2014年11月10日

駅弁、駅そば

2014年11月8日

10月の終わりから、また二週間ほど日本に滞在した。この8月以来、日本に来る用事が連続したので、落ち着いてメルボルンで薪など割っていられない状態だ。しかし、忙しいときは忙しいのだから仕方がない。8月末に末弟の光太が急逝したので、彼の人生の後片付けという大事な用事もあった。

それと今回は地方の図書館に行って人前で話をする仕事が東京、静岡、姫路であったので、新幹線に乗って行き来した。トールキンではないが「行きて帰りし物語」である。それで駅弁を4回も食べた。駅弁は、たまに食べると心躍るが、4回も食べるとやや飽きる。子供の頃、デパートで「駅弁大会」があると、母が 買って帰ることがあったが、家で食べる駅弁もなぜかうまくなかった。やはり駅弁は、たまに長距離列車の中で食べるのがいい。

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最初は静岡へ行って帰ったが、新横浜から12時頃の「ひかり」に乗った。久しぶりの駅弁だから迷いに迷い、最後は決めかねて月並みなシュウマイ弁当800円を買った。しかし、これが意外にうまくて満足した。横浜でシュウマイ弁当とはつまらない選択と思ったが、平凡さの中にこそ幸せがあるという感慨を久しぶりに味わった。
 
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その新幹線でだが、横に座っていたイタリア人家族は、新幹線も駅弁も初めてらしく、お父さんが幕の内弁当を一口食べては感想をいちいち語り、息子がそれをiPhoneのムービーに録画していた。富士山が見えてくると皆で立ち上がり、ジュースやビールで乾杯した。イタリア語は皆目分からないが、楽しそうな人たちを見ているのは愉快だった。

でも、ひかり号で新横浜から静岡はたった40分だから、シュウマイ弁当を食べ、伊藤園のお茶を飲み終わらないうちに、もう静岡に着いてしまって、旅情を楽しむ時間はあまりなかった。

静岡は父の故郷である。父は寺町という場所の写真屋に生まれ、兄弟は12人 だったから、静岡には親戚がたくさんいる。僕の講演会にも15人もいとこやおばさんなどがやってきた。会場の一列が全部親戚であった。講演の後、いとこ会をすることになり、スナックを借り切ってみんなで酒を飲んだ。静岡だから、黒はんぺんフライがうまかった。その宴会では、静岡のお墓が草ぼうぼうになっているのはどんなものかとか、祖父母や先祖の位牌がどこにあるのか分からなくなっている、とかいう話題で盛り上がった。経緯は端折るが、僕はその場で「先祖代々の位牌」を受け継ぐことを承諾させられ、メルボルンに渡辺家の先祖全員をひき連れて帰ることになった。帰りの飛行機は、さぞにぎやかなことだろう。それにしても、渡辺家もずいぶん国際化したものだ。

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静岡のおでん横町の夜

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静岡浅間神社

静岡からの帰りの新幹線も昼時で、いとこ会に駆けつけた弟の光哉と一緒だった。 光哉は「富士山弁当」という三角形の弁当を、僕は「茶飯弁当」にした。どちらも地味目な弁当だが、静岡にはあまり駅弁の種類がないから仕方がない。どちらにも小さなカップに入ったわさび漬けがついていたが、これが辛くてうまかった。茶飯というのは、まるで法事に食べる食事のようだが、 味はけっこう良かった。駅弁の善し悪しは、見かけや値段ではない。

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浅間神社にはイノシシが出るらしいが、幸い出会わなかった

東京にもどると、翌日は戸籍をとるため都内の市役所、区役所を回って歩いた。末弟の光太が亡くなって、諸処の手続きのために 戸籍謄本や除籍票が必要なのだ。それも、彼の分だけでなく、 亡くなった両親や僕の分もいるし、もう一人の弟の光哉の分もいる。それらをとるために多摩、立川、西東京、大田区と一日で歩き、くたくたになった。人が死ぬと面倒な手続きがたくさんあるし、 けっこうお金もかかる。でも、どの役所でも、市民課の係はとても親切だった。(親切すぎて、うるさいほど他人の事情を聞きたがる人もあった。)戸籍はこれだけでなく、両親が昔住んでいた静岡、大阪、滋賀県彦根といった場所からも取り寄せなくてはならない。引っ越すたびに戸籍を移す人もあるようだが、死んだときのことを考えると、戸籍はやたらに移すものではない。

