2016年05月02日

モンバルクの栗拾いと、バルークのキウイもぎ

2016年4月29日


過日、栗拾いに行った。モンバルクの友人宅である。ここへは毎年寄らせてもらっているが、住民であるララと夫のサージは年配で、悪い事に、ララは今年になってから膝も痛めている。だから、もう栗拾いをしないので、「いくらでもとってね」と言う。全く贅沢な話だ。

ララとサージの家の敷地は5エーカーはあるだろうか。モンバルク村を見下ろす山の斜面にあり、ウォーバートンの山を遠くに眺める日当りの良い斜面に果樹がたくさん植わっている。キウイ、レモン、フィジョア、リンゴ、梨、日本のミカンや柿の木もある。

この家の栗の木は、戦後に移ってきたイタリア系移民が植えたそうだから、もう樹齢50年以上だろうか、見上げるような大木だ。だが、イタリア移民の一世の多くはもうこの世を去り、生きていてももう高齢だから、栗拾いはできない。二世や三世は栗なんか食べない。だから、こうやって日本人の僕たちが21世紀になって、拾って食べているわけだ。

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バケツ一杯の栗

今年は、日本からメルボルン駐在でやってきているご家族と、うちの近所のもう一家族を誘って、三家族で拾った。それでも採りきれない。うちはバケツに4杯も拾ったが、当分食べきれない程ある。

栗を拾うのは単純な作業だ。地面に落ちているのを拾うだけだから、上手いも下手もない。毬(いが)に入っているのは足で踏みつけて、ぐりぐり押さえると観念して中から出てくる。そんなことを何百回も繰り返していると、やがてバケツが栗でいっぱいになる。

こういう単純な作業を繰り返していると、不思議と頭の中が空っぽになって、子どものときの記憶なんかが蘇ってくる。子ども時代、東京西部、多摩にも栗林がたくさんあった。でも、厳重に柵がしてあって、僕たち住宅地の子どもは外から眺めるだけだったから、栗林を持っている農家の子どもが羨ましかった。だから、メルボルンに来るまで、ちゃんと栗拾いなぞしたことはない。だから、栗拾いの夢が50年たってやっと実現した訳だ。そういう記憶の隅に焼き付いた光景が、古い写真のネガみたいに蘇ってくる。

ララとサージは、ロシア系移民である。オーストラリアには1970年代にやってきている。移民と言っても、ソ連を追い出されてきたから難民であり、ロシアには帰れない。追い出された理由は、西欧よりの自由主義的インテリ家庭に育ち、反ソ連的だったからだと言う。財産を没収され、身ぐるみ剥がれて逃げ出したから、彼等にとってロシアはもはや記憶の中にしかない。

そんなロシア育ちのララはキノコに詳しい。この時期ララの家に入ると、色とりどりのキノコが干してある。「どうして食べられるかどうか分かるの?」と尋ねても、「うまく説明出来ない。でも、私は知っている。見れば分かる。セントペテルスブルグの近くの森の中で、いつも採っていたから。」

栗拾いをしていると、「おしっこ!」と、日本人家族の小さな女の子のなっちゃんが言う。栗林にトイレはない。「そこらで、しちゃいなさいよ」と僕が言う。お母さんも「そうしなさい、なっちゃん、そこでしなさい」と言う。「できないよ、トイレに行きたい!」となっちゃんは泣き声を出す。

仕方がないから、ララ宅の母屋へトイレを借りに行く。ララは、実は生け花の先生で、僕もしばらく習っていたことがある。そんな日本びいきのララとサージは昨日まで日本に桜を見に旅していた。昨夜遅く帰ってきたばかりだから、あまりお邪魔したくなかったのだが、なっちゃんのためにドアを叩く。

すると、バスローブを着た疲れた顔のララがドアを開けてくれた。「あらー、来てたの? トイレ? どうぞ、どうぞ」と、家にあがらせてくれる。なっちゃんはトイレに駆け込み、僕はしばし立ち話。

「日本は良かったわあ、桜が本当に見事で。奈良が一番良かったわね。沖縄は初めて行ったけど、正直あまりぴんとこなかったわ。どうして沖縄の人は長生きするのかしらね、よく分からないわ」と、日本の印象を話す。

