第6話
7日目 阿波池田から山越え、観音寺を経て善通寺まで、
8日目セルフうどんを食べ、金比羅宮を詣でてから高松まで行ったこと
「楽しいことならなんでもやりたい
笑える場所なら何処へでもいく
悲しい人とは会いたくもない
涙のことばで濡れたくはない
青空 あの日の青空ひとりきり」
(井上陽水、青空ひとりきり)

池田にて、濃霧の吉野川
心残りな濃霧の池田を後にする
7時前、阿波池田の宿を出る。ショートヘア女将にお別れを言いそびれたのが心残りだ。旅は、いつもどこかへ、心残りを置いて先へ進むもの。
予報では雨だったが、濃霧だった。池田は来た時も霧、帰るときも霧。ウィンドブレーカーを羽織って出るが、うすら寒い。コンビニで、三角サンドイッチとコーヒーの朝ごはん。日曜なので、これから野球やテニスへ行く格好の人々が切れ目なしにやってくる。
ここで一句。
「コンビニの 赤いポストで 朝ごはん」
鉄沈

吉野川に沿って2、3キロ北上し、池田大橋を渡って192号線の阿波街道に入る。田舎の県道。トンネルもあるが、交通量も少なく、濡れた道を快走する。濡れた道を走るのは、筆で文字を書くように滑らかなテクスチャーがある。英語のテクスチャー=textureという語は訳すのが難しい。「感触、肌触り、きめ、歯応え」などの意だが、自転車のタイヤが路面を転がるときの感じを何と言えばいいんだろう。

佐野という村から旧道の山道に折れる。途端に急登だ。狭い山道をうんせうんせ登ると、若い頃奥多摩、秩父、信州などの峠を走った記憶が蘇る。登っていくと突然スポッと霧の上に出て、青空に頭が出た。井上陽水「青空ひとりきり」のメロディーが心に浮かぶ。
「楽しいことならなんでもやりたい
笑える場所なら何処へでもいく
悲しい人とは会いたくもない
涙のことばで濡れたくはない
青空 あの日の青空ひとりきり」

阿波と讃岐国境の空
気を良くして、陽水メドレーを歌いながら走っていくと、曼陀トンネルという幽霊でも出そうな古いトンネルがあった。そこを出ると阿波(徳島)と讃岐(香川)の国境の峠だった。
何もない峠はひっそりしている。もう40年も前、T村と二人、長野と岐阜の境の野麦峠を越えた。峠では、山猿の一軍が道を塞いでいた。先へ進めないので、自転車の空気入れを振り回して大声を出したら、猿たちは呆れたような顔をして山の中に消えていった。頭のおかしい人間だと思ったのだろう。幸い今日は、そんな出迎えもない。ちょっと休んで山を下ると、また霧の中だった。道は濡れている上、落ち葉や砂利に覆われているから、スピードが出せない。しばらく行くと、五郷ダムと言う小さなダムがあったが、死体を捨てるのにちょうど良さそうな寂しいダムだ。
五郷ダムから、瀬戸内の観音寺の町境まで10数キロ、うんざりするほど真っ直ぐなだらだら下り。晴れていれば青い瀬戸内海が目前にバーっと広がるのだろうが、曇りだから、どよんとした灰色の塊があるだけ。
こういう時は、頭もぼんやりしてくる。田舎の交差点で信号を待っていたら、突然自転車ごとひっくり返った。荷物を荷台に積んでいるので、ちょっとバランスを崩しただけで倒れてしまう。実際、自転車旅行では、走っていて転ぶより、止まっていてひっくり返ることの方が案外多い。
倒れたまま自転車に足が絡まって、なかなか起き上がれない。逆さまになった亀みたいに、しばらくは、もぞもぞとうごめいている。ようやく起き上がると、肘から血が出ている。
こういう時は身体的なダメージよりも精神的な動揺の方が大きい。仲間がいれば、起こしてくれたり、励ましてくれたり、あるいは逆に思いっきり笑われたりもする。それでも、自分だけでふてくされているよりも良い。幸い田舎道の信号だったので、誰にも見られなかったのは幸いだ。
ついてないな、と思いながら行くと、祭囃子が聞こえてきた。秋祭りだ。見れば、向こうから道幅いっぱいに山車がやってくる。山車はハッピを着た住民が引いている。しばらくは交通遮断だけど、こういう交通遮断は楽しい。山車には、猿の子みたいな子どもたちが群がっている。さっき転んだときはひどく損した気分だったが、これで機嫌が良くなった。きっと氏神様が、慰めてくれたんだろう。