戸籍をとるために歩いたその日、昼どきは多摩センターにいた。10月末にしては陽気も暖かく、冷たい蕎麦を食べたくなった。しかし、多摩センター駅の周辺には普通のそば屋が見当たらず、 しかたなく「箱根そば」という駅そば屋に入った。「箱根そば」は確か小田急電鉄の経営だと思ったが、中学、高校時代は小田急で通学していたから、ずいぶん世話になった。鶴川、新宿、小田原の「箱根そば」を何度食べたことだろう。ただ、当時僕が愛好していたのは、蕎麦ではなくて「野菜かき揚げ丼」だった。200円くらいで滅法腹持ちが良かったからだ。

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多摩センターの秋はきれいだったが、そばはまずかった

だが、多摩センターのこの日は、冷たいおそばの気持だったので、またもや悩みに悩んだ末選んだのは「野菜かき揚げ丼と冷たいおそばセット」であった。すばらしい選択と思ったが、これが大失敗であった。蕎麦は、割にこしがあったが、タレがやたらと甘かった。僕は甘いタレは苦手である。甘いタレはかき揚げ丼にもいっぱいかかっていて、べちゃべちゃしていてうまくなかった。

「まずったな」と後悔したが、その甘ったるい蕎麦と丼を食べながら、死んだ光太が言っていたことを思い出した。「立ち食い蕎麦では、『富士そば』はうまいが、『箱根そば』はうまくない。」「富士そば」は、どこの会社がやっているのか知らないが、都内の新宿やお茶の水などにたくさんある立ち食いそばだ。光太は以前に中野に住んでいて、そこから新宿の大学病院に勤めていたから、よく富士そばを食べたらしい。

とにかく、どうしてそんな大事なことを先に思い出さなかったのか、自分の迂闊さを呪ったが、きっと記憶の中で、中学高校時代の空腹時に食べた「かき揚げ丼」のおいしさが40年たって結晶化していたせいだろう。あれがうまかったのは、若さ故であろう。

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多摩市立図書館本館にある、父渡辺茂男の書斎「へなそうるのへや」
(多摩センターから徒歩8分)

だが、その晩は、フランス料理だった。フォアグラを口にしながら、僕は「箱根そば」のまずいかき揚げ丼に、ざまあみろと言った。フランス料理は、僕の実家があった多摩の図書館員である阿部さんという女性が、わざわざ赤坂まで食べに連れて行ってくれたのだ。 阿部さんは、時折クラシックのコンサートに行った帰りに、ここで一人で贅沢な時を過ごすらしい。図書館員には、そんなおしゃれな趣味の人がいる。僕は、今回の日本では、秋サンマを食べようと意気込んでいたのだが、 計らずともここのコースで、前菜にサンマが出た。このサンマは、キールロワイヤルを飲みながら食べた。炭火で焼いて大根おろしで食べるのとはまた違った趣向だが、これも大変旨かった。(阿部サン、ごちそうさま!)

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お化粧直しした白鷺城こと、姫路城(地元の人は「白すぎ城」とも言っていた)

それから二、三日して、姫路へ向かう新幹線上の人となった。そのときも昼時だった。三回目だから今度は張り込んで、新横浜駅構内のトンカツ屋の「盛り合わせ弁当」を買った。トンカツ、海老フライ、チキンカツが入っており、千切りキャベツも別袋に入っていて、カツがべちゃべちゃにならない工夫がしてある。トンカツソースもたっぷりだった。だが、カツはやっぱり揚げたてでないとうまくない。そんなことは明白な訳であって、最初に気がつくべきであった。そんな感想のトンカツ弁当であった。

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姫路城には、忍者がたくさんいた

姫路の講演会は、姫路城を見上げる立派な図書館で行われ、聴衆の反応も良かった。お色直しした姫路城も美しかった。唯一失敗したのは、パソコンの接続がうまくいかず、せっかく準備していったスライドがろくに見せられなかったことだ。講演会というのは、最悪の事態も予測して望まなくてはならない。しかし、スライドが映らないというのは最悪の事態という程ではない。逆に、そのせいで少しは話の中身が濃くなったかもしれない。だとしたら、怪我の巧妙というやつだ。自慢ではないが、もう講演会を2、30回はやっているから大分慣れてきたと言える。

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仕事中の私

その講演会では、父が昔訳した童話「ミスビアンカの冒険」シリーズのファンだったという清流さんという姫路の住職にお会いした。初めてお会いしたのに、初対面な気がしなかった。それは、しばらく前から清流さんとはFacebookでお友達になっていたからだ。清流さんは、住職なだけでなく、保育園の園長で、ハンガリー仕込みのピアニストで、児童文学はプロ(私の父)を恐ろしがらせる程の知識であり、その上武道の有段者でもあるという人だ。その上清流さんに、夜は豆腐会席をごちそうになった。この豆腐会席が、今回の帰国で食べたものの中で一番豪華だったかもしれない。特に湯葉がおいしかった。遠くまで行って珍しいものを頂く、これが本当の「ご馳走」だろう。