そうか、日本は桜なんだな、と僕も改めて思う。日本の桜なんてもう何年も見ていない。日本の桜。桜と言えば日本。インターネットを眺めていても、この時期は、桜、桜、桜。でも、それくらい見事だってことなんだろう。でも、メディアであまり大騒ぎするのは、興ざめだ。(僕に言わせれば、それが日本の悪いところだ。)それでも、いつか春に帰る機会があったら、桜を思い切り満喫してみたい。亡くなった父もこう言っていた。「春の奈良はいいぞ。いっぺん行ってみろ。」奈良の田舎なんかだったら、良いだろうな。


バルークへ

ララ宅で拾った栗を手みやげに、翌週の週末は、バルークという田舎にある、友人であるリッチとエリさんの別荘に寄せてもらった。メルボルンから東へ200キロ、ラトローブ渓谷のモーウェルという発電所(石炭の火力発電)がたくさんある町まで高速を走り、そこからは山道を40分程登るとバルークだ。

途中「タシー山の頂上見晴し台」という標識があったので、ガタボコ道を500メートルほど登って行くとアンテナが立っていて、そこが見晴し台だった。

車中ではぐうぐう寝ていた13歳の息子の鈴吾郎もむっくり起き上がり、「お、すごい景色だ、写真を撮ろう!」と言い、自慢のiPadを持ち出す。オーストラリアには、あまり高い山がないから、こうした高見の見物ができる場所はうれしい。

タッシー山で.jpg
タッシー山の頂上から

鈴吾郎は、しばらくiPadをあちこち向けて風景写真をとっていたが、「ここは風が吹いたら、すごそうな場所だな」と言う。今日は秋とは言え、穏やかな天気だ。

遠くに発電所の煙が見える。石炭を燃やすので評判が悪いのだが、ラトローブ渓谷自体が石炭の上にあるような場所だから、燃料には事欠かない。オーストラリアは、世界でも一酸化炭素の排出量が最も多い国のひとつだが、 こうした安い燃料があるだけに 、太陽や風や水などの代替エネルギーになかなか移行出来ない問題を抱えている。(でも、どうしてこんなに電気代は高いんだろうね?)

タシー山からバルークはすぐであった。バルークは、タラブルガ国立公園の横の村だが、ここにリッチとエリさん夫婦が田舎屋を買ったのは3年間くらい前だろうか。

僕らが到着すると、作業着を着たリッチが現れた。リッチは普段は会社勤めだが、こういう田舎にいる時は樵のような格好をしている。オーストラリアの男は、スーツよりも作業着が似合う。僕の様な日本人でも、作業着が似合う様になるとオーストラリアに馴染んできた証拠だ。

リッチとエリさんの家の敷地は10エーカー。「ひと山」という感じかもしれない。こういう田舎では、家一軒の敷地はエーカー単位である。家自体もかなり広いが、相当ガタガタである。ぼろい、とは聞いていたが、本当にぼろい。

セドリックじいさんの山の家.jpg
共産主義者セドリックじいさんの山の家

「こうやって友達に来てもらえるようになるまで3年かかりました」とエリさんが笑って言う。「メルボルンに住んでいるから、月に二回来るとしても、ちょっとずつしか片付けられないんです」と、彼女は言う。

「前に住んでいた人は100歳まで生きた老人で、しかも、その人が亡くなってからもう15年もたっている状態の家を買ったから、どれくらいぼろいかわかるでしょ?」とリッチ。この老人は、定年退職してからこの家を買い、40年程をここで過ごしたと言う。

「最初は小さな山小屋だったのを、こちらに一部屋、あちらに一部屋、物置をひとつ、温室をひとつ、という具合にどんどん建て増したらしいんだよ。だから広いんだけど、ほとんど全部違法建築!」とリッチは笑う。

「どうしてこんな山奥に家を買ったの?」と尋ねると、「バルークは、若い頃からよく来ていて、キャンプをしたりしたんだよ。僕は、このギップスランド地方が大好きでね、将来ここに土地を買って、木をたくさん植えて、昔の様な森を復活させていきたいと思っていたのさ。そしたら、こういう物件に出くわしてね。ここは、もうちゃんと森になっているから、じゃあ、この森を守る為にこの家を買おうと思ったわけ」とリッチが答える。森を守るために家を買うと言うのは、本当に見上げた心意気だ。