観音寺の巨大砂絵「寛永通宝」のご利益は?
今日の行く先は、観音寺、善通寺と、お寺の町。観音寺市の手前で、ついに雨が降り出した。今回初めて上下に雨具を着る。雨は降りはじめが嫌なものだが、いったん濡れてしまえば、どうと言うこともない。雨の中を走る。
走ること30分、観音寺の市街に着く頃雨がやんだ。海岸にある琴弾公園でも秋祭りの屋台が出ている。この浜辺には、銭形砂絵という寛永通宝のコインを模した巨大砂絵があって、山上から眺めることができる。直径120メートル、周囲350メートルほどの砂絵で、1600年代に作られて以来、400年近く続いているんだそうだ。これを眺めると、長生きできてお金にも困らないそうだから、老後は観音寺へ引越すのが良かろう。僕も、困ったら観音寺に引っ越すことにしよう。

銭形砂絵の全容
ご利益があるように、目が痛くなるほど寛永通宝の砂絵を見た。今日の予定は、この先、瀬戸内に突き出ている荘内半島をぐるっと回って善通寺に向かうつもりだったが、また雨が降ってきた。迷いながら、とりあえず荘内半島の付け根の仁尾まで来たが、ざあざあ降りになった。荘内半島はパスだ。荘内半島からは、しまなみ街道の橋やら、本州の山並みやら見えたかもしれないのに、全ては灰色の壁の向こうにけぶっている。

灰色のカーテンに覆われた瀬戸内海
雨の中を善通寺に直行だが、昼飯の問題があった。もう昼はとっくに過ぎている。途中、山の上に道の駅が見えたので、2キロほど坂を登る。雨の中、汗だくになって坂を登るのは結構こたえる。
やっと着いたら、この道の駅、驚くほどろくな食い物がない。ハンバーグ定食、カレーライス、ホットケーキ、ソフトクリーム、たこ焼き。マジですかい?と文句の一つも言いたくなるが、ロボットのような茶髪店員が二名、遠くを見るような眼差しでカウンターに立っているだけ。仕方なくハンバーグ定食にしたが、これがまた絶望的に不味かった。純粋に「燃料」、ないしは「餌」と考えて口に入れる。
とにかく血糖値だけは上がって人間らしい気持ちになった。雨も止んでいる。自販機のアイスを食べていたら、ロードバイクに乗ったお遍路青年がやってきた。
「やあ、こんにちは。雨に降られませんでした?」と僕。
「いや、車の中にいたんで大丈夫でした」と遍路。
「え? だって、自転車でしょ?」と僕。
「はい、でも車で徳島から来て、お寺へのアプローチだけ自転車なんですよ。会社員なんで時間もないし、こんな風に、もう三十箇所ほど回りました」と遍路。
「そういうお遍路もあり?」と僕。
「はい、ありです。でも、全部を自動車で廻るよりはましでしょ?」と遍路。
確かに、どんな形式であれ、お遍路をしているだけでも良しとするべきか。
お寺や神社の階段数と平均寿命の統計的関係に関する一考察
そこから善通寺市まで小一時間。今日は善通寺のビジネスホテルで泊まりだが、雨も止んだし、善通寺を見学することにした。
善通寺は立派で、広大なお寺だ。大きな休憩所やトイレや駐車場もある。駐車場から歩いて本殿に行くには、長い距離を歩かなくてはいけない。そこを全国から集まった善男善女がてくてく歩いている。
子供時代に抱いていた疑問が一つある。それは、寺とか墓地とか神社の「休憩所」についてだ。寺や神社へ行くと、必ず休憩所があるが、そこではお年寄りたちがトレイに行ったり、饅頭や弁当を食べたりして休憩している。それを見て幼い僕は、寺や神社を詣でるのに、そんなに体力が必要なのか?と、疑問を持った。僕からすれば、学校で勉強したり、体育の授業で走らされたりすることの方がよっぽど体力を使うように思えた。だのに、どうして学校には「休憩所」がないのか?墓参りなんて、歩いて、お線香を上げて、念仏を唱えるだけだ。それなのに墓には休憩所があり、そこではお茶も出れば、お菓子やうどんや団子だって供される。全く解せなかった。
しかし、今や僕も老人にぐんと近い年齢になったので、休憩所の必要性はひしひしと感じるようになった。老人にとって、寺や神社の参拝は大チャレンジ、そのために残りの人生を捧げているお年寄りだって少なくないだろう。だが、寺や神社は広くて階段が多い。100段の階段など珍しくない。この近くの金比羅様に至っては、785段もある。
これはなぜか?端的に考えるならば、寺や神社詣は、お年寄りに課せられた一つの試練であるからに違いない。老人は、得手して安楽に過ごしがちである。しかし、人生はいかなる時も、安楽に過ごしてはいけないのだ。人生は修行であり、苦行であるからして、多少のストレス、負荷があって当然なのだ。
さらに類推するならば、日本の老人が抜きん出て長寿なのは、お寺や神社を詣でる負荷が幾らかでも寄与しているからではないか?考えてもみよ、フルフラットで階段無し、バリアフリーの神社やお寺があるか?あまり見たことがない。そんな物を作ったら、日本の平均寿命はたちまち数パーセント短かくなるに決まっている。きっと、お寺の石段数と平均寿命の関係には、統計的有意性があるに違いない。

