2011年3月16日
Labour Dayの連休、息子鈴吾郎と二人、メルボルンから300キロ、東ギップスランドのノワノワ(Nowa Nowa)という名前の村へ釣とカヌー漕ぎに行った。ノワノワとは、「日が昇る場所」という意味のオーストラリア先住民のことばらしい。何だか日本人に縁のある場所みたいだ。


嬉しかったのは、ここで泊まったキャラバンパークの入り口に大きな林檎の木があったことだ。木には、たわわに林檎がなっていた。車から荷物を下ろしていると管理人のおばさんが、林檎を4、5個もいできて持って来てくれ、「いくらでも木からとってお食べ」と言った。鈴吾郎は歓声をあげた。息子は名前が「りんごろう」と言うくらいだから、林檎が大好きだ。ちょっと虫喰いだったが、もいで食べる林檎ほど美味しいものもない。僕は、林檎の木が植えてあると、植えた人に「どうもありがとう!」と言いたくなる。

僕のベルグレーブの家の庭にも果樹がある。杏、プラム、レモン、梨、洋梨、ぶどう。杏とプラムとレモンは、この家の前の住人が植えたものだが、今年もたくさん実を付けた。梨と洋梨は僕たちが近年植えたもので、まだ実はならない。いつ実をつけるかとても楽しみだ。
林檎の木も、今冬あたりは植えたいと思っている。実をつけるまで何年かかるか分からない。キャラバンバークの大きな林檎の木を見ながら、この木を植えた人は、もうき生きてないかもしれないと考える。でも、木は生き続けて実をつけ、僕や鈴吾郎を喜ばせてくれる。だから僕も子どもたち、孫たちのために植えるような気持だ。
翌日、僕らは広大なLake Tyersの湖をカヌーで漕いで回り、釣をした。コチ、黒鯛などが釣れた。夕方、素晴らしい一日を過ごしたその幸福な気持ちを伝えようと、メルボルンの留守宅に電話した。すると、娘の鼓子が電話に出て、「日本が地震とか津波で大変だよ」と言う。心が早鐘のように鳴ったが、詳しいことは電話では分からない。


翌朝、Lake Tyersのたった一軒の雑貨屋で新聞を見た。信じられない光景、がれきの山の中をさまよう人の写真が一面に大きく掲載され、JAPAN、TSUNAMIという文字が横に大きくあった。
レジで新聞を買おうとしたら、店のおばさんが、「あなた日本人?」と尋ねる。そうだと答えると、「本当にひどいみたいよ。息子さんが怖がるから新聞は買わない方が良いわよ。悪いこと言わないから、週末が終わって家に帰るまで新聞は読まないこと。こういうのを小さな子どもに見せるのが一番心配よ」と言った。

僕は、好奇心のかたまりの息子が、一昨年の山火事騒ぎ、避難騒ぎの際にどれほどメディアに翻弄され、興奮し、あげくに悪夢を見てうなされたりしたことを思い出し、雑貨屋のおばさんの親切なアドバイスに従うことにした。これだけ甚大なできごとは、息子の心に大きな影をつくることになる。事実を遮蔽するつもりもないが、これを鈴吾郎に見せても彼の理解は完全に超えている。
翌日、日曜日も僕は心を落ち着けようと、鈴吾郎と釣りをし、カヌーを漕ぎ、ひたすら肉体を疲労させた。そのことはある程度成功したが、夜はあまり安眠できなかった。

月曜日は帰宅する日で、僕は日本がどうなっているか気もそぞろ、「帰心矢のごとし」だった。ガソリンスタンドでちらっと見た新聞の一面は、さらにひどい写真で、その横にHellとかApocalypseとかの言葉が太字で印刷されている。その新聞が飛ぶように売れている。
僕はまっすぐ帰るつもりだったが、「もっと釣をしたい」と鈴吾郎は言う。そこで午前中だけ途中の海辺の景勝地Lakes entranceの波止場で、休暇を楽しむ釣り人に混じり、僕らも釣り糸を垂らした。悪い知らせはもう少しの間だけ頭から追い出し、風、雲、水面、そして釣り糸に神経を集中する。