10エーカーのうち、家屋や物置がある敷地は3、4エーカーで、残りは原野だ。隣はもう国立公園であるが、どこが境界か目印もない。それを知る唯一の方法は、スマホでGoogleマップを開き、それで方位を見ながら歩くことだと言う。便利な世の中になったものだ。

庭を見せてくれる。リッチとエリさんが植えた新しい樹木である原生種のユーカリには赤い印がついている。前の住民であった老人が植えた木は、見上げる様な大木になっている。リンゴや梨やヘイゼルナッツの木もある。温室からはみ出たキウイの蔓はあちこちを這いずりまわり、100坪くらいのジャングルだ。キウイの実がたわわになっていて、市場へ出荷出来るほどの量だ。「あとで、みんなでとりましょうね」とエリさん。

キウイの木に被われそうな家.jpg
キウイに埋もれた家

陽がかげってきたので、家に入る。こういう山奥では日が落ちるのがめっぽう早い。家の中では、薪ストーブがぼうぼう燃えている。僕のベルグレーブの家にも薪ストーブはあるが、薪をけちっているので、こんなに景気良くは燃やせない。「このジャングルには、薪はいくらでもあるからね。それに週末しか来ないから、薪は燃やし放題。トレーラーを引いて来たら、いくらでも薪をあげるよ」とリッチ。薪はメルボルンで買うと、一立方メートル130ドルもする。

この家はとても古い。築70、80年の家だから、本当はそんなに古い訳ではないが、10年以上も手入れをしてなかったから、ぼろぼろの箇所がある。それをリッチたちはこつこつ直しているのだ。それでも、二部屋はあまりにもぼろかったから、あきらめて解体したと言う。「床も壁も腐ってたからね」とリッチ。

「実は、この家に住んでいた老人は、コミュニスト(共産主義者)だったんだよ。共産党のパンフレットがたくさんあってね、ほら」と、リッチは机の上に積んである古ぼけた冊子を見せてくれた。それから「日本の共産党へ書いた手紙の写しも残っているよ」と、カーボン紙の写しをファイルから取出した。

その手紙の日付は1964年で、「日本共産党 書記長様」とある。内容は、日本でそのころあった事件に関することで、労働争議か何かの咎で逮捕された日本人の某の釈放を、オーストラリア共産党も全面的に支持するという内容であった。共産党員は国際的に一致団結しよう、という文章で、日本以外にも、ロシアや東欧諸国の同胞へあてた手紙も何通かそのファイルにあった。オーストラリアも労働者の国だから、共産党や社会主義の人たちの活動は盛んだろう。

ララとサージのように、ソ連から反共的だというかどで追い出されて、オーストラリアに来たと言う人もあれば、そのオーストラリアで、共産主義者の男が、こんなに楽しそうに、山奥で自由に楽しく暮らしていたというのは、皮肉でなくて何だろうか。

「この家を買ったらね、近所の人たちがセドリック(共産主義の老人の名前)のことをいろいろ教えてくれてね。だから僕は、この家の歴史にのめりこんでいるんだよ」と、リッチが苦笑いする。

古い家を買うと、ついでにその家の歴史も買うことになる。過去と未来を同時に手に入れるということだ。オーストラリアには古い家がたくさん残っているから、実際こういう話はよく聞くし、僕も自分の家を買った時、押し入れの奥から、前に住んでいた子どもの描いたスケッチブックを見つけたことがある。庭を掘っていたら、古い木製のおもちゃの自動車が出てきたこともあった。古い家はタイムカプセルなのかもしれない。

「物置にもいろいろ面白いものがたくさん詰まっていてね、まだ全部調べてないんだけど、ほらこんなのもあったよ」と、リッチが見せてくれたのは、産婦人科医が使う手術用具一式だった。「これなんか、胎児の頭をつかむ道具だね」と、薄気味悪いものを取出して見せる。「そのじいさん、変態だったのかもよ」と僕はつぶやく。