さらに、姫路の講演会には、大学時代同じ登山クラブに所属していた次郎丸君が奈良から駆けつけてくれた。彼とは30年ぶりに会った。次郎丸君は、昔も太陽のように笑顔が明るい青年だったが、現在もニコニコした陽気なおじさんだった。「武道と神道」ということを生涯の研究テーマにしているそうで、そのことを書いた論文や著書をたくさんくれた。神道も武道も僕は知識がないから、読むのが楽しみだ。

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姫路の夜景は、けっこうアートだった

姫路から帰る新幹線も、またもや昼時だった。四回目の駅弁ではエキサイトしない。しかし、何も食わないで東京まで帰るのも嫌だから、乗車前姫路の駅前デパ地下に入ってみた。 そこは食べ物のジャングルといった風で、あわや遭難しそうだった。しかし、機転をきかせて幸い早い時点で「穴子飯」に決着をつけたから、新幹線にも時刻通り乗ることができた。11月頭の三連休の最終日だから、乗り遅れて指定席に座れないと、東京まで立ちっぱなしになる。

だが、穴子飯はうまかった。特に飯の横についていた奈良漬けに興奮した。奈良漬けは、子供時代からの好物だが、こんなにうまい奈良漬けを食べたのは40年ぶりかもしれない。穴子飯でうまい奈良漬けが食べられたことは、昔なじみに再会した喜びにこそ勝らないが、特筆すべきものがある。 弟は、2ヶ月前に39歳で死んでしまったが、生きていればこんな喜びもあるのにと、奈良漬けを食べてほろりとした。

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新幹線で一人旅していたウッドベース。(光太も旅好きで、ウッドベースも弾いていたから、光太みたいだった。)

東京に戻ると、さらにあちこち用事があって、街中を歩かなければならなかった。とにかく、人の多さと、騒音のうるささに辟易し、「今さら東京では暮らせない」という気持が強くなり、すぐさまメルボルンに帰りたくなった。

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「東京暮らしは楽じゃない」、福岡出身のトラフグたち

しかし、帰る直前に、橋さんという友人の女性から「おもしろいカフェが武蔵小金井にできたからいきましょうよ」と誘われ、 のこのこ出かけた。そこは英語で言うと、artist-run-spaceと呼ぶような場所で、芸術家が自分たちが活動しやすいように、自分たちで経営している画廊のような場所だ。そこがカフェもやっているのだ。

ここは、すごく居心地が良かった。本当は、僕が行った晩は営業してなかったらしいのだが、友達のよしみで開いてくれて、食事も出してくれた。食事は、健康に良さそうなご飯と、自分の所で漬けたぬか漬けと、美味しい赤キャベツのスープと、そんなものだったが、ほんわかと優しい味がした。カフェでは近所の母子なども、持参の弁当など食べながら遊んでいて、そこにいた良太くんという6歳くらいの子どもが、自分のお小遣いで買ったというおせんべいを皆にふるまってくれた。だから、僕は大事にオーストラリアからもってきた高級板チョコを良太君にあげた。僕は普段はケチなので、こんなことは滅多にしない。良太くんのお母さんは、「すみませんねえ、エビで鯛をつっちゃったみたいで…」と恐縮していた。でも、僕は、このカフェのリラックスした雰囲気で、それくらい気持がおおらかになっていたのだ。だから、ちっとも損をした気はしていない。このカフェは、アートフルアクションというNPOがやっている。詳しくは、http://artfullaction.net

他にも、今回の帰国ではおいしいものを食べた。滞日の最後の日、横浜の弟光哉の奥さんの智子さんが作ってくれた松茸ご飯のことは、ぜひ書いておかなければならない。この松茸ご飯には、何とトルコ産の松茸が入っていたのだ。トルコからどうやって松茸が日本にくるのか分からないが、トルコ産でも正真正銘の松茸で、酢橘をしぼって食べると、どんな松茸に負けないほどおいしかったし、匂いもぷんとした。

そのトルコ松茸は、僕のおなかに収まったまま、オーストラリアに飛ぼうとしている。
(成田へ向かう成田エクスプレスの中で書く)

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ゴールドコースト空港でメルボルン行きを待つ間、日本のコンビニで買ったお握りを食べた。
このジェットスター便ボーイング787に「渡辺家先祖代々」を全員乗せて帰った。


posted by てったくん at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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