すると、驚いたことにこういうときに限って釣れるものだ。神様が微笑んでくれたのかもしれない。しばらくすると、はち切れんばかりの太ったシマアジがバーンと針にかかった。ブルブルブルと命の振動が釣り竿を震わせる。すぐ横で鈴吾郎も一匹釣り上げる。「やったー!」と、二人ともニンマリ得意顔だ。二人で、すぐさま三匹、四匹、五匹と続けて釣り上げ、大きなのを7匹釣った。そろそろ帰途につこうかと考えていると、八匹目がかかった。これが、これまでで一番でかい。ところが針が小さすぎて、口元が柔らかい横綱シマアジを支えきれず、銀色お月さまみたいな太っちょ魚はあと少しというところで海に落ちた。僕の肩越しに見ていたギリシャ人のおっさんが、「残念、でかすぎだ!」と、残念そうに叫び声をあげたほどだ。僕は全身が沸騰し、心は完全に解き放たれた。もう悔いはなし。
魚をアイスボックスに詰め、あとはメルボルンまで300キロ、4時間ひた走った。アクセルを踏み続け、弓矢のように走った。
「悪夢はバクに食わせろ」
家に帰ると、机の上には一昨日、昨日、今日と、恐ろしいニュースを伝える新聞がうずたかく積んであった。チャコも鼓子も沈んだ顔だ。仙台のチャコの叔父さんは無事だったとのこと。他の親戚にもとりあえず負傷者なし。とりあえず、やれやれ。
パソコンにスイッチを入れると、メールがたくさん来ている。オーストラリア国内、日本から、加えてフランス、ブラジル、米国からも来ている。みんな僕の日本の親戚の安否を気遣っている。
夜、メルボルン在住の日本人の友人から電話が来た。「何か僕らでできることないですかね?」、正義漢の彼が言う。僕も、ずっとそのことを考えている。みな、そういうことを話さないではいられない。
メールがさらに届く。「義援金」、「援助バザー」などの文字が目に入る。海外にいても動きが速い人たちはもう行動している。僕も、募金活動をしているオーストラリア赤十字、Oxfamなど団体のホームページを覗いてみる。「クレジットカード決済の募金ができます」とか、「本団体は、募金の10%以上は、決して事務費用に用いません」とか但し書きがある。賢い消費者は、寄付をするときも賢く寄付先を選ぶのか。
僕には何ができるだろう? もちろん、義援金は寄付するし、募金活動やバザーに参加するかもしれない。でも、それから?
長いドライブで体が疲れているのにインターネットから目が離せない。Youtubeで津波の映像を見る。灰色の濁流が町を飲み込む。町民の叫び声、子どもの泣き声も録音されている。煙を上げる原子力発電所の映像も見た。まるで地獄絵だ。
翌朝、寝不足の頭でベルグレーブの町へ用を足しに出た。スーパー、郵便局、街頭で隣人に会う。会う人、会う人、「日本の親類は大丈夫か?」「怪我をした人はいないか?」と尋ねる。
日本人の知人にも出くわした。立ち話は、津波、地震、発電所、家族の消息。彼女の東京の姉さんは、都内の職場から徹夜で歩いて帰宅したとか。僕の義理の弟も、地震直後電車が止まったので、新宿から武蔵野市までスーツと革靴で走って帰ったという話をする。どこの家にもこうしたエピソードがあり、皆それを話さないではいられない。
東京の弟に電話してみる。すんなり通じて安心する。地震のとき下田の民宿で温泉に入っていたと言う。(こんな時に! と思うが、自分だって遊びに行っていたことを思い出す。)伊豆も地震が多い場所だから、ぐらぐらっときたら、すぐ津波警報、避難勧告が出たらしい。ところが、民宿を営む年寄りたちは慣れっこで、「元禄の津波のときは、あそこのお宮さんまで水に浸かったらしいが、そんなでっけえ津波は滅多にこねえずら」と言って、逃げもしなかったと言う。弟は、老人を置いて自分だけ逃げる訳にもいかず、怖い思いをしながら海辺の民宿で眠れぬ一夜を過ごしたらしい。