セドリックじいさんの作業小屋.jpg
セドリックじいさんの夢の跡

夜のバルークは、耳が痛くなる様な静けさだった。ベルグレーブも静かだが、どこかで自動車の音はするし、夜遅くには駅から電車の汽笛の音も届く。 しかし、バルークには何の音も届かない。風や動物の立てる音がするだけ。

ぐっすり寝たので、 翌朝はみんな寝坊だった。庭でとれたリンゴや梨の朝ご飯を食べ、外に出る。鈴吾郎とトモ君は、庭でエンジン付きのゴーカートに乗っている。アクセルを床まで踏むと60キロは出るという代物だ。こんなものを自分の庭で乗れるのだから、オーストラリアの子どもは幸せだ。

ゴーカートで森を走る.jpg
ゴーカートで飛ばす子ども達

「すげえスピードが出るんだよ。パパ見てて!」と、鈴吾郎は興奮し、家の前の芝生で、ゴーカートで8の字を描いたり、スキッドさせたり、ドリフトさせたりしてみせる。「パパも乗ってみなよ」と言うから僕も挑戦するが、庭をガタボコゆっくり二周しただけで、体中の骨がばらばらになり、首がもげそうになったから、早々に退散した。

「キウイをもぎにいきましょう」と、奥さんたちが言うので、僕もそっちへいく。長男のアキちゃんがもうすでにキウイのジャングルに潜り込み、どこか見えないところで、「あ、大きいのがあった! こっちにも大きいのがある!」と、歓声を挙げながら実をもいでいる。僕も、いっしょになってもいだら、すぐに段ボール箱に四箱とれた。

あまりたくさんあるので、「これを一体どうやって食べるんでしょうね」と、思わず言ってしまった。

キウイの森でキウイをもぐ.jpg
みんなでキウイをもぐ

「キウイジャム、キウイワイン、キウイジュース」と、チャコがアイデアを出すが、あまりレパートリーは考えつかない。僕の多摩の家にも、母が昔植えたキウイがあって、毎年箱一杯くらいとれた。母が亡くなると、子どもの本の作家だった父は、キウイを植えた母を懐かしんで『キウイじいさん』(渡辺茂男作、クレヨンハウス刊)という絵本を書いた。これは、老人がキウイの木に元気をもらって老後を乗り切る物語である。この話には、「キウイ最中」とか「キウイぜんざい」とか、変な食べ物が出てくる。絵はナンセンス画で有名だった長新太さんが描いた。僕は今でもこの絵本が大好きで、これを読むと、父や、今はもうない、キウイの木があった実家が懐かしくなる。

「そういえばさ、キウイが好きなおじいさんが出てくる絵本があったよね」と、ゴーカートを乗り捨ててきた鈴吾郎が言う。「あんた何言ってんの、それは、あんたのおじいさんが書いた絵本なのよ、覚えてないの?」と、チャコがあきれ顔をして言う。

「ねえリッチ、ゴーカートの後ろの車輪をこわしちゃったみたい」と、鈴吾郎が首をうなだれる。「え? そうか、ちょっと見てみよう」とリッチ。ゴーカートを見にいくと、なるほど後のホイールが曲がって、タイヤが外れている。「あれまあ、どこか固いものにぶつけたんだな。仕方ないよ、気にするな」とリッチが慰める。

そんな事をしているうちに、気がつくともう昼。あわてて昼ご飯を食べ、タラブルガ国立公園の森をちょっとだけ歩きに行った。森の奥では、パキスタン人と思しき大家族が、特別に美味しそうなバーベキューをしていたから、森中に香辛料のきいた焼き肉の匂いが漂っていた。その上、僕らにはわからない言葉で、彼らの大きな笑い声が森に木霊していた。

「普段は、もっと静かなんだけどなあ…」とリッチがつぶやく。「パパ、あの人たちのバーベキュー美味しそうだね。ちょっとだけ食べさせてくれないかな?」と、食いしん坊のアキちゃんが言う。「何言ってんだ、お前昼飯食べたばかりだろ!」と、リッチがたしなめた。

僕らは、足早に散歩を終えると、車に山ほどキウイを乗せて、メルボルンへ戻った。短いが、とても愉快な週末だった。

高さ100メートルのユーカリ.jpg
樹齢200年、高さ100メートルのユーカリの巨木
posted by てったくん at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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