2014年09月12日

寿司と蕎麦

2014年9月12日

8月の終わりから9月上旬、日本に2週間行って来た。日本に行くと楽しみなのは食べ物だ。僕がまず食べるのは蕎麦だ。冬なら鴨南蛮、たぬき、 天ぷらそば。夏なら、もり、ザル、天ザル、とろろなど。この頃の蕎麦は、味が良くなったと思う。立ち食い蕎麦でも、不味くて食べられないということがない。

今年2014年の3月まで多摩に実家があったのだが、そこに最後まで暮らしていた末弟とは、僕が帰国すると、よく一緒に実家近くの団地の中にあるS屋というそば屋に行ったものだ。S屋は、よくある 団地のそば屋で、近所の人が食べに来たり、出前をしたりするのが主の、地味なそば屋だ。それでも味は悪くないし、値段も安いので贔屓にしていた。末弟は気楽な独り者だったから、しょっちゅうS屋で食べていたらしい。土曜日の午後など、ぶらりとS屋に行くと、団地の老年テニスクラブの親父さんたちが、昼酒に顔を真っ赤にしながら怪気炎をあげていた。そのでたらめな会話を聞きながら蕎麦をすするのも悪くなかった。

団地.jpeg

たまに奮発して行くのは、K屋という蕎麦屋で、ここは超高級で有名だ。多摩と八王子の境にあって、飛騨の古民家を移築して作った豪勢な建物だ。蕎麦の器も、多摩在住だった辻清明という陶芸家が作った器で食べさせる。天ぷらのエビも生きた伊勢エビだ。だから値段は高いが、味も一流だ。ここは、僕の両親がまだ元気だった20年以上前からときどき通っている。両親の墓参りの後など、 僕たち三兄弟はK屋に行くことがよくあった。今年も、実家を売り払い、最後に不動産屋に鍵を引き渡した後、三人でK屋に行って蕎麦を食べた。

末弟は実家がなくなると、 世田谷の千歳烏山にアパートを借りた。南口の商店街をまっすぐ南に歩いて行くと500メートル程で商店が切れる。それでも歩いて行くと郵便局があって、その先を右に入った、モルタル作りの二階建てのアパートだった。

アパーとから.jpeg

この弟の新宅(?)を僕は今年三月に見に行った。弟は、千歳烏山の駅で、大福とみたらし団子の入った袋を下げて僕を待っていた。ちょうど昼だったから駅前のそば屋に入った。

「アパートの大家が、ここが旨いって言ったんだ」と末弟は言った。ジャズが流れる、お洒落なそば屋だった。 隣の夫婦は、昼間からビールを飲んでいた。弟は、鴨南蛮を食べた。僕は、その時何を食べたのか覚えてない。

烏山.jpeg

寿司も日本に帰ると必ず食べる。そんな高級な寿司は食べないが、仕事で顔を出す、巣鴨の近くの出版社の近くの寿司屋には、ときどき寄る。ここではランチしか食べないが、1500円くらいでけっこうなクオリティーな握りを食べられる。ランチで足りない時は、お好みで赤貝や中トロをつまむが、それだけでずいぶん贅沢をした気持になる。

実家がまだあった時は、これまた末弟と、実家近くのファミレス横の回転寿司に行った。ここへは晩飯を食べに行った。所詮回転寿司だから、二人とも値段の事など一切考えず、腹がはじける程食べた。絵皿だろうが金皿だろうが、何だろうが関係ない。 ウニ、トロ、ヒラメの縁側、のどぐろ、鯛、アジの活け造りなど。二人で、支払いは8000円とか一万円を超えることもあった。これが多いか、少ないか分からないが、しばらく寿司を見るのも嫌になるくらい食べた。

今回の帰国は、その末弟の葬儀だった。39歳だった末弟は8月末に急に病気で亡くなったので、僕はあわてて日本に帰った。こういうことは準備しておくことができないから、いつもあわてての帰国だ。父が危篤になったときも、最後に亡くなった時も、大慌てで帰った。こういうとき外国に暮らしているのはすごく不便だ。

さらにこういう時は、成田までの飛行機が辛い。今回も、ケアンズで乗り換えると、周りはオーストラリアで夏休みを過ごした楽しげな家族連れや学生がいっぱいだった。僕は、その真ん中で、沈痛な顔をして何時間も座っていた。爆発しそうな気持だった。

そして、慌ただしく帰国の2週間は過ぎた。葬儀の準備、通夜、葬儀、遺品の整理、事務処理。 真ん中の弟は、 グロッキー気味だった。彼は、弟の死直後から、悲しむ暇もなく、葬儀屋との交渉などの役目を一手に引き受けたのだから。僕も到着するや否や、喪主として活動しなければならなかった。喪主をするのは、父の時と二度目だ。親戚や知人 へ末弟の死を告げる電話を何度もしなくてはならず、これにはうんざりした。

それでも不思議なことに、腹もへれば喉も渇く。飛行機の中のまずい機内食もぱくぱく食べ、成田エクスプレスの車両ではカツサンドを食べた。横浜の、真ん中の弟の家に着くと、二人でエビスビールをがぶがぶ飲んで寝た。久しぶりに飲んだエビスは旨かった。

そして、今回も寿司と蕎麦を何回も食べた。末弟の葬儀の帰国だと言うのに やっぱり好物の食べ物を食べてしまう。

通夜の席では、食べ物がとても喉に通るとは思えなかったが、にぎり寿司が出た。ちょっとつまんでみたら案外きちんとした味だった。 末弟は若くして死んだから、通夜には高校時代や大学時代の友人たちが大挙して訪れた。その人たちと弟の思い出話で盛り上がり、みんなビールや酒を大いに飲み、寿司も足りなくなった。葬儀屋さんが慌てて追加を注文した。みんな、笑ったり泣いたりしながらも、よく寿司をつまんでいた。

末弟のアパートに遺品を整理に行った時は、真ん中の弟夫婦と、僕の妻を誘って、末弟と最後に行った千歳烏山のそば屋に入った。彼と食べた時程、旨いと思わなかったけど。店には前と同じようにジャズが流れていた。

帰国中の最後の晩には、回転寿司にも行った。横浜の真ん中の弟の家の近くだ。こちらはお洒落な加賀風の回転寿司で、味もぐんと良く、値段も高い。味がいいから週末は大混雑で、行くときには携帯電話で予約を入れておかないと入れない。それでも入り口でさらに20分は待たされる。回転寿司は、次から次へと注文して食べるので、せわしない。メニューと首っ引きで食べなければならない。だからあまり会話が弾まない。まあ、これは回転寿司という場所柄仕方がないだろう。

蕎麦は、ここに書いた以外にも、もう二三回食べたので、2週間の帰国中に5回は蕎麦屋に入った計算になる。思い返せば、父が亡くなったときも、もっと前に母が亡くなった時も、葬儀の前や最中や後に、蕎麦や寿司を食べた。悲しみながらも、寿司や蕎麦を美味しいと思ったのは今回も同じだった。

でもどうして なんだろう。僕は、どんなことがあっても、寿司や蕎麦をおいしいと思える人間なのか。それとも、寿司や蕎麦は、どんなことがあっても美味しく食べられる物なのか。試しに、成田空港でメルボルンに帰る飛行機に乗る前に、蕎麦でなく、うどんを食べてみた。

やっぱり蕎麦や寿司ほど、美味しいとは思わなかった。

今年の一月、今はなき実家のベランダで。
(左から、僕、真ん中の弟、末弟)
IMG_1973.jpeg
posted by てったくん at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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