夜はまたインターネットでニュースを見てしまう。宮城、岩手、福島の被害を見て息をのむ。美味しい魚を食べた気仙沼は泥地獄。義理の父が赴任していた釜石では冷たい川で山からこぼれてくる鮎を釣ったが、あの川もきっと泥の中だろう。悪夢だ、悪魔に違いない。
メディアで増幅された恐怖に交感神経が反応し、心臓が早鐘のように打ち始め、耳鳴がひどくなり、血圧が上がってきたことが分かる。パソコンを切り、気持ちを鎮めようと、詩の本を手に取る。
東北と言えば宮沢賢治だ。憲治詩集を開くと、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の文字が目に飛び込んできた。東北の人たち、負けるなよ! 寒い中で凍えているみなさん、春はもうすぐそこだ。憲治が生きていたら、今どんな詩を書いただろうか。
俳人、種田山頭火の俳句もいくつか読む。
「はるがきた いちはやく虫がやってきた」。
「生き残ったからだ掻いている」
自然は、時には恐ろしいこともするが、命の源泉だ。虫も、僕たちもその一部だ。春には、木が芽吹き、緑が萌える。とにかく、東北地方が早く暖かくなって欲しいと願う。
山之口貘という詩人も面白い着想があって好きだ。この人は、絶望をユーモアで希望に変えてしまう錬金術師だ。
「悪夢はバクに食わせろと むかしも云われているが
夢を食って生きている動物として バクの名前は有名なのだ。
ぼくは動物博覧会で はじめてバクをみたのだが
ノの字みたいなちっちゃなしっぽがあって
鼻はまるで 象の鼻をみじかくしたみたいだ
ほんのちょっぴりタテガミがあるので 馬にも少しは似ているけれど
豚と河馬とのあいのこみたいな図体だ
まるっこい眼をして口をもぐもぐするので
さては夢でもくっていたのだろうかと
餌箱をのぞけばなんとそれが
夢ではなくてほんものの
果物やにんじんなんかを食っているのだ
ところがその夜ぼくは夢を見た
飢えた大きなバクがのっそりあらわれて
この世に悪夢があったとばかりに原子爆弾をぺろっと食べてしまい
水素爆弾をぺろっと食ったかとおもうと
ぱっと地球が明るくなったのだ」
(『山之口貘詩文集』講談社文芸文庫)
そうだ、山之口が書くように、バクを連れてきて放射能を吹き上げている原子力発電所を食わせよう。それで、悪夢は消えてなくなる。そして、子どもたちはみんな安眠できるようになるはずだ。
疲れて頭がしびれてきた。布団に入る前に、この週末の目まぐるしい変化について考える。楽しかった釣りとカヌーの旅。一転、日本の大惨事の知らせ。天国と地獄。今この世界は、幸せな場所なのか、不幸な場所なのか?僕にはよく分からない。
布団に入ると、鈴吾郎が横で「くの字」になって熟睡している。枕元に、開高健著の釣り写真エッセイ『オーパオーパ』が落ちている。釣気違いの鈴吾郎は、この本を僕の本棚から見つけて以来、日本語は読めないくせに、寝る前にこの本の釣りの写真を眺めて飽きない。僕もパラパラとページをめくりながら、名言家だった開高が好きだった言葉を思い出す。
「明日世界が滅ぶとも、今日あなたは林檎の木を植える」
「林檎の木を植える」は比喩であり、だから、この句はいろいろな意味に取れる。しかし、林檎の木は実際素晴らしい。ノアノアの林檎も、植えた人がいなくなった後でも実をたくさんつけて人に喜ばれている。言葉や詩も「林檎の木」かもしれない。
詩は、(回転の遅くなったコマのように)振らつく僕の心の中心をぐっと捉えて安定させてくれる。芸術は、決して直接の問題解決にならないし、原子力発電所の火災を消してはくれない。しかし、心を慰め、その後に人が進むべき方向を指差してくれる。
横から鈴吾郎の寝息が聞こえる。僕のまぶたも重たくなってきた。気がついたら、胸の動悸も収まっていた。
僕はスタンドのスイッチを切り、バクの間の抜けた顔を思い浮かべながら、眠りについた。