僕も、無事に善通寺参拝を終え、今日の宿に赴く。善通寺駅前ビジネスホテルはのっぽな鉛筆ビルだった。受付の女性はニコニコと、自転車を部屋に入れても良いと言った。こう来なくてはいけない。しかし、狭いエレベーターに自転車を入れるには技がいる。すなわち、サーカスのごとく、「エイっ!」とかけ声をかけ、自転車を一気に立ててエレベーターに入る。かけ声をかけると、不思議にも自転車は訓練された動物のようにスッと垂直に立つ。気合を入れずに適当にやるとうまくいかず、自動ドアに車輪が挟まって、ちょっとした惨事になる。
どうにかうまく自転車や荷物を部屋に入れて、ほっとする。雨に濡れたせいで、体がふやけている。ユニットバスの小さな湯船で長湯して疲れをとり、「アンメルツヨコヨコ」を太腿やふくらはぎに塗る。圧倒的な快感にしばし恍惚とする。
今日走った距離は72キロだった。あまり長い距離とは言えない。しかし、その割には、霧にまかれたり、雨に降られたり、巨大砂絵を見たり、お寺に行ったりして変化のある一日だった。

自転車はホテル室内に持ち込む
8日目、セルフうどんの朝食を食べ、金比羅さんを詣でて高松まで走ったこと
香川県は讃岐、讃岐と言えば讃岐うどん。今日こそ讃岐うどんを食べてみよう。それが本日の大きなテーマだ。
讃岐うどんは、朝の5時からやっているらしい。だから香川県の人は早起きして、うどんを食べると聞いている。でも、それは香川県民が早起きだからなのか、うどん屋が朝5時からやっているから香川県民が早起きになったのか分からない。きっと香川県民にも分からないのであろう。讃岐うどんは、朝だけでなく昼も夜も食べるらしい。一日に五回食べる人もあるというが、よく意味が分からない。だから、流行っているうどん屋は、午後には売り切れるらしく、2時でも3時でも早々に店じまいするらしい。となると、夜やっているうどん屋は流行らない店なのか? 他国の食文化には疑問点が多い。
讃岐うどんの名声は国際的に広まっていて、メルボルンにもセルフうどん屋がある。ならば、ロンドンやパリやロスにもあるだろう。以前ミラノでソースカツ丼を食べたことがあるが、今やどこに何があるのか分からない時代になった。
これだけの事前知識で武装した私は、讃岐うどんを食べる期待感に満ちあふれてビジネスホテルを出た。時は朝6時45分、順風満帆の気持ちで、本日第一の目的地、金比羅さんのある琴平市に向かった。

国道に現れたるセルフうどん屋
すると、国道を2キロも行かないうちに、すぐさまセルフうどん店が出現した。普通ならローソンやセブンイレブンが登場することが多いのに、その前にうどん屋が現れたので感動した。讃岐うどんを食べることが、本日の大きなテーマだったのに、朝7時前いきなりその大テーマが目前に現れてしまったから、正直慌てもした。
だから私は、「まあ、待て」と、すぐにでもその店に入らんとする自分を制した。香川で讃岐うどんを食べるには、それなりにきちんとした作法で食べたいと思ったからだ。私は東京人であるから、普段朝からうどんは食べない。他にも朝から食べないものは多々あるが、面倒なのでここには列挙しない。でも、今ここにいる私は、朝からセルフうどんを食べてみようという気持ちになっている。それは、私の人生においてほぼ初めてのことだ。
しばらく店の前に立って観察したが、店内にはすでにたくさん客がいる。男性が多い。さらに近づいて覗くと、長いカウンターがあり、お盆を持った香川県民たちが左から右へスライドしていく。まず麺を注文し、移動しながらトッピングのイカ天やかき揚げ、サイドオーダーのお握りやお稲荷をピックアップしていく。最後にお勘定を済ませ、思い思いの席でそれらを摂取する仕組みだ。簡単そうだ。
実は私は、2年前に愛媛の今治で、セルフうどんのデビューをしている。しかし、ここでは失敗した。別皿に載せてタレをかけて食べるべきイカ天を、うどんに載せて食べてしまい、すぐさま東京人であることを露見させてしまった。が、今日はそういう屈辱は絶対に繰り返さない決意だ。
私はいよいよ決心して入店した。まず、前に並んでいる親父にぴったり接近し、同じうどんを注文した。暖かいぶっかけうどん、中盛りである。それから、かき揚げを別皿にとった。もう一度書くが、別皿に、である。
今回は朝ごはんなので、あまりたくさん食べる必要はない。載せるものは、これだけにしてお金を払って席につく。ところが見渡すと、客の多くは、トッピングなど買わずに、無料サービスの揚げ玉を山盛りにうどんにかけて済ませている。迂闊であった。かき揚げなどを食べていると、田舎者だと思われるに違いない。
とにかくカウンター席に座って食べ始めた。すぐに隣に男が座った。その人は、席に斜めに座り、丼に顔を突っ込むような、いわゆる犬食の姿勢で、すごい音をたててうどんをすすり始めた。うどんをすすりつつも、片目は携帯電話から離さない。観察するに、この男性にとってうどんを朝食に食べることは、全く自然な行為であるようだ。フランス人が、もう無意識に朝からバゲットをカフェオレに浸して食べるようなもので、別におしゃれとか、シックとか、そんなことでは全然ない。だから私も、すかさず斜め座りに姿勢を直し、うどんを朝食べるなんて全然珍しくないんだぜ、前からこんなこといくらでもやってるぜ、と言う顔でずるずる食べた。
ところが、悲しいかな、やはり失敗をした。中盛りうどんは量が多すぎた。かき揚げと食べると、いささか持て余してしまう。ああ、小盛りでも良かったと後悔した。うどんネイティブになるには、修行がいるのだ。
金比羅さんの785段を登ったことなど
善通寺から金比羅さんまでは30分もかからなかった。まだ朝の8時過ぎと言うのに、結構な人出だ。金比羅さんは何せ785段ある石段が有名で、これを制覇せんと民衆が集まっている。自転車を担いでこの石段は登れないので、自転車は下に置いて、えっさえっさ登り始めた。沿道の土産屋では竹の杖を100円で貸してくれるので、これを突いて登っている人もある。

