一杯やりながら、一人で暗い海を見ながら食事をした時も幸福だった。布団に入って、眠くてまぶたがくっつきそうになっている時が一番幸福だったかもしれない。目をつぶって、妻や子供達がここにいて、この幸せを分かち合えればもっと楽しいだろうとも思ったが、同時に、これはたった一人で来たからこそ味わえる幸福であることも確かだと分かった。

幸せとは何だろう? 矛盾しているかもしれないが、ある種の幸せのためには、孤独というエッセンスが不可欠なのかもしれない。だが、そんなのは真の幸せではないと反論する人もあるだろう。では、なぜ人は 一人旅なんかするのだろう? 眠りにつくまでの10秒間ほど、そんなことを考えたが、その答えが出る前に僕の意識は失せていた。

(第一部終わり。続きはまた後日書きます。)
posted by てったくん at 11:46| 日記