2014年11月24日

11月末、初夏の週末

2014年11月23日

「生きているだけでも幸いだと思わなくちゃね」と、出し抜けにロビンが言った。

先週のヨガのレッスンのときだ。ロビンはヨガの先生で昔からの友達でもあり、息子と娘の幼なじみのお母さんでもある。彼女がそんなことを言ったのは、2、3日前に息子のデブリン(小学校六年)が学校で、友達にまちがって喉元を殴られてショックで呼吸困難になり、救急車で運ばれたからだ。幸いデブリンはすぐ回復し、そればかりか、救急車の中で施された麻酔に酔っぱらってやけに陽気になったというおまけがついた。

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チャコの作った、色とりどりの「苔玉」

その日の晩、ロビンはかねてから癌で闘病生活を送っていた友達ローザの家を訪問した。すると、着くなりローザの18歳の娘が玄関に出て来て「お母さんがベッドで死んでるみたい」と言ったそうな。そこでロビンは、またもや看護士を呼ぶやら、身内の人たちに連絡したりで、大わらわだったと言う。

一日のうちに、二度もそんなことがあれば、「生きているだけでも幸いだと思わなくちゃね」と、言いたくもなろう。

そんなで、金曜日はローザのお葬式だった。ローザはまだ51歳、僕もうちの女房も同世代。3、4年前に癌になったが、放射線や抗がん剤は全て拒否、自然の代替医療だけで生存し、死の二ヶ月前まで仕事を続けていた。その分長生きだったのかどうかは分からないが、少なくとも自分の人生は全うしたと意識できただろう。

親しい友人という訳でもなかったが、ローザは、うちの娘と息子が世話になったダンデノン山シュタイナースクールの創設メンバーで、 死ぬまでその事務室に居たし、また 彼女の子どもたちとうちの子どもたちがそこで一緒に大きくなったから、いろいろな意味で「仲間」という感じだった。

ローザの葬式は、メルボルンから1時間ほどのドローインという田舎町で行われた。どこまでも緑の低い山が続くラトローブ渓谷の入り口の町で、ローザはその近くの農場で生まれ育ったと言う。ローザが埋葬された墓地も、見晴らしの良い丘の上にあった。ロビンは、「ここなら良いわね」と、 ローザもここなら安らかに眠れるという意味なのか、 ここになら自分も埋葬されても良いという意味なのか、どちらにもとれることを言った。きれいな田舎だが、 僕だったら、ここに葬られるのはいささか寂しい。

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オーストラリアの古い、古いお墓

僕もつい2ヶ月前に日本で39歳の弟を見送っている。だから、よく生や死について考える。どこに骨を埋めるかというのも問題だが、それは死者自身というよりも、残された人たちにとっての問題かもしれない。僕は、メルボルンの近くの海に散骨して欲しいと思っているのだが、あるときそう口に出して言うと、子どもたちも女房も口を揃えて、「お墓がないと会いに行く場所がない」と不平を漏らした。そこで初めて、お墓は生きている人たちのものなのだと悟った。

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僕の好きなギップスランドの海

とにかく、11月のメルボルンは気候がいい。初夏と言うか、遅い春と言うか、気温もマイルドだし、盛夏の乾燥もまだ始まらないから、樹木は瑞々しく緑も濃い。ローザの葬式の日も、すこぶるよい天気で、彼女には悪いが、買ったばかりの(2005年型の中古だが)スバルの四駆をすっ飛ばしてドライブ気分だった。これまで愛用していた30万キロ走ったトヨタ・カムリはどうなったかと言うと、8月に弟が昇天したすぐあとくらいに、致命傷のエンジンオイル漏れを起こしてやはり昇天したのだった。

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初夏のメルボルン、ボタニカルガーデンで製作中のチャコ

娘と息子をあちこち連れて歩いた自動車を葬るのは寂しかったが、新車がくれば、これはこれで楽しい。このスバルがすばらしいのは、今や「化石」と呼んでも良いようなカセットプレーヤーがまだ付いていて、これで古いカセットを聴けることだ。ドゥービーやらディランやらCSNやらサンタナやらチックコリアやら山下達郎やら陽水やら、70、80年代のカセットがこのスバルの中で見事に復活している。こういうアナログなものは、やっぱりしっくりくる。

週末も良い天気だった。とにかく野外に出ていたくて、土曜は息子とその友達を連れて、息子も僕も好きなフリンダーズまでスパルで釣りに行った。カワハギ、キスなどが上げ潮にのって、ぽんぽんっと10匹程釣れた。潮風に一日吹かれていると、寿命が2、3年確実に延びる。

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翌日曜は、ひたすら庭仕事をした。通りぞいの生け垣がジャングルになっていたので切りそろえた。梯子をかけて、ちょきちょきハサミで切っていたら、隣家のお父さんの退役軍人キースが、「とても見ちゃいられない」と言って、電動庭ばさみを貸してくれた。ところが、電気コードが邪魔で、借りておいて悪いが、とても使っちゃいられない。そこで、またもやハサミでちょきちょきした。昔、日本の実家でも、年に2、3回、植木屋の増島さんがハサミでちょきちょき切っていた。 僕は、増島さんが、超スローに樹木に話しかけながら丁寧に植え込みを切りそろえるのを見て育ったから、この作業はハサミじゃないとダメだと信じている。

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刈った後の生け垣。虎刈りだが、満足

半日働いたら、すごい量の枝や葉が出た。あと2週間すると「樹木ゴミ」の回収があるから、このとき全部出してしまうつもりだ。夏の始まりの時期には有り難いサービスだ。

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これは庭のビワ、初夏の味覚

生け垣が終わると、近所の日本人のお母さんにいただいたヨモギと茗荷を畑に植えた。ヨモギは、ヨモギ団子などに使えるし、茗荷はザルそばや、冷奴の薬味にできる。今からよだれが出そうだ。これを下さったアンナさんは日本人のお母さんだが、うちより、もう少し田舎の農場に、オーストラリア人の家具職人のご主人と三人のお子さんと暮らしている。小柄な可愛いお母さんなのだが、やっていることはまるで「農家のおばさん」。味噌造り、梅干し造り、糠の漬け物、畑では茗荷、ヨモギ、しそ、牛蒡など、何でも作ってしまう。馬や羊も飼っている。日本野菜の種や苗は、「サステナビリティーの会」という日本人農業愛好者の会で交換してくるのだそうだ。オーストラリアの日系人は、きっと地球最後の日も、それも一番最後まで生き延びる人種に違いない。

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茗荷とヨモギ

庭と畑で汗を流したあとは、息子と釣った魚を刺身にし、自分で作ったビールを飲んで喉を潤した。

生きていることは非常に幸いなことだと、心から感じた。

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ビール作りの様子











posted by てったくん at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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