サイクリングで走っていて、さらにこんな石段を登るのは二重に体力を使うが、ゆっくり登れば大したことないだろう。案の定、3、40分で頂上まで行けた。先に、お年寄りのお寺や神社詣では修行であり、チャンレジであると書いたが、金比羅さんでは、そういう光景が至るところにあった。お年寄りたちは、はあはあ息を荒くして登り、至る所に設置されている休憩所やベンチなどで、赤くなったり青くなったりして、休んでいる。中には階段の途中で、チベット寺院の五体投地のように、亀のようにへたり込んでいる人もある。金比羅さんは、そう言う意味で、老人のエベレストなのかもしれない。下の方の茶屋には籠担ぎの人もいたが、いちばん上まで乗せてもらうと5300円、往復だと6800円だ。高いのか安いのか分からないが、乗る人もいるからこう言う商売もあるのだろう。

お年寄りのエベレスト、金比羅宮の石段
金比羅さん詣も無事終えた。ここから高松までは30キロ少し。信号が結構たくさんある田舎の県道をどこまでも走っていく。ぽこん、ぽこんと、あちこちに突き出た小山の景色が愉快だ。どの山も高さはせいぜい100メートルだろうが、ひょっこりひょうたん島のようでもある。それ以外の土地は平らな畑や田んぼで、所々にはコスモそが一面に咲いている空き地なんかもあって、秋なんだあと感じ入る。

香川の小高い山々、その向こうの瀬戸内海
眠たげな県道をうんざりする程走ると、そこが高松だった。町の中心に向かう国道には、場外馬券場、ユニクロ、マック、ファミレスと言った店舗などが無秩序に並んでいる。金比羅さんとは別世界だ。とにかく高松港まで行ってしまえと、もう一踏ん張りし、瀬戸内海を眺める岸壁に出た。高松の港は、今も昔も瀬戸内の交通の要であり、あちこちへ向かうフェリーや連絡船が行き来する。白い船が青い海と空の間を行き来しているのは美しい。
遅くなったが、昼めしだ。今日は、じっくり讃岐うどんと向き合うつもりである。やや邪道かもしれないが、どうせ僕は観光客だから、高松の中心街にある、高級そうなうどん屋に入った。もちろんセルフではない。壁には、アベノミクスのあの首相も来て食べたと写真が貼ってある。シャクな気分であったが、どうせならと、アベちゃんと同じやつを食べたが、これは大層美味であった。揚げたての天ぷらはサクサク、うどんはシコシコモチモチ、お汁は澄んだ薄味なのに出汁はしっかり効いている。やっぱり高級店は違うねえと言う結論。

讃岐うどんを食べるアベちゃん
今日の走行距離も70キロと軽めだった。だが、明日は早朝フェリーで小豆島に渡り、ファイト一発、島を一周する予定だから、今日はこれで打ち止めだ。午後3時に高松の栗林公園を見下ろすビジネスホテルにチェックインし、洗濯したり昼寝したり、ゆるゆる過ごす。
(続く)
出典:
陽水の歌詞は『井上陽水』成美堂出版から